2019年1月15日 公文健太郎写真作品集「地を紡ぐ」が・・・。

先週の金曜日、凸版印刷さんより公文健太郎写真作品集「地を紡ぐ」を届けて戴いた。

この度の写真作品集「地を紡ぐ」は三部構成で、カラー作品が101点掲載されている。

 

第1章

神事を受け継ぐ地 青森県下北郡東村蒲野沢字鹿橋「ちょっとそさたで」

第2章

自然の恵みを享受する地 栃木県那須郡那須町湯本「湯がなけりゃこんなところ人が住むところじゃねぇ」

第3章

ものづくりで生きている地 長崎県東波杵群波佐見町中尾郷「おれらは土を喰って生きてきた」

 

2016年に平凡社より発行された「耕す人」が全国の地に生きる(主として農家)人々の広範囲の取材に対して、この度の「地を紡ぐ」はテンポイントに取材を絞り込み、とても限定された地域に生きる生活(祭り、人々、伝承芸能など)を丹念に時間をかけ取材されている。

写真家・公文健太郎さんの生き方そのものだと思う。

 

今まで刊行されてこられた6冊の写真集の中でももっとも自分自身に向き合った作品集ではないかと思う。

この度の「地を紡ぐ」からはそこに生きる人々や、祭りを守る人々、日常の中の人々との公文さんとの会話が聞こえてくる。

笑い声や営みを心配するかけ声、励まし、励まされる言葉、愛おしむ心や親しみの思いやりまでが伝わってくる。

表現者としての公文健太郎が見事までに写し出されている。

 

観る側の私たちが、被写体との関係性を探ることよりも、表現者・公文健太郎の息づかいまでが感じられる作品だ。

その意味していることは写真家・公文健太郎としての日頃からの姿勢から来るものだと思う。

そのことはこの度、編集を担当させて戴き、とても時間のないなか様々なやりとりや、印刷立ち会いの現場からでも十分に伺い知ることが出来た。

写真展に間に合わせるために、一日足りともスケジュールの予備はない中の緊張した日々が続いた。

その間、二度も私が風邪を引いたことを思い出す。

 

ハード面に置いては公文健太郎さんは独特、独自の色合いを持たれている。

その風合いを出すことにとても苦労をした。

深み、重量感のありその中でコントラストを出すという、とてもハードルが高く、困難な作業であった。

この度もADの杉山幸次さんの見事迄の印刷版作りに委ねることが大であったことは言うに及ばすです。

杉山さんがいなくば、このような困難な作業はなし得なかった。

 

本日から「EMON PHOTO GALLERY」で2月13日まで写真展が開催されます。

是非、観に行って下さい。

会場には写真作品集「地に紡ぐ」が置いてあります。

 

※明日、16日〜19日まで、江成常夫写真作品集「TSUNAMI」の凸版印刷二平工場にて、印刷立ち会いのためブログは休ませて戴きます。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年1月11日 私たちはどこで感動しているのか・・・。

私たちは多くの芸術作品に触れたり、鑑賞したり致します。

また、様々な書物から知識を得ます。

私たちは実のところ、情報性よりも思想性の濃さに魅力を感じているのではないでしょうか。

 

様々な表現スタイルの中でも、写真表現は表層的にはとてもフラットな表現です。

そのフラットな表層であるからこそ思想性がより求められているのだと思います。

私たちは情報を得ることで、あたかも知識を得た気分になりがちです。

その情報すら間違っていることすらあります。

 

その情報の源はどこにあるのか、なぜその情報が出されたのかということを常に検証を致さねばならないと思います。

例えば、特に第二次大戦後期になるにつれ、マグナムの写真はプロパガンダの写真に色濃くなります。

プロパガンダの写真として見ると、それなりに楽しむことが出来ます。

それを戦争の最前線のリアルな写真として捉えることはとても危険です。

注視すれば同じマグナムのメンバーでありながら、ウィリアム・ユージン・スミスの姿勢とロバート・キャパの姿勢の違いが、良く理解出来ます。(何れの日か違いを書きます。)

 

0.3个砲睨たない印画紙の上に可視化された情報。

観る側の私たちは残念なことに先ずは、イメージが飛び込んで来ます。

それにともない解説書で理解を深めることになるのですが、作家の意図、意志までなかなか辿り着きませんが、作品を繰り返し見ていると、不思議なもので次第に自分なりに理解を深めることが出来ます。

何も同じ作家の作品でなくとも良いと思います。

様々な作家の、様々な作品を多く観ることが大切だと思ってます。

 

それが間違った解釈だとしても自分なりの解釈を鍛錬することが大切だと思ってます。

繰り返す習慣をもつことによって、作家の思想性が必ず理解することが出来始めます。

情報を得たことだけで満足をせずに。

観たことだけに満足をせずに。

解説書を読んだことだけに満足をせずに。

知識を得たことだけに満足をせずに・・・。

 

得た知識を自分なりに熟成させることがとても大切に思えます。

熟成とは得た情報をもとに作家の思想性まで探り深めることだと思います。

容易いことではありませんが、繰り返すことにより必ずや理解出来るようになります。

 

出来れば作家の方々に直接、話を聞くか、仲間たちとディスカッションをしても良いと思います。

 

もっと写真が楽しめることになると思う。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

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2019年1月10日 目まぐるしく変化している写真表現・・・。

デジタルの進化とともに目まぐるしく進化している写真表現と言いたいのだが、変化と言った方が今の高橋にはシックリトと来ると思う。

今日のデジタル作品の広がりを見て、可能性を見て、写真表現としてどこまで認識し、認めれば良いのかと思っている。

どう認識し、認められば良いのか高橋の中で戸惑うばかりです。

凄まじい早さで広がりを見せている。

国内外を含めて、特に美術系で学び写真装置で表現している人達の中で、自身を写真家と名乗る人がとても少ない。

それはそれとして認めるべきだと高橋は思っている。

 

最近感じるのは現代アートとしての写真表現。

何か造花の花を見せられているようで、付いていけないところがある。

花だけが、花びらだけが綺羅に見せようとしているのではないか・・・。

茎や根っこに繋がる部分がどうしても見えてこない。

 

茎や根っこがなくば花は咲かない。

表現には確りとした根っこの部分が必要なのに・・・。

ただ、ただ上滑りをしている作品が多く感じられるのは高橋だけの問題なのか。

それも含めて、全てが写真表現とし捉えるべきなのかとても最近悩んでいる。

表層の部分だけに注視し、拘り、駆使し可視化されているとしか見えない作品に何と言葉にすれば良いのか戸惑っている。

決してデジタル作品が悪いとは言う積もりもなければ、思ってもない。

デジタルだからこそ表現が出来る領域があることぐらい、理解している積もりです。

私が言いたいのはデジタルの便利さに使われないで欲しいと思っているだけ。

茎、根っこがより大切であり意識して欲しいと思っているだけ。

 

因に私は現代アートが大好きであることをのべておきたい。

写真表現での、現代アートの走りがけとでも言っても良いかも知れない。

フランスの女性写真家、サラ・ムーン(Sarah Moon)が大好きである。

彼女自身(1960年代)モデルとして活躍をしている。

どこが好きかと言えば、彼女の作品には強くメッセージを感じられるからだ。

作風は基本的には柔らかく、ピントもあまくカーラー、モノクロ作品に関係無く一見すると捕らえどころがない作品なのだが、とても力強さを感じる。

要するに茎、根っこが確りとしているからだと思う。

大地に力強く根をはり栄養分を十分に吸収し可視化されていることを感じる。

 

デジタルの進化にともない装置の使いごなしを楽しんだり、装置にただ委ねた作品は戴けないと思っているだけ。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

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2019年1月9日 日々様々なことに・・・。   

私たちは日々様々なことに触れ、出合い、感じながら生活をしていると思います。

知らず知らずの内に自身の損得だけを考え、頭を、心を過ったりと致します。

後から後悔しても反省しても「後の祭り」といったことを私自身、沢山経験をして参りました。

 

自身において損得とはなにものぞと、深く考えずに、「損」のことだけを考えて、意識せずに、行動に起こし失敗を重ねて参りました。

そもそも、損得だけで判断することがあれば長続は致さないと考えます。

どこか「人のため、世のため」という事を、日々自身の中で、言い聞かせながら、意識しながら生活をする事が大切ではないかと思います。

そもそも、人が生きる中で何が損で、何か得か解りません。

多くの場合「損得」の「損」はないと考えます。

後から振り返りその時は確かに「損」したと思ったとしても後から考えれば、私のためだったと言うことが気づきます。

 

ありがたいことに私の周りには「損得」を抜きに、接して戴いている方々が多くいられることはとても幸せだと感じています。

一日の仕事が終わり、家路につく間や、入浴中や、食事が終わった一時などなど、人の親切や、思いやりを振り返りとても至福感を感じることがあります。

 

全ての表現者は「損得」が先行する恐れを感じたとき意識して「損」の部分を捨て去る努力を求められているのではないでしょうか。

損得を考え始めますと無心で被写体向かう事や、自身のテーマが構築できないと考えます。

物事そのものが前に進みません。

人は悲しいことに常に善悪の岐路に立たされていると考えられます。

善悪の岐路に立たされていることを、自らが自覚し、意識して生きること、表現することが大切に思えてなりません。

 

そもそも「損得」などないはずだと思うことが大切ではないかと思われます。

そうすると心体がとても軽くなる、軽やかになる経験を幾度もして参りました。

人は鏡写しの人生だと思います。

他の出来事、他の人に問題があるのではなく、自分自身に問題があるのだと思います。

そう自分自身に意識させることが大切ではないでしょうか。

 

私を編集者に成りたてのころ、古山高麗雄先生の言葉を思い出します。

私が編集者になって間もなく、古山先生から言われた言葉です。

著者の先生が仮に校正を見落とし、原稿の不備があったとしても高橋さんが百分の一でも関係していたら、全て高橋さんの責任です。そう感じなければ、思う事が出来なければ、編集者として生きては行けませんと繰り返し教えて戴いた。

 

素直に被写体に対峙したいものです。

 

年末、東大寺別当・華巌宗館長(第207世)、清水公照先生より昔、戴いた書物も読み返し今日のブログに成りました。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

※1月9日=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「渡部さとる」氏、開催致します先着10名様。(本日のイベントに付きましては、お申し込みは終了させて戴いておりますので飛び込みでのご参加は、ご遠慮戴けます様お願い申し上げます。)

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま

す。是非、ご参加下さい。

 

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2019年1月8日 芸術の価値とは何か、美意識とは何か・・・。

美意識とは何か・・・。

年末、近代経済学の父と言われている「ジョン・メイナード・ケインズ」の資本論の概説書を読んでいたら面白い章があった。

 

その前に第一次大戦後のドイツへの高額の賠償請求について、ケインズは大反対をしている。

アメリカのモルガン・チェース銀行を始め大手銀行が戦備を目的として、多額のマネーをイギリスを始めヨーロッパ諸国に貸し付けていた。

その貸し倒れを恐れ、モルガン銀行を始めアメリカの大手銀行が当時のアメリカ大統領(トーマス・ウッドロウ・ウィルソン)に圧力を掛けた。

その結果としてドイツの国家予算40年間分に相当するとてつもない賠償金額が決定された。

ウィルソン大統領もドイツへの高額の賠償へは当初は消極的だったと言われている。

大手金融機関の圧力に屈指、ウィルソン大統領もドイツへの高額賠償に決断したと言われている。

ケインズは賠償問題の顧問として就任していたが自ら辞任している。

 

ケインズの言う様にドイツに高額な賠償責任を追わさなければ第二次大戦は置きなかったと言われている。

そのケインズが面白いことを書いた。

ある美人コンテストでのこと。

審査員に向かって二つのことを投げかける。

※審査委員に最終審査に残った6人の内、貴方が一番美しいと思える方を推選して下さい。

※一番、多く集まった方に人に投票した審査員には賞金を出しますと。

 

審査委たちは当初は自身の好みや、自身の判断で一番美しいと思える人に投票しょうと思ったのだが、「多く集まった方には賞金を出します」と聞いたとたん、他の審査委員が6人の誰に投票するのだろうかと忖度が始まり、もはや自身の審美眼がよりも誰に表があつまるのかと考え始めたとのこと。

 

更にケインズは話を進めている。

「芸術」も技術や表現力、説得力など、本質な芸術な要素を超えて、別次元で、どの作品が人気があるか、今の流行は、誰が評価したか、マスコミ始め露出度はという事で作品の価値が決定されると。

それが資本主義だと。

資本主義は基本的には数の論理だと。

数値が集まりプライスが高額になれば価値があり、価値が上がったと思い始める。

誠にそうだろうかと・・・。

ものの価値や芸術も含めて、価値は正しい数値で現せるのかと問いかけられている。

 

数だけに捕らわれては資本主義の本質を見失ってしまう。

勝手に数字だけが暴走してしまい、憶測が憶測をよび真の価値を見失ってしまう。

現在の金融取引や株価のことを連想してしまう。

 

この概説書を読んでいて思うことは今、無秩序に広がりを見せている写真表現。

誰でも容易く情報発信出来る今日。

真に写真表現とは何か、価値とはなにか。

一歩立ち止まり、冷静に考えることが大切ではないか・・・。

 

私たちも流行や権威付けられて作品に目も心もまでが、知らず知らずの内に洗脳され、誘導され価値付けをしているのではあるまいかと考えさせられた。

歴史を振り返ると「芸術」も「神聖な領域」ではなく、経済の仕組みや産業革命、大戦と深く関係して発展してきたことは間違いはない。

 

自身の審美眼を素直に確かめることが、アートを自分のものにして素直に楽しめることではないかと考えさせられました。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

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 作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま 

 す。是非、ご参加下さい。

 参加費=無料 

 

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2019年1月7日 知識と知恵・・・。

年末、年始にかけて数冊の本を読んだ。

知識と知恵についてぼんやりとではあるが考えていた。

知識は「知る」学問や見識を学び蓄積することに重きを置いている様に思う。

知恵は様々な体験や経験を通して生きるすべや、他の人への接し方を持ち合わせるのではないかと思える。

両方が必要なことは言うにおよばずだが・・・。

 

「頭でっかち」と言葉があるように、知識を得たことで全てが解る、理解でき見える始めると思えば大きな間違だと思う。

知識だけでは、私たちの日常の大切な喜びや悲しみ(喜怒哀楽)など肌や心で感じられないからだ。

美術の解説書の面白きなきところは、解説者自らの言葉、思想(知恵)が埋め込まれていないところに、あるような気がしてならない。

知識の羅列に過ぎない。

現象の羅列に過ぎないからだと思う。

 

私たちは知らず、知らずの内に知識を溜め込むことで、満足感を抱き喜びとしているのではないだろうか。

または優位感を感じているのではあるまいか。

しかし、知識も必要なことは間違いはない。

基礎が土台がしっかりとして居なければ建物は建てられない。

その意味で知識は必要だが・・・。

ただし「頭でっかち」で終わることが恐ろしい。

知識の累積が全てが解ったという気持になることが恐ろしい。

真の知識者は感受性が乏しいことに気づくはず。

 

知恵は日常の様々な体験や経験から生まれ、蓄積され生(なま)の表現として発していると思われる。

知恵は日常のなかで様々に変化をし、対応し即応出来る。

感受性が豊かになることは確かだが、その感受性だけで物事を判断すれば、とても危険性があることを自覚しなければせならない。

喜怒哀楽は人間として常に自身の中に潜んでいる。

喜怒哀楽なママで生きては生けていけないことをを自覚すべきだと思う。

喜怒哀楽のママに生きることは、他の人を邪魔したり、迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまうことを自覚すべきだと思う。

 

知識だけではものは生まれまれないと考えます。

知恵だけでも本当のものは生まれないと考えます。

「知識人」という言葉がありますが、真の知識人はは知識と知恵がバランス良くかみ合っている人ではないでしょうか。

知識と知恵が相俟って真の表現が生まれると信じます。

 

知識と知恵、意識して考えて見ることとも面白いかも知れません。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

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 参加費=無料 

 

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2019年1月4日 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

 

本日から渡部さとる写真展「IN and OUT」が始りました。

渡部さとるさんの写真展はギャラリー冬青での展示は10回目となります。

もう10回目かと言う思いと、まだ10回目なのかとの思いが交差致します。

 

この度の写真展「IN and OUT」は「写真家・渡部さとる」の現在進行形(ing)作品群だと思う。

作品そのものではなく、展示の思考が現在進行形(ing)だと思います。

更には未来への挑戦の証の展示だと思う。

 

ギャラリー冬青に展示されている作品だけを観ると「過去・現在」の作品に見えるのだが、作品群を凝視する中で「未来」へと挑戦を続ける、続けたいと言う写真家・渡部さとる氏の思いが伝わってくる。

とにかく新しいものの吸収、消化が早い作家であることは間違い無い。

渡部さとる氏は全てを肯定することから始る。

決して否定的ではない。

来るもの拒まずと言った姿勢が近くにいて何時もも感じ、思っている。

高橋にはなかなか出来ない心構え、窓口の広さである。

 

もの凄い早さで進化???、し続ける写真表現の世界。

渡部さとる氏はその中に身を自らを置き、ある時は投影をして自身との関係性を探り、自身の立つ位置を探ろうとされている。

その意味に置いてこの度の写真展の作品は意識的に過去・現在の作品を展示することで、未来への可能性を探ろうとしてると言えるのではないかと思える。

 

人は常に歩み続けている。

それぞれにスピードや歩み方が違えども一歩でも前に進みたいと願っているはず。

それは、まずは全てを肯定することから始るのではあるまいか。

否定すれば歩みはとまってしまう。

 

まずは、全てを受け入れ一歩前へ踏み出すことが大切に思えてならない。

渡部さとる氏と作品を前にして語り合うとき何時も感じることだ。

ある時は今、おきている現象面だけに捕らわれているのではないかと思うこともあるが、過去に今に、捕らわれ過ぎて一歩前に進めない、進まないことの方がもっと恐ろしいのではないかと高橋は思う。

 

この度の写真展「IN and OUT」はまずは作品群を観ていて戴き、作家・渡部さとる氏が毎日在廊されますので、作家と語らって下さい。

「観る、聞く、知る、語り合う」今迄、味得なかった体験がギャラリー冬青で体感が出来るはずです。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

※1月9日=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「渡部さとる」氏、開催致します先着10名様。

 作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま 

 す。是非、ご参加下さい。

 参加費=無料 

 

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2018年12月21日 今年最後のブログになりました。

今年も、思うがまま、気がつくまま勝手なプログを書いてまいりました。

これは単に高橋の独り言、たわごととして、お読み戴ければありがたいと思っております。

今日を持ちまして2018年度のブログは最後とせて戴きます。

 

いよいよ4K・8KTVの放送が始りました。

カメラメーカーも8K対応のカメラを開発中とお聞きしています。

留まることを知らないハイテクの時代。

NHKは既に16K放送を視野にいれているとのことです。

そのスピードは加速度を増して進化しています。

ハイビジョン、2K、4K・8K更には16Kと。

その時間はとても短縮されています。

 

加速度を増して進化する映像の世界。

写真表現はどのように関わりを持って行けば良いのか戸惑うばかりです。

写真とは何か。

根本的問題が今、問われている気が致します。

写真表現と分離するのか・・・。

映像も含めて写真文化として取り入れて行くことが大切なのかと・・・。

正直、高橋の心、頭の中はハムレットの様に揺れ動いております。

 

技術の進歩に表現者(写真表現者・批評家・評論家・キュレーター・観察する側などなど)はついて行けているのか、とても不安を感じます。

不安感を通り越し恐怖感すら覚えます。

ハード的に広がりを見せることは、表現をするうえで大切な要因の一つですですが、ハードに使われる、頼ることにはとても危険性を感じます。

自身の表現に最もあったハードと付き合うことが大切に思えてなりません。

 

現在、ますます現代アート化する写真表現を見て思います。

先ずは何を表現したいのかを自身の中でつぶやくことが大切に思えてなりません。

便利さや合理性に溺れることを危惧致します。

不便だからこそ、合理的でないからこそ自身の技術や思いが作品の中に埋め込まれるとも、あるのではないでしょうか。

 

何が出来るではなく。

何が写るではなく。

手軽さだけではなく。

便利さだけではなく。

 

今、何のために何が必要なのか。

自身とつぶやいて見てはどうでしょうか。

 

誤字、脱字が多く、拙いブログをお読み戴きましたことに感謝申し上げます。

 

来る年が皆様にとりまして、素晴らしい年でありますよう祈願させて戴きます。

 

※本日(21日)19時より、作家・竹谷出さんを交えましてクロージングパーティーを開催させて戴きます。

 是非ご参加下さい

 

※作家在廊日

12月21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログの上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 

 

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2018年12月20日 人は何のために、何故生き生かされているのかと思う・・・。

時々ではあるが、人は何のために、何故生き生かされているのかと考えることがあります。

今年は全国至るところで災害が起きた。

多くの方々の尊い命が奪われた。

幼い子どもから大人まで。

災害だけではない、交通事故や事件に巻き込まれて他界された方々も。

ニュースを見ていると毎日の様に不慮の出来事で他界されたり、命がを亡くされている。

人様の命の尊さがとても気薄になっていないかと恐ろしくなることがあります。

 

神様はどこで線引きをしているのかと、信仰を持たない私ですら考えます。

生きている者と、そうでない方々と・・・。

生き、生かされて者として何かを考え、多少なりとも行動を起こすべきではと・・・。

私たちは自身の感情や物指しで「怒り、憂い、歓喜」しているのではあるまいかと考えさせられます。

「一喜一憂」

知らず知らすの内に自分の物指しが正しい、考えが正しい、正義が自分にありと思い込み、そのあげく理屈をこね、主張しその主張自身が正しいと思い込んでいる節があるのではないてしょうか。

 

もし、生き、生かされるとしたら生かされている者として何かをなすべきではと考えます。

何かが自らが出来ることがあるのではないかと。

人間は万物霊長類の中で最も相手を理解する能力にたけているとお聞きしたことがあります。

 

1人でこの世の中で生きていけないことぐらい、解っている。

様々な恩恵を受け生活が出来ることぐらい、解っている。

例えば、写真表現者がカメラや様々な素材がなくば表現ができないように、私たちは恩恵の中で生かされていることを気薄になっていないかと、時々ではあるが鳥肌かたつ様な思いにかられることがあります。

 

働き対価として恩恵を受ける権利があると言うことであれは「人」としてこんな恥ずかしいことはないと思う。

一利あるとしても「人」として全てではないはず。

自身の立場を主張する前に「人様」のこと「相手様」のことを思いやり、一歩、自らが踏み出すことが大切なような気が致します。

気がしてなりません。

 

そこには自身のプライドや価値に縋り付き「人様」のことや「相手様」に傷つけてはいないかと、自身で意識して振り返って見ることが大切な気がしてなりません。

「自身のプライドや価値」がいくら程の価値があるものか、自らが検証してみることも大切なような気がしてなりません。

案外と、とてもチッポケで安物であったりするかも知れません。

その結果として大切な「人やチャンス」を無くしているのではないでしょうか。

 

義母を亡くし、今年様々な出来事があり、私は私なりに振り返って見て多くの原因は、私自身の一時的な感情やプライドから生じていることに多少ではありますが気がつきました。

自身の感情やプライドに埋没することは狂気に繋がることが恐ろしく思います。

 

今の高橋の心境を出来るだけ素直に書いた積もりですが、なにか収拾がつかないブログになりました。

 

※今週の金曜日21日19時より、作家・竹谷出さんを交えましてクロージングパーティーを開催させて戴きます。

 是非ご参加下さい

 

※作家在廊日

12月20日・21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログの上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 

 

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2019年12月19日 本日は・・・

本日はブログは休ませて戴きます。

 

※今週の金曜日21日19時より、作家・竹谷出さんを交えましてクロージングパーティーを開催させて戴きます。

 是非ご参加下さい

 

※作家在廊日

12月19日・20日・21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

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