2017年2月21日 写真は表層と表したものに・・・。

写真は表層に表して初めて価値が生まれる。

見る側には表層として表したものに対して、自由に見る権利があることを前提に考えておくことが、表現者には求められている。

ことを前提に・・・。

 

写真表現は携帯カメラを含め、写す、表す(ネット上)と言う行為は身近なものになっていることは衆知の通り。

何が芸術で何が芸術でないのかバリアが無くなって来ているのではと高橋は危惧している。

それだけに、表現者は表層に現れたものに対して息吹き吹き込み、言語化し、説明し、語る責任が問われて居ることを自覚するべきでと考える。

 

平たく言えば要するに自身の作品に対して能書きが必要であると言うこと。

「写真は見れば解る」と言った時代の言葉はもう死語。

自身の思想、哲学を植え付けてこそ、見る側に賛否の評価を得られる。

そうでなければ単に「もの」であったり、情報に過ぎない。

この作品がなぜアートなのかと語ることが必要であり求められている。

無論、語れば自ずと賛否の声が沸き起こる。

それに耐え得たものだけが、論破したものだけがアートとして生き残れるのではと・・・。

 

特に、写真表現を難しくしていることは他の芸術分野とは違い、カメラ装置(携帯カメラも含めて)の荒ましい開発、発達により、装置に委ねる処が益々多くなっていることだ。

よりビジュアルに。

より安易に。

より簡単に。

より早く。

表層として表すことが出来る。

 

それだけに作品制作には物語が必要だと感じている。

作品として語れない作品はだたの「もの」に過ぎない。

それには被写体との関係性を深く、強く、理解し自身のコンセプト(人格、思想)の中に落とし込むことが大切であると考える。

その上で表層として現れたものであれば語れるはず。

 

そこには賛否の声が沸き起こる。

その賛否の声こそアートの価値だと考えています。

 

過去の美術史が語る様に・・・。

 

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2017年2月20日 時々、思うことがある・・・。

高橋の写真を見るジャンルのcapacityはとても狭いと自身で思っている。

のだが・・・。

事実そうである。

ギャラリー冬青の展示にも多少現れていると感じている。

 

のだが・・・。

のだがの部分だがcapacityが狭いこといで、良いと思っている部分とそれではいけないと感じている部分と、柱時計の振り子の様に、頭も心も揺れ動いているが実情。

 

capacityが狭きことで、良きことは今、流行に流されることなく、迎合することもなく客観的に見えていると思っている。

capacityが狭きことで、その物指しでアートを楽しんだり、拒否したり、未来性を感じることが出来ているのではないかと、勝手に思っている。

capacityが狭きことで、想像も付かない表現方法や作品を見たとき、驚き、何故、何故なのと思うことが出来る。

 

capacityが狭きことで困ることは無意識の内に排除してしまうことである。

意識して排除をしていれば、それなりの理由付けをし、思考している時間が存在するからである。

無意識の場合、思考する時間すらない。

東京都写真美術館で行なわれた「杉本博司写真展」15分近くで退館してしまった。

感想を聞かれても賛否を論じられない。

なにも残っていないから。

 

でも、今、写真表現で何かが起っていることは肌で感じている。

それが何かと言えば言葉にならない、もどかしさを感じている。

 

日本には日本独自とも言える写真表現スペースが存在している。

公の美術館・メーカー系のギャラリー・レンタルギャラリー・コマシャールギャラリー。

それぞれに役目、役割りがあり存在をしている。

 

ギャラリー冬青は無論、コマシャールギャラリーとして表現をしている。

コマシャールギャラリーは他のギャラリーに無い役割り、役目を負おっているは当然。

私には銀塩作品が好きであったり、古典技法に強い興味がある。

ギャラリー冬青はcapacityが狭いからこそ、コレクターの方々や、写真家の方々に、その存在価値を見出して下さり今日まで継続してこられたと思っている。

 

その反面、疎かにすることにおいて、意識的にギャラリー冬青のコマシャールギャラリーとしての表現の幅を縮めているのではと思うことも少なからずやはあるのではと・・・。???。

若いスタッフの「湯本愛」さんを迎えてギャラリー冬青が、どう変貌して行くのか楽しみである。

 

高橋は高橋なりの物指しを持ってアートを楽しみたい。

そうでなければ、見えるものまでが見えなくなる恐れがあるからだ。

しかし、意識して今、起っている写真表現を感じて見たいと思う昨今。

高橋の物指しが長くなることを自分自身に期待をして・・・。

 

しかし、しかし決して迎合することは無い。

続きは明日・・・。

 

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2017年2月17日 20世紀に出現したアートを考えて見ると・・・

20世紀に出現したアート、平たく言えば「現代アート」。

フッと立ち止まって考えて見ると「ウォーホル・バスキア・ベッヒャー・ルフ」などなど数えきれない程の作家、表現方法が出現し、消えている。

 

近年、写真表現の上でもその勢いは留まるところはない。

見る側は思考するのに追いついて行けない。

私の場合、何を何処迄、理解をし、受け入れれば良いのか戸惑うばかり。

一つ言えることはグラフィティ・アートと言う土壌が無ければ「ウォーホル・バスキア・ベッヒャー・ルフ」等々も含めて、出現することはなかったのではあるまいかと言うことである。

 

美術は芸術は(芸術と言う言葉が現れて約200年と言われている、歴史は浅い)教会と言うスポンサーから、王家、貴族、特に1787年に始ったフランス革命以降、一般民衆(経済的成功者)へと移り変わる。

いつの時代にもスポンサーが存在していた。

 

近代になるとグラフィティ・アートと言う土壌が主体となっていることに気づかされる。

主催者側、評論家も含めて常に新しい「もの」を見出し価値を付ける。

私はその市場で評価された価値を無意識の内に受け入れ、見入り無意識の内に評価しているのではないかと恐怖感に教われることがある。

 

特に「芸術系で学ぶ学生」への影響は計り知れないものを感じる。

私も非常勤講師ながら教壇に立つ身として、教壇に立つ側が今、行なわれているアートの流動性ことを理解した上で若者と向き合っているのかと考える時、若者の行動を理解し許しているのか、理解をしないまま許しているのかと何時も問われて居る。

 

グラフィティ・アートが悪いとは当然ながら思って居ない。

ただ、面白いものは面白いと、面白くないものは面白くないと自身の中で素直に評価したい。

原美術館の篠山紀信展のように面白くないと。

 

高橋の内で素直にアートを楽しみたいと思っているだけ。

 

しかし、とても勉強をしないと大切な「もの」まで見逃してしまいそうで怖い・・・。

 

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2017年2月16日 昨日、ギャラリー冬青で「サロン」開催・・・

昨日、ギャラリー冬青で第一回目の記念すべき「サロン」を開催させて戴いきました。

現在、フォトグラファーハルさんの写真展を行なっていることから、現在迄の作家活動のことや、作品を構成して行くプロセスや被写体へのアプローチ等々を中心に語って戴いた。

その後、質疑応答に移り21時30分位に終了した。

 

この「サロン」の目的は写真のためだけのワークショプではなく。

また、写真家だけを対象にしているのではなく、写真を愛好している人や、コレクターの方々も交えて自由に語り合える「サロン」を行なって行きたいと考えています。

写真のことやアートのことを自由に語り合える。

 

参加者が自由に写真やアートについて語り合えたり、知識を得る場所、新しい生の情報を得る場所、知識の意見の交換会、或は作品の交換会などの時間としたいと思ってます。

その時間と場所をギャラリー冬青は提供しているに過ぎないと考えています。

主催者は展示作家でもなく参加者の全員が主催者です。

このサロンは基本的には第二水曜日19時〜21時と考えています参加者は自由。

会費無料。

また、近々に告知させて戴きます。

 

ギャラリー冬青の「サロン」は『参加者の参加者による参加者のための写真・アートの時間』です。

そのために、展示者の写真家との交流だけではなく「参加者どうしが自由にディスカッション出来る場所です」

ここから思わぬ発想や方向性がソフトにもハードにも発展して行くのではと期待しています。

 

写真やアートの文化の輪が広まればと思っています。

 

昨日は第一回目であり旨く機能した部分と、ギャラリー冬青の思いがまだ浸透して居なかったのではと思います。

参加者の方々の同士の語り合いがあれば、もっと楽しい「サロン」の時間を過すことが出来ると思います。

 

しかし、写真家・フォトグラファー ハルさんの写真家としての姿勢、人柄、覚悟、情熱が見えてて、その上ではとても有意義な時間を共有することが出来ました。

昨日は参加者15名の方々に参加して戴きました。

ありがとございました。

少しづつ発展していく、ギャラリー冬青の「サロン」をご期待下さい。

 

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ギャラリー担当の湯本です。

 

毎日ギャラリーに常駐し、作品を眺めて時間をすごしていると、

いろんなことを思ったり、考えたり、言葉が溢れてきたりします。

 

最近の社長のブームに便乗し、アラーキーを引用しますが、

わたしは彼の『東京は、秋』あとがきに書かれた、

「実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。」

という言葉がとても好きです。

 

写真が、撮られただけではなく、

写真家と鑑賞者の間のコミュニケーションの契機となることを祈って、

双方に楽しんでもらえる場所にしていきたいと思っております。

そして何より、自分が一番楽しみながら。

 

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昨日は、フォトグラファーハルさん自身によるお手製の甘酒を振る舞って戴き、楽しい時間を共有出来たのではと思います。

重ねてありがとうございました。

 

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2017年2月15日 渡部さとるさんからの便り・・・。

現在、写真アートフェアーだけでも毎年、世界の60カ所以上行なわれていると言われている。

5日間に一度は世界の何処かで行なわれていることになる。

 

ギャラリー冬青は1人でも多くの写真家の方々を海外で個展・グループ展開催をとの思いで活動をしている。

 

2014年からオランダからバス教授をお呼びして始めた「オランダ・ブレダフォトビエンナーレ」もその一つ。

2014年度はフォトグラファーハルさんがグランプリを(因に2012年はマーチングバワーさんがグランプリ)受賞された。

同じ時期にブレダのSBKギャラリーで権平太い一さんの作品が展示行なわれた。

2016年度は白井里美さんが招待作家に選ばれた。

 

現在、中国・上海の新しく出来た国立現代アート美術館でグループ展を準備中。

オーストラリアでも計画を。

韓国・プサンからも打診を戴いている。

 

この度の「ドイツ・ミュンヘン・Galerie Nischke」での渡部さとるさんの展示と、オランダSBKギャラリーでの権平太一さんとの2人展もその一貫。

ベルギーの「居場所」ギャラリーでも渡部さとるさんの展示が決まった。

アートフェアーに出展するのではなく、コマーシャルギャラリーで展示が出来ないかと模索をしている。

ギャラリー冬青の活動は海外でのコマーシャルギャラリーで展示出来ることを目指している。

展示することが大切だと思っている。

 

私の期限、2018年12月まで如何様な活動が出来るか、新しいスタッフの「湯本愛」さんとも相談をしながら模索し続けたいと考えています。

 

下記2通、渡部さとるさんからの便りです。

 

高橋様

ご連絡が遅くなりました。SBKギャラリーでのオープニングは権平さんと一緒に無事終了しました。大勢のお客さんに来ていただき、メインディレクターのかたにもとても喜んでいただき夕食会もセッティングしていただきました。作家としてとても大事に扱っていただいたと感じています。

権平夫妻の着物姿はとてもお似合いで華がありました。さすがですね。2人ともお客さんの対応に追われほとんど写真が残っていません。バスさんがあとで送ってくれるそうです。

バスさんにもパーティでは作品解説をかっていただき、また多くの関係者を紹介していただきました。残念ながら即販売には結びつきませんでしたが、時間とお金をかけても来てよかったと感じています。

ミュンヘンでもニッケさんにとてもよくしていただき、3月の写真展の詳細を決めることができました。メールでなんでも済んでしまう世の中ですが、実際に会って言葉を交わし一緒にビールを飲むのはとても大事だと実感しています。

今日は権平さんとアントワープのIBASHOギャラリーに行ってきます。写真集といくつかのプリントも持っていきます。

ではそろそろ支度をしますので、後は帰国後ギャラリーで報告します。残り1日楽しんできます。


渡部さとる
 

高橋様

今日権平さんと一緒に居場所ギャラリーへ行ってきました。
マルタインさんとアンネさんおふたりに出迎えていただき、お昼をご馳走していただきました。
"demain"の特装版をプレゼントしたところとても気に入っていただけました。
また"pranav"と"demain"の11x14のプリント合わせて30枚ほどを見せたところサブギャラリーで展示をしていただくことになりました。
帰国後写真集販売も含めたご相談をしに伺います。
次に繋がることができ、来た甲斐がありました。

渡部さとる
 

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2017年2月14日 今と言う時間を大切に・・・。

人生は「今に生きよ」と良く教えられ、聞かせれた言葉の一つ。

人間は命は限られていることは誰しもが衆知している。

だからこそ「今に生きよ」と。

今と言う時間を大切にと。

先日、写真家の土田ヒロミさんと写真についてお話をした。その中で私達の年になると当然カウントダウンを意識するよねと土田さん。

当然ですねと高橋。

今が大切だね、明日のことより今だねと土田さん。

そうですねと高橋。

 

「今に生きる」間違いない言葉、正しい概念だと思う。

この言葉の裏には過ぎ去った過去は戻らない「今に生きよ」と語りかけていると思われるが・・・。

しかし、この言葉には大きな落とし穴があるような気がしてならんい。

今があるのでは無く。

次の時間が約束されているのでは無く。

今、今なのであるが・・・。・・・。

 

何時も土田ヒロミさんの事務所から自宅に戻る時、とても至福感に溢れる。

どんなに激しい議論をした後でも必ずと言っていいぐらい、至福感を感じる。

 

それは、土田ヒロミと言う写真家が知識溢れる教養人であり、人生の教養人であるからであるからだと思っている。

過去の実績、体験、経験、努力の上に現在、写真家としての未来を見据えた活動をされているからこそ、土田ヒロミと言う人間に触れたとき多くの方々が至福感に浸ることが出来るのだと思う。

 

今に生きているということは、過去があるから今の自身の土俵の上で表現が出来ている。

過去の努力がなき者はそれなりの土俵しか存在しない。

努力した者ほど土俵は大きく、高く存在すると思う。

 

現在を楽しく豊かに生きられるのは過去の経験、体験、努力などなどが「今の自身を形成している」と考えるのではと思っている。

その上で多少の未来に期待が出来、現在の「今に生きる」ことが出来るのではと思う。

 

私達を豊に形成なさしめているものは、過去にどのような道を選び、学習を積んで来たかに大きく影響される。

その上で今、今と言う時間の大切さを実感できるのではあるまいか。

その上で多少の未来も見え始められるのではあるまいか。

 

誰しもがもち得る将来、未来のために「今」と言う時間が存在すると思われる。

 

恐らく私がサラリーマンで有り続けたら、現在の写真作品集表現はあり得ないしこの先もない。

凸版印刷の営業の猪野さん、AD担当の杉山さんともお会いすることは無かった。

過去の写真作品集に悩まされ、苦しんだだけ現在があり、未来に挑戦できる。

今では「世界で一番美しい写真作品集」をと目指している。

 

「写真作品集を芸術の花束として 世に送りだす」

私の変わらぬ思いです。

 

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2017年2月13日 写真作品集の制作は何時も難解の問題が・・・。

写真作品集の制作は何時も難解の問題が立ちはだかる。

今未だ、一度だって同じシステムで進行が出来たことはない。

何時も、何時も新たな壁が、問題が・・・。

 

本日、凸版印刷さんに入稿させて戴く竹谷出写真作品集、先週1週間、竹谷出さんの作品と向き合って来た。

編集は約1ヶ月程前位に、写真家・山下恒夫さんの協力を戴き、竹谷さん、高橋、弊社の湯本さんで終えている。

 

竹谷さんは現在名古屋に在住。

今回の竹谷出写真作品集は作品点数200点、総ページ数240ページ。

南は沖縄から北は北海道の大地まで、全国をご自身の作品のために歩かれている。

 

先々週、竹谷さんから作品を届けて戴き、凸版印刷さんへ入稿のための指示表を一作品、一作品に書き込みをさせて戴いたのだが・・・。

1.私が今迄、手がけさせて戴いた作品の中で「粒子」が一番荒い。

2.沖縄〜北海道。地域性だけではなく季節、風土も違う、それをどう表現すれば良いのか。

 一冊の写真作品集の中に。

3.長期の撮影のため被写体への想いも違う。

 プリントも違う。

4.「粒子」が荒い割にはコントラストが低い。

5.シャドー側が潰れ気味、どこまでシャドーを残すか。シャドー側をどこ迄、掘り起こすか。

6.ライト側の雲のボリーム感が足りない。

などなど、200点の作品と1週間向き合って来た。

 

その200点の作品に一作品、一作品に書き込みを入れさせて戴いた。

常に方向性は間違っていないか、竹谷出さんの想いは何処にとの、不安一杯の凸版印刷さんへの指示表作りであった。

全ての書き込みが終わったのが先週の土曜日。

 

本日、竹谷出さんに名古屋から上京をして戴き立ち会いのもと、凸版印刷ADの杉山さんへ一作品、一作品説明をしながらお渡しする。

200点の作品を入稿をさせて戴く。

竹谷出さんの被写体への想いに沿った指示表が出来ているかと、とても心配である。

竹谷出さんのテーマを表現出来たか、竹谷出さんのコンセプトの中に落とし込めたか不安は益々募る。

 

本日2時から凸版印刷ADの杉山さんにお渡する。

何度も、何度も見ている内に、書き込が増えて行く、増えていくに連れ、これを渡されたADの杉山さんの作業量が膨大になることは想像をさせて戴くと・・・。

今日も竹谷さんの想いをお聞きし書き込みは増えることだろう。

 

途轍もない作業量だ。

他の印刷所では到底無理。

他の印刷所では、絶対にこの様な手間ひまをかけた写真作品集を制作をして戴けない。

切り抜き、別版だけでも有に600カ所は超えると思われる。

(この事は別の日でも)

テストを3種類の用紙で出して戴いた。

今回はWトーンの2色刷り。

竹谷出さんはインクの色には納得されているが、高橋的にはグレーのブレンド(5色)インクは問題は無いが墨の色に多少赤みを増やした方が良いのではと思っている。

このことも竹谷出さんと相談を・・・。

 

本日2時から。

ただ、ただ竹谷出さんの想いに沿っていることを願うばかり。

 

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2017年2月10日 早いもので・・・。

5年前にギャラリー冬青と出版社としての冬青社を、2018年12月にクローズさせて戴くと宣言させて戴き、早3年が過ぎました。

残すところ後2年間。

具体的に言えば1年と10ヶ月。

 

皆様から良く聞かれることの一つに、2018年引退後にどうするのですかと。

「世界の美術館やギャラリーを巡って見たい等や、お茶、お花、料理」の勉強をしたいとか言ってはいるのだが、自分自身に言い訳していることだけは間違いない。

確かに行なって見たいとは思っているが、何がしたいのか確たる根拠はまだ見つかっていない。

考えてはいるのだが、考え始めると不思議と集中出来ない。

 

何故、集中出来ないかと思考して見るのだが、ギャラリー冬青と出版社としての冬青社でまだ遣り残していることがあるのではとの思いと、もう充分に遣り尽くせたとの思いが交差しているからではないかと分析している。

これもまた確かな答えではないかも知れない。

 

2018年12月。

時間は待ってくれない。

もの凄い早さで2018年12月が高橋に迫ってくる。

私の人生をどう考えるか、ギャラリー冬青と出版社としての冬青社の人生をどう考えるか日々の中で心は、魂は揺れ動いている。

 

運動選手が肉体的衰えや精神的にと引退を表明するが、アートの世界にも物理的引退はあるのかと言い訳じみたことを考えては見るが実のところ楽しくはない。

「心・魂」が揺れ動く日々が続いています。

 

ある人と出会い、思わぬ方向性が見つかるのではと希望を勝手に脹らませている。

 

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2017年2月9日 こんな声を良く聞く、代表して苦言を呈したい。

カメラメーカー系や企業のギャラリーが日本の場合は多い。

カメラメーカー系のギャラリーが多く存在しているのは日本の写真文化の特徴の一つ。

そこには、幾人かの審査員が存在している。

 

公募に応募し漸く展示することが出来たのだが、審査員が作品展を見にこない。

殆ど見に来ないといって過言では無い。

審査したとき限られた時間内で見る、作品からの感じ方や見え方と、展示された時の作風は違って見える。

 

ギャラリー冬青においてもそうである。

ポートフォリオで見た作品と、展示したときの作風は全く違う。

違って当たり前だとも思っている。

 

公募に受かり展示された作品について、展示者はコメントを聞きたいはず。

一番聞きたいの審査委員からの生の言葉ではあるまいか。

どの様な思いで公募しているのか、公募者側の気持ちを考えて欲しい。

幾度もトライを重ね漸く展示出来た作品。

審査委員は自らの立場を理解し展示者に伝えるべきだと考える。

審査のための審査であれば、審査委員を辞退すべきと考える。

 

主催者側にも苦言を。

そんな審査委員のあり方を許していること事態おかしいと思う。

そんな審査委員を審査委員にしていること事態が変だろう、異常事態と思わないのかと考える。

不思議でならない。

 

企業は何のために公募展を開催し「賞」まで出しているのか。

目的は何なのか。

不思議。

不思議、不思議。

不思議、不思議、不思議。

と、思っているのは高橋だけなのだろうか。

 

■2月15日(水曜日)19時より写真のことやアートの様々なことについて「サロン」を開催致します。

参加費無料。毎回先着15名。(後6名)

今回のゲストはフォトグラファー ハルさんにお願い致しています。

この試みはアートをより楽しむためのフリートークショーです。

誰でもが自由に語り合える時間、スペースです。

月に一度、行なって行きたいと思います。

写真をアートをより楽しめたら良いと思ってます。

電話03-3380-7123かギャラリー冬青にメールでお申し込み下さい。

 

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2017年2月8日 驚いた、相模原賞の受賞写真展のオープニングに・・・ 

昨日、相模原市が主催する相模原賞の受賞写真展プロの部門のオープニングに参加させて戴いた。

会場は新宿ニコンサロン。

船尾修写真作品集「フイリッピン残留日本人」(林忠彦賞とのW受賞)(冬青社刊)の展示とオープニングパーティー。

 

驚いたと言うのは主に二つ。

相模原賞の審査員が一人も出席していないこと。

今、地方自治体がアート文化をひろめようとしている。

基本的には。

中心的メンバーの筈の審査員が一人も参加していないことに驚いた。

何を持って写真文化を系譜し広めようとしているのかと会場にいて憤りと強く考えさせられた。

 

もう一つは出席者の高齢化。

私が非常勤講師を務めさせて戴いている、京都造形芸術大學の写真コースの生徒さんは増え続けている。

授賞式には出来る限り出席をしているが、若い特に女性の写真家の参加者が少ない。

その中でも写真家・萩原義弘さん(日本大学芸術学部写真課の講師)が生徒さんを3人連れて来られていた。

何故か救われる気持になった。

萩原義弘さんの様な写真家も居られることに。

また、参加された学生さんに敬意を払わなければと会場にいて思った。

 

双方に問題があるにしても・・・。

主催者側も「賞」の意義、意味、目的を若い世代の方々に広報を積極的に行なうべきと考える。

新人賞とあるにも関わらず若い写真家の方々が出席がとても少ないのは何故か・・・。

 

それにしても、審査員が一人も出席されていない・・・。???。

 

どこか、おかしい!!。

 

■2月15日(水曜日)19時より写真のことやアートの様々なことについてサロンを開催致します。

参加費無料。毎回先着15名。(後7名)

今回のゲストはフォトグラファー ハルさんにお願い致しています。

この試みはアートをより楽しむためのフリートークショーです。

誰でもが自由に語り合える時間、スペースです。

月に一度、行なって行きたいと思います。

写真をアートをより楽しめたら良いと思ってます。

電話03-3380-7123かギャラリー冬青にメールでお申し込み下さい。

 

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