2016年12月6日 写真を楽しみたい、アートを楽しみたい・・・。

私達は写真を楽しみたい、アートを楽しみたいと思い、美術史をかじったり多少、書物を開くこともあります。

20世紀美術史だけでもキュビズム、表現主義、未来派、ダダイズム、ロシア構成主義、日本で開花したもの派などなど前衛アートを理解することにおいて、より写真とアートを楽しめることを実感することがあります。

が・・・、・・・。

最近、本当に写真とアートを楽しんでいるのであろうかと思う時があります。

単に、写真とアートを理解致そうとしているだけでは無いか、無理矢理に理解を深めようとしているのでは無いかと、不安に陥ることがあります。

最近で言えば東京都写真美術館の杉本博司展・近代美術館のトーマス・ルフ展を始め、何のための展示なのか、何のためのアート表現なのかと自身の枠を超えた作品、展示に遭遇したとき自身の立ち位置を見失うことがあります。

本当に自身の五感で写真とアートを楽しんでいるのだろうかと・・・。

 

無論、美術史、写真史を修学することは必要です。

必要なことです。

弊社の何冊かの美術史入門、美術の考え方、現在進行中の「現代美術 夢つづき」もそのためです。

しかし、体系的に、枠に捕われ過ぎて写真とアートを楽しめているのかと自問致します。

 

鑑賞ではなく五感で写真とアートを楽しみたいと思います。

高橋流で写真とアートを楽しみたいと思います。

では、自身の五感は高橋流とはと自身に問うたとき、自身の尺度、物指しが必要であります。

その、自身の尺度、物指しはどう形成されるものかと考えるとき美術史、写真史の修学は欠かせないことになります。

また、多くの作品を見ることも大切な行為だと思います。

 

その上で全てから解き離され、自身の五感で写真とアートを楽しめることを信じて、もう暫くは美術史、写真史を紐解いて参りたいと思います。

 

■明日7日・8日は小池英文写真集「瀬戸内家族」の印刷立ち会いのためブログはお休みさせて戴きます。

 

■8年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログ上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

■下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2016年12月5日 白岡順さんの遺言とも言える言葉・・・。

今日、午前10時より濱田トモミ写真作品集の編集会議、デザイン会議、凸版印刷さんへテスト入校と続く(カラー)。

昨年、濱田トモミ写真作品集「INS0MNIA」(モノクロ)を編集・出版を冬青社よりさせて戴いた。

カロタイプ技法を勉強のため、白岡順さんのところへ通われていた濱田トモミさん。

 

写真集が出来上がり昨年の11月に、白岡順さんのところへ写真作品集「INS0MNIA」をお持ちになられた。

濱田トモミさんは白岡順さんが、ご病気とも知らずに・・・。

暫く、丁寧に1ペイジ・1ペイジを見て戴いたあと、編集が実に素晴らしい。

編集が良いねと。

感想をかたられた後・・・。

 

おもむろに、白岡順さんは自分が濱田トモミさんに、もうカロタイプを、お教えすることは出来ないが、写真作品集を作る時には必ず、冬青社の高橋さんに頼みなさい、お願いしなさいと語られたとのこと。

正直、ありがたいお言葉だとは思ったが、その時、濱田トモミさんは4ヶ月後に白岡順さんが他界されるとは全く知る由もなかった。

それが濱田トモミさんにとって、白岡順さんとの最後の言葉になった。

 

その後に懸命に作品作りされた濱田トモミさん。

濱田トモミさんにとって二冊目となる写真作品集の編集会議が本日、冬青社で行なわれる。

私にとって尊敬してやまない写真家・白岡順さん。

その、お言葉を胸に抱き、心として今日の編集会議に望みたい。

 

濱田トモミさんは北海道・恵庭市にお住まい。

現在、写真展をさせて戴いている臼田健二さんは北海の白川町にお住み。

地方には写真と真剣に向き合って居られる方々が多い。

素晴らしい写真家の方々が埋もれているのも事実。

ギャラリー冬青では年間12人の作家の枠しかない。

 

今日の編集会議がどのような展開が待っているか解らない。

が。

キット、白岡順さんが見守って戴いていることを信じて、編集会議に望みたい。

濱田トモミさんのためにも、白岡順さんのためにも期待にお答えしたい。

 

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2016年12月2日 臼田健二写真展「冬立ちぬ」が・・・。

早いもので昨日、私の机の上の卓上カレンダーの最後を捲った。

12月の日付が現れた。

この年になるとやけに1年のサイクルがとても早く感じる。

 

臼田健二写真展「冬立ちぬ」が本日からギャラリー冬青で12月24日まで開催されます。

臼田さんと出合ったのは8年前。

木工作家と写真家としての二つの顔を持つ表現者。

 

木工の街、旭川の地から下川町に2年前に移り住まわれた。

下川町は森林の町である。

その豊かな森林を60年単位のリサイクルで管理しながら、森林とともに共生していくことを宣言している町。

国内外からの見学者も多くそのあり方に注目を浴びている。

建材や家具、工芸品などなどから出た廃材を無駄無く燃料などに再利用し、将来は町の電力発電も廃材でとの夢を持っている森林の町、下川町であ。

 

そこに移り住まわれ森林の町、白川町の自然の移り変わりを丹念に記録され作品を作りあげられた。

気温は-30°Cを下回ることも度々、一晩で積雪が数10cmを超えることも度々ですと語る臼田健二さん。

「花のように真っ白な雪や氷に覆われた冬の森」と作家の臼田健二さんは語る。

しかし、臼田健二さんの作品からは、その冬の厳しさではない「優しさ」「柔らかさ」「暖かみ」までが感じるのはなぜだろうかと、昨日ギャラリー冬青の壁に飾られた作品「冬立ちぬ」をみながら考えにふけっていた。

 

写真家・臼田健二さんの持つ本来の人間性かも知れない。

この度の写真展は秋から冬の作品が飾られている。

秋は日が落ちるのがとても早いと。

冬が訪れ雪解けとともに春が来て、下川町の森林は一斉に芽吹きはじめる。

厳寒の中、秋から冬までの作品が見事迄に表現され展示されている。

 

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2016年12月1日 竹谷出写真展「北海道」を見に・・・。

写真家の山下恒夫さんより、一昨日に電話を戴き、昨日早速、コニカミノルタプラザで開催中の竹谷出写真展「北海道」を見に行かせて戴いた。

サブタイトルには「にほんのかけらV」とあった。

コニカミノルタプラザCの右側の壁には全国を安行した地図とコンタクトシートが貼られていた。

北海道から沖縄本島と島々まで。

 

正直、良くここまで全国を歩かれたと関心させられた。

作品はモノクロ作品。

見ている側はタイムスリップをしている様に時代錯誤に陥る。

展示作品の中には今年2016年に撮られた作品もある。

昭和初期の日本の原風景を見ているようだ。

ポートレートがとても印象的。

竹谷出さんの作品は自然体がとても良い。

作品からは力みが感じられない。

恐らく、撮りたいもの、撮りたい場所、撮りたい時間、撮りたい瞬間が骨の髄までしみ込んでいるのだろうと、感じながら作品を見続けていた。

さらに、被写体にたいして丁寧に優しく向き合われている。

被写体を切り撮るのではなく、写させて戴くとの姿勢が作品から溢れている。

 

テーブルには全国を5ブロックに別けたポートフォリオが置かれている。

興味深く拝見させて戴いた。

 

私は木村伊兵衛賞を始め五つ程の賞の推薦人になっている。

帰路に着きながら考えさせられた、恐らくこのような地道に写真と取り組んでいる作家は賞とはほど遠い。

今、流行の写真が横行している。

なぜ、なぜと思いながら家路に着いた。

 

写真らしい写真。

写真そのものを撮られている竹谷出さん。

まさに、久しぶりに写真を拝見させて戴いた。

とても至福の時を戴いた。

 

写真展会場=コニカミノルタプラザC

会期=12月5日迄(最終日は15時)

 

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2016年11月30日 あの「信山社」さんが・・・

神田の名物書店の一つ、「信山社」さんが破産された。

岩波書店さんとは資本関係はありませんが、岩波書店さんの取り扱いと言えば、取次ぎの「鈴木書店」さん(2001年)、販売で言えば「信山社」さんか3日前に破産をされた。

両社とも岩波書店本社に商品がなくとも両社に行けば商品は必ずあると言われていた。

それ程、岩波書店さんの品揃えが整えられていた。

 

岩波書店さんも、あの名だたる雑誌「文学」を今年の11月発売の12月号を持って休刊(事実上の廃刊)されることを表明された。

「文学」は1933年に月刊誌として創刊され、国文学の研究者をはじめ、三島由紀夫ら作家の創作論も掲載してきた。

83年間も続いてきた文学雑誌「文学」が消える。

 

今年は取次ぎ大手5社の一つ太洋社さんが破産。栗田書店さんは大阪屋さんに吸収された。

大型書店の一つ「芳林堂書店」さんが倒産された。

 

出版を取り巻く環境はとても厳しい。

私が幼い頃、どのような小さな街でも1軒や2軒の本屋さんがあった。

私が中野に引っ越して来たのが約40年前。

10軒超える街の本屋さんがあった。

 

街には書店さんではなく、本屋さんがあり、本屋さんに訪れると作家の癖や、雑誌の特集のことや、単行本の内容のことまで教えてくれた。

雑談にふけっていた。

我が家の近くにあった美術系の古書店の親父さんは、私が写真が好きであることを知り写真集を仕入れてくれる様になり、入荷する度に電話を戴いた。

写真集の値札つけがメチャクチャで入手困難な写真集を安価につけたり、どうしょうもない有名な写真家の写真集に高価なシールを貼ったりしていた。

親父さんに、これはそうではないと何度も雑談をさせて戴いた。

じゃあー!!。高橋さん、写真集の値段は高橋さんが付けてよと言われ、度々、私が値段を決めシールを貼ったことを思い出した。

親父さん、へー。んー。そんなもんかねと。

その古書店の親父さんも他界され、後を次ぐ方がいないことから、私の住む中野・新井町の街から消えた。

後から解ったことだがその親父さん結構、写真に詳しかったことが後に奥様からお話を聞いて解った。

高橋さんはこの写真集は絶対に買うよと奥様に話されていたとのこと。

私の残学を親父さんの前に表し恥ずかしくなったことを思い出した。

 

我が家と会社の会議室の書棚には親父さんから言われ、私が値段をつけた写真集が数多く並んでいる。

そんな名物、本屋さん・古書店が街から消えて行くことが寂しい。

悲しい。

 

どうか、ネットではなく皆さん本屋さんから「本」を買って下さい。

たまに行く、神田の古書店。

手に食い込む重さの快感がなんとも言えません。

あの重さが素晴らしい。

皆さん本屋さんから「本」を買って下さい。

 

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2016年11月29日 写真表現について考える・・・。

昨日「現代美術 夢つづき」の編集会議を実川さん・寺田さん・湯本さん・高橋とで行なった。

その編集会議の雑談の中で将来「写真の作品」は芸術として踏みとどまることが出来るのかと話題になった。

 

展示方法から表現スタイルまでが凄まじい勢いで幅を広げている。

写真機を通さずにネット上からの映像を加工して表現することなど当たり前として受け入れている。

3D作品などはは既に遅いかもしれない位、めまぐるしく領域を広がりを見せている。

作品を残すと言う行為すら捨て去ろうとしている。

写真家が「写真」と言う領域を自らが逆に縮めているのではないだろうかとの話であった。

杉本博司さんなどは自身を写真家とは言わない。

 

今こそ「写真」とは何だろう。

今こそ「写真表現」とは何だろう。

今こそ「写真芸術」とは何だろう。

と、踏みとどまり考えて見ることが大切に思えてならない。

 

新しい技法や方法を模索するのではなく「写真」は「写真」でありたいと「シガミツク」様な思いに立つのは高橋だけなのだろうかと自身を振り返って見ているが確かな答えは見出せていない。

 

カメラ(携帯電話のカメラ)を日常的に無意識、意識の中で身近に持ち歩き、撮影をも、これもまたいとも簡単に撮影してしまう。

通信の手段、言葉の手段、情報の手段として発信ばかりではなく、記録、記憶の手段としてもとても手軽になった。

そのために「写真表現」としての垣根が取り払われてしまっている現在。

 

だからこそ「写真」は「写真」でありたい。

「写真芸術」とはなんだろうと写真家は自身を問い直して欲しいと思う。

今の流行に抵抗の声をあげて欲しいと思うのは、あまりにも保守的な考えだろうか。

無意味なことなのだろうか。

など、などと考えている昨今です。

 

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2016年11月28日 神戸・タントテンポギャラリーへ

日曜日に神戸にあるタントテンポギャラリーのコレクション展並び、クロージングパーティーに参加させて戴いた。

タントテンポギャラリーは2008年6月に立ち上げられ、今日まで特に若い写真家の方々のために尽力をされてこられた。

タントテンポギャラリーは山田真理子さんがオーナーで、杉山武毅さんがキュレーターを主に担当されてこられたコマーシャル・ギャラリーです。

トークショーにお呼び戴いたりして、タントテンポギャラリーがオープンした時からギャラリー冬青とは兄弟(姉妹)的関係の深いギャラリーです。

ギャラリー冬青にも度々お出で戴き、多くの作品も購入して戴きました。

 

昨日、山田真理子さんと杉山武毅さんコレクションを時間を掛けて、拝見させて戴いた。

コレクションの幅は広く、質の良い作品が多かったと思います。 

山田真理子さんは私が好きでなければ求めないと常々、高橋には語られていました。

コレクションの数も多く、改めてオーナーであるが山田真理子さんの写真好きであることが理解出来ました。

展示出来なかった作品も多く有のますとのこと。

タントテンポさんのギャラリーの壁には一分の隙もない程、作品は飾られていた。

高橋の身体の調子が余良く無く、行くか、行くまいか直前まで迷っていたが、無理してお伺いして良かったと思いました。

 

タントテンポギャラリーとギャラリー冬青の関係は磁石のNとSの関係にあると思っています。

例えれば棒状の磁石を真ん中で割っても直ぐさまN極とS極が出来、離れることは出来ません。

常に一本の磁石であります。

しかし、N極はN極の表現があり、S極にはS極の表現があります。

意見も異なることもありましたが・・・。

これは当然です。

当たり前のことです。

富士山に例えれば、頂上を極めるのに静岡県側からアタックするか、山梨県側からアタックするかの違いです。

長く、お付き合いをさせて戴いている事の一つに、極めたいと思う富士山の頂上は一つだからです。

それが故に、常に一本の棒状の磁石だと思っています。

 

互いに認め合い、理解し合えてこれたのは、本質的に写真家の方々への山田真理子さん・杉山武毅さんの並々成らぬ愛情です。

とても、常に高橋は触発されて来ました。

特に、山田真理子さんの作品に対しての愛情の向け方には何時も高橋が教えらるところでした。

とても純粋に作品と向き合われて居られる、山田真理子さんの姿勢、特に若い作家の方々を応援をして挙げたいとの思いは一貫して変わらぬものをお持ちです。

 

4年前から立ち上げられた「六甲国際写真フェアー」は今後とも続けられるとのことでございます。

私は第一回目にお呼び戴き、二回目からは「六甲国際写真フェアー」には参加を致していませんが陰ながら微量ではございますが応援をして参りました。

私が参加を致さなかった理由はN極とS極の違いから来るものです。

個人に、この様な大きな「六甲国際写真フェアー」を続けられていることらは敬意をもたさせて戴いています。

「六甲国際写真フェアー」は2017年度も継続されます。

来年の春にはギャラリーを再開致したいとのお話もお聞かせ戴きました。

ギャラリー冬青と致しましても個人、高橋国博と致しましてもリニューアルされたタントテンポさんを早く見たいと思います。

 

最終近くに乗車致しました。

新幹線の窓には山田真理子さんの笑顔が何度も浮かび出て参りました。

高橋さん、またお会い致しましょうねと語りかけて下さった。

山田真理子さんと知り合えたこと、杉山武毅さんと知り合えたこと。

至福を感じながら東京駅に着きました。

 

■8年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

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2016年11月25日 リアル書店は消えるのか、模索する現場の本音

2・3日前に下記のニュースが流れた。

丸善ジュンク堂代表取締役、工藤恭孝さんと上林裕也・ヴィレッジヴァンガード商品本部企画開発部書籍企画課、書籍・コミック統括バイヤーの思い、ご努力が身にしみて痛いい程、解り理解できます。

高橋のブログにも何度か書かせて戴きましたが、雑誌・書籍・写真集などはインターネットではなく書店さんで求めて戴きたいと言うことを。

本日のブログは少々長いですが是非最後迄、お読み下さい。

是非・是非、本屋さんで雑誌・書籍・写真集などなどお買い上げ下さい。

高橋国博からの強い・強いお願いです。

 

リアル書店は消えるのか、模索する現場の本音

インターネット通販と電子書籍の普及から、経営に行き詰まった多くの書店が街から姿を消している。1999年に2万2,296店あった書店数は、2014年には1万3,943店に急減。「リアル書店」はこのまま消えていく運命にあるのか? 現場はどう生き残り策を模索しているのか? 立場の異なる書店の声を聞いた−−。
(ライター・三橋正邦/Yahoo!ニュース編集部)

やれることはすべてやっている。しかし……
工藤恭孝・丸善ジュンク堂代表取締役
「いかに付加価値をつけるか」がすべて
友田雄介・アマゾンジャパン合同会社Kindle事業本部コンテンツ事業部事業本部長
集客装置としての力はまだまだ強い
内沢信介・TSUTAYA BOOK部部長/田島直行・蔦屋書店事業本部本部長
「書店員が売りたいもの」を売る強さ
上林裕也・ヴィレッジヴァンガード、書籍・コミック統括バイヤー

やれることはすべてやっている。しかし……

日本有数の老舗大型書店であるジュンク堂。その選書や棚作りは、多くの「本好き」から愛されている。丸善ジュンク堂代表取締役の工藤恭孝氏に、現在、日本のリアル書店が置かれている現状をどう捉えているかを聞いた。

工藤恭孝・丸善ジュンク堂代表取締役

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撮影:菅井 淳子

ネット通販や電子書籍が普及したことは、私どもリアル書店を経営する立場からすると、とても「厳しい変化」です。

雑誌の読み放題サービスの普及は、店頭での雑誌販売に大きなダメージを与えていますし、書店で立ち読みしているお客さんがその場でスマートフォンを取り出してネット書店で注文し、手ぶらで帰宅される姿を目にすると、私どものビジネスが、非常に厳しい状況に置かれていることを痛感します。

ただ、書店も、そうした状況を手をこまねいて見ているわけではありません。販売情報を管理するPOSシステムの開発や流通センターの整備もそうですし、出版社に頼らずかつての名著をPOD(プリントオンデマンド)で一冊から復刊させて商品の充実を図ったり、文房具売り場やカフェとの併設を進めたり、「ネットで買ったほうが便利だよね」と言われてしまわないように、できるかぎりの工夫は重ねてきています。

ジュンク堂としても、2014年から「本屋に泊まろう」という企画を行っています。閉店後から翌朝まで店内に泊まっていただき、店内の本を自由に読んでいただく。おかげさまで、今年に至るまで、たくさんの応募をいただいておりますが、これは、書店という場所が「本を買う」だけにとどまらず、「そこにいるだけで楽しい」と人に感じさせる力を持っているからだろうと思います。

そのほかにも、大学や高校の先生方を呼んで、図書館に入れる本を選書してもらうための「選書ツアー」も行っています。これは、検索だけではなかなか出会うことができない本を一覧できる、リアル書店の強みを生かした取り組みだと考えています。

ただ、当然のことながら、こうした試行錯誤には、人的にも金銭的にもコストがかかり、そのコストを捻出するのにも四苦八苦している現状があります。そして、正直に申し上げて、書店というビジネスが置かれた厳しい状況を根本から覆すような妙案は、いまだに見いだせていません。

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書籍以外のグッズを併売するなど、様々な工夫は行われているが……(撮影:鬼頭志帆)

こうした現場の状況にあって、中小書店を中心に、書店の廃業には歯止めがかかっておりません。20年後には、書店数が今の1/10程度まで減っていても不思議ではない。「そうは言っても大型店は残るだろう」と予想される方もいらっしゃいますが、そんなに甘くはない。私どものような全国にチェーンを持つ大型店では、ライバル会社の動向だけでなく、人口減少なども大きな影響を受けるのですが、少子高齢化が進む中で、店舗経営を続けるのが難しい地域が増えてきています。

「リアル書店の社会的な役割は終わった。これが時代の変化だ」と言われればそれまでですし、今の流れは、電子書籍や読み放題サービスに積極的な出版社の方々にとってはポジティブな変化という見方もできるでしょう。しかし私は、中小の書店が淘汰され、街から消えてしまった時、日本が誇る豊かな出版文化を維持できるのか、危機感を覚えています。本格的な学術専門書から、ビジネス書や自己啓発本や実用書、それから漫画や小説まで、読者の年齢や要望に応える形で細かく細分化され、ここまで多種多様に出版されているのは、日本だけでしょう。

大型書店のシェアは業界全体の1〜2割程度。成長していると言われるネット書店の売上を加えても、中小書店が廃業していくことによって生じる書籍や雑誌売上の落ち込みをカバーするには至りません。もしこのまま地域の中小書店が消えてしまうようであれば、出版業界全体の売上は激減し、今の半分程度の規模になるでしょう。

では、そうした市場規模になった時、出版社は作りたい本を作ることができるのか。読者のみなさんが満足するような質と量の本を提供できるのか。私は難しいと思っています。「書店の危機」は、「出版文化全体の危機」です。日本の出版文化が崩壊する日を何としてでも止めたい。そう考えて、私どもは必死にあがいている。これが、リアル書店の現実です。

「いかに付加価値をつけるか」がすべて

リアル書店が苦境に陥る原因として、オンライン書店の台頭を挙げる人は多い。今年に入り、電子書籍読み放題サービスをスタートし話題となったインターネット通販最大手のamazon。その日本法人であるアマゾンジャパン合同会社Kindle事業本部コンテンツ事業部事業本部長の友田雄介氏に話を聞いた。

友田雄介・アマゾンジャパン合同会社Kindle事業本部コンテンツ事業部事業本部長

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撮影:安部俊太郎

出版不況と言われますが、私どもは、本のマーケットは決して縮小していないと捉えています。電子書籍が伸びているからということもありますが、Amazonでは紙の本の売上もまだまだ伸びているんです。

それは私どもが常に顧客目線に立ち、「欲しいものがすぐに手に入る」という基本姿勢に沿って、やるべきことを愚直にやってきた結果だと考えております。専門書など刷り部数が少ないものもきちんと揃える。購入する前に中身を確認しづらいネット書店の弱点を「なか見!検索」といったサービスで補う。開店当初から改善を積み重ねてきたレビューやリコメンド機能……様々な側面から、顧客のために努力を重ねてきました。

確かに今は、紙の本よりも電子書籍市場の拡大の勢いは目立ちます。電子書籍が支持される理由は、注文と同時に読むことができるという即時性と、在庫切れや絶版がないことにあります。紙の書籍はたとえ何万冊在庫していたとしても、それが売り切れてしまったら次に入荷するまでは在庫切れです。年に1冊しか売れないような本であれば、重版がかからず、出版社の在庫が売り切れたら絶版になる。しかし、電子書籍であれば、どのような状況であっても確実に入手できるわけです。

しかも面白いことに、こうした電子書籍のメリットは、紙の本のマーケットにも好影響をもたらします。たとえば、しばらく売れ行きが止まって店舗から姿を消していたタイトルであっても、電子書籍があれば何かのきっかけで突然火がつくこともある。そうすると「電子で売れているから、紙でも重版するか」ということが起きる。例えば、文藝春秋の『チェ・ゲバラ伝』は元々1971年に発行された本で、Amazonでも在庫がなかったのですが、2014年にKindle版を出したところ、大きな反響があり、紙でも増補版を発売することになったのです。

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米国・ワシントン州のAmazon Books(アマゾンジャパン合同会社提供)

私どもはリアル書店がなくなるとは考えていないし、軽視しているわけでもありません。実際、米国・ワシントン州のシアトルでは、2015年11月にリアル書店「Amazon Books」を立ち上げました。この書店では、ワシントン州の売り上げランキングに沿って棚を作るなど、オンライン書店とリアル書店の融合について実験を続けています。

そもそも、電子書籍と競合するのは「紙の書籍」ではなく、「ゲーム」や「メッセンジャー」などのスマートフォンアプリです。2016年8月にサービスを開始した読み放題サービス「Kindle Unlimited」も、「本を読むことのハードルを下げる」ことによって、ユーザーがこれまでゲームなどで使っていた時間を、書籍に向けていただくことが狙いです。

オンライン書店でもリアル書店でも、生き残るために必要なことは「付加価値」です。お客様のニーズをいかに的確に捉え、新たな付加価値を作っていくか。書店が生き残っていくために必要なことは、その一点なのではないでしょうか。

集客装置としての力はまだまだ強い

厳しい経営環境に置かれるリアル書店の中でも、独自のアプローチで活路を見出す取り組みがある。「本屋」というイメージからはかけ離れたお洒落な外観。豊富なメニューを備えたカフェ。近年、従来の書店のイメージを覆す書店を展開するのが蔦屋書店だ。TSUTAYAブックネットワーク担当の内沢信介氏と蔦屋書店担当の田島直行氏に話を聞いた。

内沢信介・TSUTAYA BOOK部部長

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撮影:安部俊太郎

本が売れない時代になったと言われていますが、電子書籍や図書館貸出、雑誌の読み放題、ネット上のコンテンツなどをトータルすれば、市場全体での「文字を読む量」はむしろ増えていると捉えることもできます。つまり、日本人は「文字離れ」をしたわけではなく、従来の「本」という形だけでは満足しなくなっているということですよね。では、どういう形で「文字」を提供すれば、お客様に満足していただけるか。そこを考えるのが、これからの書店に求められていることだと思います。

弊社では、2014年12月から、紙の雑誌を買うと電子版が無料で付いてくる「AirBook」というサービスを始めています。これも「読者のニーズとは何か」を考える中で生まれたサービスです。旅行計画を家で立てる場合は、紙の雑誌のほうが、ゆっくりとページをめくれるし、大きな写真でイメージも膨らむ。でも、旅先では荷物を減らしたいので、スマホで読みたいという方は多いと思うんです。そういう読者の新しいニーズに応える。そしてそのサービスに対して対価をいただくということですね。

またTSUTAYAの全国のフランチャイズ店には、力のある名物書店員さんがいます。彼らの持つ地域の書店ならではの情報を私どものネットワークで共有し、お客様に新しい本との出会いを作るということにも取り組んでいます。目利きの書店員さんたちに「絶版にするのが惜しい本」を厳選してもらい、復刊する「復刊プロデュース文庫」は、そうした書店員さんのネットワークを作ることによって可能となった企画ですね。今4作目ですが、おかげさまで非常に売り上げが良く、年内には第一弾『九月の恋と出会うまで』の売上が10万部を超える見込みです。

新たなコンテンツを作り、それを紹介し、買っていただいた後のサービスも提供する。これが新しい書店の姿だと考えています。

田島直行・蔦屋書店事業本部本部長

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撮影:安部俊太郎

代官山の店舗に代表される蔦屋書店は、単に本を売るお店ではなく、本を通じてライフスタイルを提案する「生活提案型施設」です。たとえば、「湘南T-SITE」は、生活の中でも食に特化した店舗です。八海山・千年こうじやさん、石見銀山群言堂さん、合羽橋の釜浅商店さんなど有名店が出店されていますが、それらが書籍売場とシームレスに展開されており、料理教室も開催されています。料理の本を見ていたら自然と釜浅商店さんの鍋を手に取るような動線になり、そのまま群言堂さんの雑貨に行き着くという、「スローライフ」の世界観をお客様の回遊動線で設計しています。

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店舗を訪れる人の回遊同線を意識して設計された「湘南T-SITE」の店内(蔦屋書店提供)

リアル書店が生き残っていくには、単に「本を売る」ことだけではなく、カフェや他の店舗と組み合わせることによって、収益化を図ることが必要です。本屋さんには多くのお客さんが訪れますし、集客装置としての力はまだまだ強いんです。

ただ、安易な組み合わせもうまくはいきません。どのような品揃えで、どんな空間を作るか。それによって「お店に来ていただく価値」を作ることが必要です。僕らはそれを「居心地」と呼んでいます。本屋として来ていただく方だけではなく、散歩にいらっしゃる方、仕事場としていらっしゃる方など様々なお客様が居心地の良さを感じる空間を作ること。それこそが、リアル書店ならではの価値ではないでしょうか。

「書店員が売りたいもの」を売る強さ

たくさんのポップや個性的な雑貨とともに山積みされた書籍。多くの若者が訪れる「遊べる本屋」ヴィレッジヴァンガードは、ここまでの大型書店とはまったく異なる販売戦略を取っている。ヴィレッジヴァンガード書籍企画課企画開発部、書籍・コミック統括バイヤーの上林裕也さんに話を聞いた。

上林裕也・ヴィレッジヴァンガード商品本部企画開発部書籍企画課、書籍・コミック統括バイヤー

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(撮影:安部俊太郎)

僕たちは、全国津々浦々の全店で、どの環境の店舗でも年間1億円売ることを目標にしており、それを実行可能な戦略だと考えています。

なぜそれが可能かというと、うちは各店舗の従業員たちが一般的な売れ筋とは無関係に、自分の売りたい本、そして、来店されるお客様に売れそうな本を自由に仕入れる環境ができているから。入ったばかりのアルバイト店員も、全員が「バイヤー」です。スタッフが一人ひとりお客様に接する中で、自分の売りたい商品を選んで発注をかけ、商品一つ一つにコメントのPOPを書いています。この姿勢は創業当時から変わっていません。

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所狭しと貼り付けられた、店員の魂が込められたポップの数々(撮影は編集部)

だから当然、店舗によって品揃えは違います。お客様との密なコミュニケーションが各店舗独自の売れ筋発見につながっているんですね。つまり、僕たちヴィレッジヴァンガードの強みは、地域に密着し、お客様と密なコミュニケーションを取るなかで、きめ細やかに「売りたい本」を選んでいることなんです。

本部としては、一般的に売れている本、たとえば文学賞などを取った本は置きたいという考えも正直あります。ただ、多くの店長たちはやりたがらない。受賞作ではなくて、最終選考まで残ったけど負けた本を売りたがったりする。だから、一般的な売り上げランキングでは上位に来ない本が、うちではダントツに売れていたりして、出版社さんがびっくりされることも多いです。たとえば、芥川賞を取った『コンビニ人間』よりも、雑誌「暮しの手帖」の編集長だった松浦弥太郎さんの『センス入門』が売れちゃうんです。

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「僕たちが最終的に売りたい商品は、間違いなく本なんです」(撮影:安部俊太郎)

僕たちは雑貨やCDも扱っていますが、書籍はそれらをつなぐ「接着剤」という側面があります。雑貨だけだと商品が並んでいても通り過ぎてしまう。しかし、そこに音楽が流れていて、書籍を開くことで立ち止まる。書籍と雑貨、CDの3つで初めてコーナーが成立するんです。

そして、僕たちが最終的に売りたい商品は、間違いなく本なんです。ただ、今は雑貨感覚で門戸を広げて本を売っています。雑貨も本も等しく情報提供することによって、店舗を訪れてくれた人に手に取ってもらいやすいように工夫しているんです。

リアル店舗で本を売ることについて、僕たちが今脅威に感じているのは、やはりネット書店ですね。ネット書店では新品本と中古本を選べるのに、店舗では、在庫として持っている書籍を、価値があるうちに値段を安くしてでも売り切る、という選択肢がない。

もちろん、こうした業界の仕組みは変わっていかざるをえないと思いますが、そうした環境のなかでも、ネットにないリアルショップの魅力を伝えていく日本一の書店でありたいと社員全員が考えている。それがヴィレッジヴァンガードという会社なんです。


三橋正邦
1961年富山県生まれ。フリーランスとしてゲーム会社でのプログラミング及び作曲、シンクタンクでの報告書作成、専門学校講師、都議会議員秘書などを経てライター活動を始める。主な執筆協力に『eラーニング白書』(OHM社)、『完全保存版THE芸能スキャンダル』(徳間書店)など。

[制作協力] 
夜間飛行
[写真] 
撮影:鬼頭志帆、安部俊太郎、菅井淳子

 

■8年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログ上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

■下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2016年11月24日 「国破れて山河有り」

2011,3.11。私達日本人は己自身を顧みようとした。

している。

が、その出口の糸口さえ見いだして居ない自分自身にもどかしさを感じている。

11月19日・20日に「福島の風景から読む」トークイベント+現地視察ツアーに参加させて戴いた。

写真家・土田ヒロミさんのお誘いを戴いて。

 

「国破れて山河有り」と言う言葉が戦中生まれの私は幼少のころ良く聞いた言葉である。

(戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。)

この度、福島に訪れ山間地域以外にも浪江町・南相馬・福島原発2.5km地点などなどに向かった。

 

しかし、福島の自然、山々や山間地域の森林、田畑、牧草地の光景は「国破れて山河有り」と全く真逆の光景を参加者は体験することになった。

この美しい自然の中で、様々な営みが行なわれていたであろう場所には人影は一つもない。

その美しい自然から強制的に非難させられている光景は不気味であり、恐ろしさを感じた。

除去区域は住まいの20m範囲まで。

森林は除去作業を諦めた日本政府(環境省)

この美しい山河を追われた人々の思いは、幾ばくのものかとバスの中から思いを馳せていたが答えは見出せないでいた。

 

黒いフレコンバック(落ち葉や、汚染土壌などなどを入れるビニール製の袋)が山間地域でも一番便利な比較的大きな道の、田畑に強制的に山積みにされている。

農民の方々はそこにフレコンバックを置く事を強烈に反対され、谷間に置いて欲しいと懇願されたのだが運搬の効率の問題で一番効率の良い場所に置かれてしまったとの、説明が農業を営まれている菅野宗夫さんから説明があった。

 

黒いフレコンバックは美しい山河には似ても似つかない光景が至る所に広がっている。

「仮・仮置き場」として使用されている。

始めは住民には「仮・仮置き場」として説明があったのだが、知らされもせず内に「仮・仮置き場」の回りに白いフェンスが作られ「仮置き場」となってしまったとのこと。

いつ、その「仮置き場」が撤去されるかもまだ説明がないとのこと。

 

土田ヒロミさんは放射線線量機をお持ちでバスツアーの私達に、現在の居る所の放射線量値を常に教えて下さった。

だいたい0.3〜0.9マイクロシーベルトの範囲だったと記憶している。

谷間に入ったときなどは1.5マイクロシーベルト位に上がった。

 

飯館村を後にして太平洋側の南相馬市へ向かった。

6号線を通り、福島原発の2,5km圏内に迫るに連れ放射線量は一気に上がって行く。

土田ヒロミさんが10秒ごとに只今3.5マイクロシーベルトです。

今、5.8マイクロシーベルトです。

と、放射線量を伝えて下さった。

一番近くで9.5マイクロシーベルトまで跳ね上がった。

 

この6号線は通行禁止であるが、復興作業や生活道路として一本の国道しかないことからやむなく通行を認めているとのこと。

6号線沿いにある浪江町に私達のバスは入った。 

街には人影は全くない。

6号線に入る、出る脇道は全てブロックされ通行は認められて居ない。

遮断されている。

浪江町の入り口、出口には見張りの警察官が立っていた。

放射線は大丈夫なのかと思った。

その電力を使って来た東京のわれわれ。

何を顧みるべきか答えは見出せないでいるが原発だけは入らない。

再稼働をさせてはならないと強く認識させられた2日間です。

 

政府は原発の再稼働を急ぎ、インドに輸出まで考えている。

政治家は全員この福島の光景を見るべきだと思った。

この光景を見れば独りでに答えが出る筈である。

 

国会議事堂を臨時に福島に移してはと怒りを覚えた。

 

現在も定点観測やさまざまな事で福島に向かわれている写真家・土田ヒロミさんにこの様な機会を与えて戴いたことに感謝致します。

ギャラリー冬青でも土田ヒロミさんのトークイベントを考えて見たいと思います。

 

月曜日には農地について書きたいと思います。

 

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2016年11月22日 「土田ヒロミ」と言う写真家。

11月19日・20日に「福島の風景から読む」トークイベント+現地視察ツアーに参加させて戴いた。

19日の1日目は写真家・土田ヒロミさんと木下直之教授、東京大學教授(人文社会系研究科・文化資源研究専攻)のトークショー。

続き大熊町の町の文化財の保護活動に取り組まれている鎌田清晴衛さんの放射能汚染地区での文化財保護の難しさ、厳しさを語られた。

それに続き筋野宗夫さんより、飯館村(非難地域)飯館村の土壌汚染、除染の効果について東京大学・明治大學などと連携により調査をされ、さらに「福島再生の会」を立ち上げ、継続的な調査、データの公開などを行い、飯館村の農業の復興に向けた活動を続けていいる事をお話戴いた。

 

20日は現地視察ツアーで福島駅(福島原発から約50km)を出発。

二本松市を通り飯館村へ、筋野宗夫さんから農業の実情の話を聞き、バスは南相馬市へ6号線(本来なら現在でも通行禁止)を通り、

福島原発2,5kmまで近づき放射線量は9,2マイクロシーベルトまで上がった。

いわき市にツアーは終えた。

走行距離300km。

この度のトークイベント+現地視察ツアーの感想、並びに内容は別の日にでも。

 

本日は「土田ヒロミ」と言う写真家のことに絞り書きたいと思います。

土田ヒロミさんは2011年6月1日に福島に向かわれている。

その回数をお聞きすると100回は超えるとのこと。

現在も立ち入り禁止地区に成っている浪江町を始め2,5km圏内〜60km超える山間地域までくまなく取材されている。

四季折々の定点観測だけではなく、立ち入り禁止、解除後の人々の姿、街の移り変わりをも取材されている。

 

写真家の使命として「記録」・「記憶」を残すと言う原点にたたれ、福島の地に向かわれていることが作品からは強烈なインパクトを感じざるを得なかった。

この度の「福島の風景から読む」トークイベントの基本的な映像は福島の山河の美しい景観と四季折々の風景であったのだが。

それら、トークイベントで見せて戴いた作品は日本の何処にでもある美しい山河の映像である。

が・・・。

村人の姿が消え、一部除染が終わった(後日に)地にレンズを向けられている写真家としての「土田ヒロミ」の強い視線、思い、哲学までが作品からは強く私達に迫り伝わって来た。

 

目に見えない放射線。

しかし「土田ヒロミ」の作品からは目に見えないはずの放射線の恐ろしさが見えて来る。

なぜだろうと考え、思いに耽っていた。

答えは見出せないでいるが2011年6月1日にの1回目から100回を超え、現在も取材を続けて居られる写真家としての「土田ヒロミ」の執着、執念が作品に現れているのでは無いかと、あえて高橋自身に答えを求めた。

この答えが全てでは無いにしても、そう遠くは離れてないと思う。

写真家としての使命。

そこに立脚する「土田ヒロミ」

写真家としての「土田ヒロミ」さんの恐ろしさを感じざるを得なかった。

今回のツアーの距離が300kmであるならば単純計算をしても30.000kmは走られている。

ツアーの合間を見て土田ヒロミさんにお聞きした。

1回の取材で今日のツアーの距離ぐらいですかと。

もっと、複雑な道、山、谷間、川沿、街を走りますので距離はもっと走っていると思いますとの答えであった。

 

それを実相させられたのはバスの運転手さんとのやり取りと的確な目的地への指示。

その沢に沿って下ってくださいとか、バスがUターン出来るスペースが有りますから。

そこの道を右に入りましょう。

その小道を上に行きましょう。

あと5分ほど走ると汚染除去の全体象の一部が見えますのでそこ迄行きましょうとか。

汚染地区から集められた葉や木々を消却している工場が左道に入り10分間程度で着きますので参りましょうとか。

同乗者の現地の人も驚く程、細かく、細部に渡り距離迄もが脳裏に納められている。

まことに的確である。

また、その地域がいかなる場所であるかも土田ヒロミさんからは説明をして戴いた。

 

写真家・土田ヒロミの恐ろしさは増すばかりである。

普段は様々なことを勝手に語り合えるのだが、ツアー当日は「写真家・土田ヒロミ」の恐ろしさに圧倒され殆ど口を聞けなかった。

写真家としての凄さ、使命を感じさせて戴いた2日間。

 

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