2019年9月14日 生き様が・・・。

写真表現は写しての「生き様」が色濃く可視化される。

先ずは、写真表現は写しての「生き様」が色濃く可視化され、強く反映されることを認識するべきだと思う。

ロバート・フランク氏の写真をスナップ写真の大御所、名手だと表現する批評家や評論家多くいる。

 

高橋的にはロバート・フランク氏の写真をもってスナップ写真という考えには、以前より大反対であった。

ロバート・フランク氏の写真はドキュメンタリー写真だと思っている。

その根拠は、社会を深く切り取るロバート・フランク氏の眼は、常に社会との関係性のなかで可視化されてきた。

単なるスナップショット写真ではない。

 

誰が観てもフランクの写真と理解出来る。

正しくロバート・フランク氏の生き様そのものが可視化されている。

ナチが台頭し始めたころ、フランクは両親がユダヤ人で母親のパスポートでスイスに亡命をしている。

 

一昨日、「気品」について書きましたが、正に「気品」「品格」とはその人の持つ「生き様」そのものだと思う。

写真表現の恐ろしいところは、「生き様」そのものが反映され可視化されることだ。

このことを理解しなければ写真表現者は充実されない。

充実感も満たされない。

ごまかしなどあり得ない。

不思議なものだ技術だけでは作品には自身を反映されない。

 

写真表現の技術ばかりを鍛錬するのではなく、自身の人間力も両輪のごとく充実されなければならない。

写真史に残っている作家の作品は何時観ても新鮮。

賞味期限などあり得ない。

時代を切り開き、時代とともに現代の私たちに魅了しつづけてくれている。

 

「生き様」そのものが可視化されていると思う。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年9月12日 写真界の巨匠、ロバートフランク氏が他界・・・。

昨日、小用で西新宿にある星野寿一さんの事務所にお伺いをさせて戴い。

星野さんより、ロバート・フランク氏が他界したことを教えて戴いた。

家に帰り直ぐさまネットで検索をするとCNNニュースが下記のこと伝えていた。

 

(CNN) 20世紀に最も大きな影響を与えた写真家の1人、ロバート・フランク氏が死去した。94歳だった。

同氏の作品を扱う美術商のピーター・マクギル氏によると、フランク氏は9日にカナダのノバスコシア州インバネスで死去した。

「ロバート・フランク氏は世界の米国に対する見方を変えさせた。率直で並外れた能力をもつ移民の目を通し、我々のありのままの姿を見つめた」。マクギル氏は電子メールにそう記した。

スイスで1924年に生まれ、23歳の時に米国へ移住して、ニューヨークで雑誌「ハーパーズ バザー」のファッション写真家として働き始める。

代表作となった写真集「アメリカ人(原題:The Americans)」は、最初にフランスで「Les Americains」として1958年に出版された。同作品は、米全土を横断しながら米国人の日常生活を撮影した写真の集大成だった。

=1955年、ニューオーリンズ/© Robert Frank from The Americans / Courtesy Pace/MacGill
=1955年、ニューオーリンズ/© Robert Frank from The Americans / Courtesy Pace/MacGill

当時一般的だったカラー写真ではなく、白黒で撮影した写真は当初は評判が悪く、米国で出版社を見つけるのは難しかった。

暗く無造作な印象の写真は、1960年代の「スナップショット・エステティック」の台頭につながった。

=1955年、サウスカロライナ州チャールストン/© Robert Frank from The Americans / Courtesy Pace/MacGill
=1955年、サウスカロライナ州チャールストン/© Robert Frank from The Americans / Courtesy Pace/MacGill

1959年に米国でグローブ・プレスから出版された「アメリカ人」は、フランク氏が米国を旅しながら撮影した3万枚近い写真の中から83枚を選んで収録。今ではフォトジャーナリズムに革新をもたらした作品として評価されるようになった。

 

星野さん曰く、私たちが清里ミュージアムに観にいったのは何かの縁ですかねと・・・。

正直に言うと、今回の写真展は積極的に観に行くつもりはなかった。

しかし何故か、とても気になっていたことは確か。

 

「当時一般的だったカラー写真ではなく、白黒で撮影した写真は当初は評判が悪く、米国で出版社を見つけるのは難しかった。」とある。

何時の時代でも写真集を出版することは難しいのだと改めて思う。

考えさせられる。

写真集「アメリカ人」は最も版を重ねられた写真集と言われている。

でも・・・。

でも、でもと思わざるを得ない。

インターネットが充実した今日だからこそ、写真集の重要性は増していると考えるのは私だけなのか・・・。

この様なことになるのであれば、月曜日のブログはと反省しています。

正に写真界の巨匠が他界された。

なぜ、一般的なニュースとして流れないのかと・・・。・・・。・・・。

昨日、星野さんよりお借りした写真集「アメリカ人(原題:The Americans)」を観ている。

後日、感想を・・・。

 

写真表現の片隅にいる者の1人として、心よりご冥福をお祈り致します。

 

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2019年9月11日 何を撮っても美しいく、気品が・・・。

不思議である。

その人が撮れば、何を撮っても美しく、気品高く見える作品になっている。

その気品に酔いしれることがある。

不思議である。

同じ被写体に向き合いながらも、その人が撮れば何故か美しく、気品に溢れた作品に仕上がっている。

不思議である。

撮るものがどんなにが汚れていようと、お花のように美しかろうと被写体に関係無く、美しく、気品に溢れいる。

不思議である。

多少は技術的なこともあるやも知れないが、技術的なことに関係無く、美しく、気品を感じる。

不思議である。

私たちが美術館などで作品を観たとき、時代を超えて気品に満ちた作品と出会うことがうる。

不思議な、なんともいえない良き体験をするときがある。

その様な作品と出会ったとき、この気品はどこから来るのだろうかと立ち止まり考えることがある。

無論、この真逆な作品も出会ったとき残念に思うこともある。

 

おそらく表現者の日々の生活の有り様が大切に思える・・・。

おそらく表現者は日々の生活を心豊かに過ごしているのではと・・・。

おそらく表現者は何ごとにおいても自分自身に正直に生きているのではと・・・。

おそらく表現者の日々の環境からくるのではと考えてもみる・・・。

様々なことを考えさせられる。

 

私たちの最終的に可視化されたものがタダ、美しいだけではなく気品が漂う作品でありたい。

日々のあり方、過ごしかた、触れかた、見たかた、思いかた、考えかたが大切だとと思われてならない。

 

気品はその人が自然と身に付け、無意識の内に蓄積されたものが自己表現として現れるのではと考えている。

気品とは教わるものではなく自然と身に付け、無意識の内に蓄積されたものと考えます。

良きもの、良き人に触れることが大切に思えてならない。

 

三菱一号館美術館で行われている「MARIANO FORTUNY」展をある方に勧めら観にいこうと思っていたら昨日、午後3時頃に写真家・若林勇人さんが「MARIANO FORTUNY」展の招待状を持って来館戴いた。

若林勇人さん曰く「MARIANO FORTUNY」展の会場には気品に溢れ満ちていたと。

是非、観に行こうと思う。

気品を体感してこようと思う。

 

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2019年9月10日 なぜ、写真集や写真展が必要なのか・・・。

なぜ、写真集や写真展が表現者には必要なのか。

一言でいえば、自身のテーマに対して一つの区切りを付け検証をすることが出来るからです。

写真表現は区切りを付けることが大切に思えてなりません。

一端、区切りをつけ検証することにおいて、続けることの意味、新たなアプローチの発見に繋がりと考えます。

 

それには写真集の制作や写真展が望ましいと思われます。

無意味にエンドレス的に続けていても、得るものは少ないると考えられるからです。

写真展は公共施設や美術館、商業ギャラリー(コマーシャルギャラリー)で展示することをお勧め致します。

自身でトライして見て下さい。

トライするイメージと勇気を持つことが大切に思えてなりません。

今、東京都写真美術館で行われている「しなやかな闘い」(ポーランド女性作家と映像)を観て、さらに更にそう思い、考えを深めています。

特に(N017ブースのビデオ)

 

写真集の制作には良き編集者を見つけることです。

良き編集者を見つけることは大変、難しいと思われますが自身にとって良き編集者とは・・・。

その編集者と自身の持つテーマに付いてとことん話し合うことが出来ることです。

さらには自身のキャラクターをも理解して戴くことも大切かも知れません。

編集者やデザイナーの一方通行はあり得ません。

また、表現者の一方通行もあり得ません。

ディスカッションが出来る編集者やデザイナーを見つけることが、大変大切な重要に思います。

編集が疎かな写真集は時間とお金の無駄となります。

 

私自身を顧みれば、表現者とディスカッションが出来ず、ディスカッションが行き詰まり、途中で写真集を断念致したことが幾度もあります。

逆に、とてつもない時間を要し最終的には日の目を見たことも。

 

写真集の制作や写真展は表現者にとって検証の始まりであり、一端区切りを付けることで自身のテーマの意味合い、大切さを教えてくれる切っ掛けとなるはずです。

 

自身で公共施設や美術館、商業ギャラリー(コマーシャルギャラリー)を見つけ、良き編集者を見つけて下さい。

新たなテーマへの扉をあけることに繋がると信じます。

 

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2019年9月9日 ロバート・フランク展を観に・・・。

昨日、星野寿一夫妻、フォトグラファーハル夫妻と高橋とで清里ミュージアムで行われている、ロバート・フランク展を観に行った。

高橋のたっての願いで「海岸寺」さん(星野寿一さんの大切な被写体の山梨県にあるお寺さん)を案内して戴き、清里で昼食と美味しい地ビールに舌包みをうち、ロバート・フランク展へ。

ドライバー役のフォトグラファーハルさんには申し訳なく思いつつも・・・。

このビーフカレーとビルーが実に旨い。

また、マッチングも素晴らしいかった。

 

「海岸寺」さんは大きな森の中に包まれ静寂の中にお経が流れて来た。

どなたかの法要かも知れない。

多くの石仏が立っていて、どのお顔も素晴らしい。

微笑みのお顔や悟りのお顔ばかりではなく、泣き出しそうなお顔や怒りのお顔などが境内に佇んでいた。

心身をお清め戴いた感が強い。

 

ロバート・フランク展へ。

会場に入り、写真を見ていると写真ワーク(仕事技)が以外と下手だと思っ見いいっていた。

「写真家ロバート・フランクは、世界で最も重要な写真家の一人として、多くの同世代および後進の写真家に影響を与え、そして現在も、世代を問わず熱烈に支持されている写真家です。」

と、カタログに記してあった。

 

このこと位、高橋ですら知っていると思いながら・・・。

なぜなのかなと思いで観ていた。

一つのことに気づいた。

ロバート・フランクの眼は鷹の眼に似ていると思った。

その眼は鋭い。

社会を人物を切り取るフレームワークの素晴らしさに気ずく。

その瞬間をシャッターを切っている。

その瞬間は「決定的な瞬間でもなく、写真家自身が「何かを感じたら撮る」とカタログにあった。同意、同感致します。

何を狙っているのか、何を切り出したいのかが明快であり瞬時に伝わってくる。

技術的(フイルム現像・プリント現像・露出など)には受け入れられなかった。

 

写真集「アメリカ人」は世界で最も版を重ねられた写真集だといわれている。

1947年フランクは23歳でスイスからアメリカ・ニューヨークへ移住し、写真家としてのキャリアをスタートしている。

恐らくフランクはスイス人としての眼から、アメリカ社会が異様な世界に見えたに違いない。

アメリカ社会を切り取る眼は鷹の眼のように鋭い。

フランクの眼が技術的なことを超越して、現在観る私達に強く影響を与え続けているのだと思う。

時間がそうさせるのか、時代がそうさせるのかロバート・フランクの写真からは色気が強く伝わってきた。

 

写真を学ぶ人たちへ・・・。

ロバート・フランクに憧れを持っても良いがマネをしても意味がないと思われる。

自身を見失うことの恐ろしさを感じる。

94歳。現役。

高橋にとってロバート・フランク展を観ることは最後になると思う。

もう十分に観たという感が強い。

 

私にとって久しぶりに英気を養う一日でした。

星野寿一夫妻、フォトグラファーハル夫妻ありがとうございました。

 

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2019年9月6日 東京都写真美術館へ・・・。

一昨日、東京都写真美術館へ「しなやかな闘い」(ポーランド女性作家と映像 1970年代から現在へ)を中心に観に行った。

NO17、ブースでのビデオに観いいってしまった。

2.5回も見てしまった。

女性作家たちのインタビューと共に、フリーキュレーター・評論家・美術史家、美術館のキュレーター・商業ギャラリーのインタビューが流されている。

 

本当に見いいってしまった。

商業ギャラリー(コマーシャルギャラリー)で、展示をしたいと、考えている方々には是非、見て戴きたい。

また、コマーシャルギャラリーを運営している私の立場から云えば絶対に見るべきだと思う。

彼女らが少ないチャンスを(商業ギャラリー・美術館での展示)掴み取り、生かし、パホーマンスを繰り広げてきたことか生々しく語られている。

商業ギャラリー(コマーシャルギャラリー)で、展示をしたいと、考えている方々は絶対に観るべきです。

 

作家ナタア・LL嬢のバナナをモチーフにした話はとても面白かった。

本日のブログの内容から外れますのでまたのチャンスに書きます。

彼女らが商業ギャラリーと美術館を同等に認識していることに驚き、感銘も受けた。

彼女らの商業ギャラリーへの思い、尊敬、憧れの場であることが強く伝わってくる。

専属の商業ギャラリーを持つことの大切さ、意味の深さがヒシヒシと感じてきた。

真剣の度合いが違う。

パホーマンスの度合いが違う。

何もかもが今日に繋がる話であり、寧ろ新鮮さを感じた。

 

彼女らが1970〜1980年代後半まで、(現在も続いているという関係者の感想もビデオで流れていた。)女性アーティストの活躍、発表するスペース、場(商業ギャラリー・美術館共に)がとても少なかった。

理由は解らないと・・・。

(それぞれの立場、立場の人は理解してると思った、ビデオをみながらそう感じた。)

何故か女性アーティストの活躍、発表するスペース、場なく、唯一、ニューヨークの女性2人が運営をしている商業ギャラリーがあり、そこで多くの女性アーティストは発表していたと・・・。

 

ギャラリー冬青を振り返ればギャラリー冬青も極端に女性作家は少ない。

一年間に一人いれば良い方だ。

本当に少ない。

寧ろ、女性作家がいない年の方が多い。

偶然かも知れない。2020年には二人の女性写真家の写真展をさせて戴くことになっている。

しかし、反省をしなければならないとビデオを見ながら思いました。

 

繰り返します。

商業ギャラリー(コマーシャルギャラリー)で、展示をしたいと、考えている方々には是非、見て戴きたい。

絶対に観るべきです。

男性、女性のアーティストに関係無く・・・。・・・。・・・。

観るべきです。

 

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2019年9月5日 イスラエル・アリーノ写真展「グラヴィティ オブ プレイス」明日から・・・。

私が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

イスラエル・アリーノ氏の作品はなんとも言えぬ、美しいグレーの世界が無限大に重みを持って広がりを見せている。

本人が語る「“暗闇”」の中に静かに耳を澄まして佇んでいれば、何かが見え始め形となり現れてくる。

 

イスラエル・アリーノ氏の作品を見て思うことがある。

テーマ性はもとよりであるが、そのテーマを増幅させてくれるのは確かな技術力だと思わざるを得ない。

素晴らしい暗室ワークである。

その職人技がイスラエル・アリーノ氏のテーマをより深く、高く、幅広くしている。

テーマが先か、技術が先か、時として議論がなされることがあるが、表現者は両方が大切なぐらい周知している。

しかし、高橋的に言えば先ずは確かな技術を修得して欲しいと願う。

技術、

そうして技術、

さらに技術、

装置の知識、素材の知識、写す技術、暗室の技術、セレクトをする技術、などなど。

先ずは技術から。

と、思っている。

で、なければ世界マーケットへとは向かえない。

 

イスラエル・アリーノ氏はスペインの芸術大學で教授として教壇にたたられている。

イスラエル・アリーノ氏の、この度のテーマ「グラヴィティ オブ プレイス」確かな職人技のもと、氏が語る「夜(暗闇)は、発見、神秘、喜び、象徴的 な空間を想起させる」世界感が十二分に表現されている。

私がブログで語る引力がある作品、重力が感じられる作品。正にこのことかと感じざるを得ない。

 

「“暗闇”」グレーゾーンの世界がギャラリー冬青の空間に静かに、静かに落ち着きを持って広がっている。

ギャラリー冬青の空間でご自身の居場所を見つけて下さい。

なにか、形が見え始め音までが聞こえてくるかも知れません。

 

「グラヴィティ オブ プレイス」はブルターニュのDomaine de Kergue´hennecにて
レジデンスをしていた時期に誕生したプロジェクトである。
このコンテンポラリー・アートセンター周辺の土地には30基以上もの彫刻があり、
かつて此処で過ごしたアーティスト達の痕跡、彼らの記憶や意義がこの地に刻まれている。
本シリーズで追求したものは“暗闇”による感情的繋がりの本質、表現の可能性における限界、
現実の知覚としての“場所”という概念である。
夜(暗闇)は、発見、神秘、喜び、象徴的 な空間を想起させ、
我々が実際に目で見ている以上のものを想像させる。
我々はマインドの世界、感知出来ない、偶然の領域に入っていく。
合理的というよりは感覚的であり、ページをめくるごとに表れては消えて行く、
無形のエレメントに満ちている。

                                      イスラエル・アリーノ 

 

 


2019年9月4日 「意識」と「課題」について・・・。

昨日のブログは「自身の課題もキット見つかります。」で終わりましたが・・・。

表現者はつねに「課題」をもって被写体にテーマに迫らなけばならないことを、求められているのではないでしょうか。

「課題」を見出すには常に「意識」をしておかねばならないと考えます。

過去からの芸術家たちは自身のテーマ(被写体)に「意識」を致し「課題」を見出しては試行錯誤を繰り返して参りました。

 

ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」でも幾度もダ・ヴィンチ自身が手を加え、今日の姿になっていることは周知の通りです。

ダ・ヴィンチはどんな思いで最後まで「モナ・リザ」(別の2作品、計3作品)とともに持っていたのでしょうか・・・。

「モナ・リザ」の研究は現在もなされ、関連書籍は世界中で120万冊を超えるともいわれています。(確かではありません。)

ダ・ヴィンチとって実は「モナ・リザ」はまだ未完成の作品ではなかったのかと解く研究者もいます。

話が大きくなり過ぎました。

 

昨日も書きましたが「意識」するということは、一つには自身の内なるものに「課題」を見出し、その「課題」にさらなる「意識」して、向き合うことではないでしょうか。

他の芸術表現より「決めてしまえば」、写真表現ほど早く可視化されるものは、他にありません。

決めるまでが大変なんだと語る写真表現者も多くいることは確かです。

この問題は今日のブログの内容に多少外れますので後日に書きます。

 

「課題」を見出しすことが大切です。

その「課題」の解決策を見出すことは次の一歩に繋がるはずです。

それこそが、自身の進化であり進歩ではないでしょうか。

「意識」と「課題」は一連の動作であるのではないでしょうか。

「意識」しなければ「課題」は見出せません。

「課題」の積み重ねが可視化された作品には引力や重力を持った作品になるとのではないでしょうか。

「課題」を見出すことはハードの面でも模索が始るはずです。

この装置で良いのか、このフイルムで良いのか、この紙で良いのかと様々なことに思いを馳せることになります。

「意識」する「課題」が見える。

この繰り返しはハード、ソフトともにスパイラルの様に一段、一段、次のステージにあげてくれると信じます。

 

苦しくなり「課題」から逃れたりすることがあるかも知れません

そのときは、なぜ「課題」から逃れたいのかと、いうことを意識して下さい。

逃れたい理由は人それぞれに違うと思われます。

 

或は日々においても変化する、こともあるかも知れません。・・・。・・・。

「課題」の克服こそ、次のステージに自身を導いてくれると考えます。

「課題」がは表現者にとって、とてもありがたいこであり進化、進歩の一歩であるはずです。

 

「意識」することが「課題」を見出す切っ掛けとなるはずです。

多くの自分自身への「課題」を持つことが大切に思えてなりません。

 

●トークショーのお知らせ

※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

 

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2019年9月3日 写真表現は意識することが・・・。

写真表現は写真を撮るということは、意識することがとても大切なファクターだと思う。

自身のテーマであったり、被写体に思いを致していることに意識することがとても大切に思われて仕方がない。

 

でなければスマートフォンの思いつきの写真となんら変わらない。

逆のことをいえば、今日的スマートフォンであれば、意識すれば十分に作品になるかも知れない。

「5G」になれば可能性はもっと広がるかも知れない。

「5G」が来年にはもっと身近なものになり、見れるという行為よりも、写すという行為方が一変されるのではないかと考えます。

 

デジタルの進歩、進化はメーカー規模の範囲に納まらず、国家規模の覇権争いの様相が見え隠れしているのは高橋だけなのでしょうか。

デジタル表現は表現者の意識を超えて現れてまいります。

早い者勝ちといった悪口も飛び変わってもしかたがないかも知れません。

 

だからこそ、写真表現は写真を撮るということは、意識する行為は欠かせない行為に思えてしかたがありません。

意識なくば単なる記念写真であったり、単なる記憶写真であったり、単に記録写真であったりと致します。

 

私は特に新聞社系の報道写真が好きです。

東京都写真美術館での報道写真展には欠かさず、観に行く様に致しております。

展示してある写真が全てとはいえませんが、中には明らかに写し手が報道の枠を超えて「意識」して撮っていると思える写真と出合うことがあります。

輝きをもって私達に語りかけてくれます。

 

自身のテーマであったり、被写体に思いを致していることに意識することがとても大切に思われて仕方がありません。

なぜ、撮るのか。

なぜ、なぜ、撮るのか。

なぜ、なぜ、なぜ、撮るのか。

 

なぜ、撮らぬばならないのかに意識することがとても大切に思えてなりません。

哲学とか難しく考える前に「意識」して・・・。・・・。・・・。

自身の課題もキット見つかります。

 

●トークショーのお知らせ

※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

 

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2019年9月2日 書店さんに行こう・・・。

昨日、TVを付けたらニューヨークの書店さんの話が流されていた。

ニューヨークでも書店さが減っていて独立系の本屋さんが多少、増えているとの話・・・。

 

2014年に19.000店あった書店さんが、2019年の今、とうとう10.000店を切ってしまった。

たった5年間の内に・・・。

スマートフォンやネット検索、通販などで益々、便利になった分だけ書店さんにも行かなくなった。

昔はどの街にも数件の本屋さんがあった。

 

私の住む中野の北口でさえも、小さな本屋さんが10数件もあった。

親父さんや女将さんとの団らんをすることが、とても楽しかったことを思い出す。

知識も豊富であった。

沢山なことを教えて戴いた。

私の家の近くの古書店(今はありません)写真集が入るたびに親父さんから電話が入り、私が目利きをして値札をつけさせて戴いたことなどを思い出しす。

無論、しめたと!!。思う写真集は私が購入、プライスは???。・・・。

とても楽しかった。

沢山の写真集を買わせて戴いた。

今は私の宝物。

とても良い文化の香りが小さくする、ちょうど良い散歩コースであった。

 

読者・書店・取次ぎ・出版社・編集者・著者この6者の構図が根本から崩されようとしている。

この構図は江戸時代から続く構図。

特に浮き絵などは町民に愛され、親しみをもたれて、絵師たちは版元に所属し描いたり、描かされたりとしてきた。

 

その文化が根本から失われようとしている。

書店さんの廃業とともに出版社の廃業もとても目立つ。

それにともない出筆者たちも表現の場がとてもなくなっている。

単なる活字離れなど言ってはいられない。

私たちの身近な文化そのものが消えつつある。

 

私たち、一人、一人が支えなければならない。

気がつけば「本屋」さんが街から消えて、とても寂しいことに気づく。

責て「本」ぐらいネットではなく、「本屋」さんに行って買おう。

読者・書店・取次ぎ・出版社・編集者・著者この6者の構図を文化として守りたい。

 

「本屋」さんから「本」を・・・。

 

●トークショーのお知らせ

※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

 

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