2017年4月26日 写真表現の難しさ、危険性・・・。

最近、とみに写真表現の難しさ、危険性を感じる様になっている。

その一つには写真表現の領域がもの凄い早さと勢いを持って、広がり見せていることがあげられる。

その広がりは私の理解を超えてである。

写真の現代アート化である。

写真表現を現代アートとして、意識しすぎているのではあるまいか。

 

写真(作品)が現代アートとして、現代アートの枠組みの中に、作品もプライスも飲み込まれているのではないかと感じている。

現代アートのジャンルの意識以上の意識化である。

作品もプライスも含めて。

グルスキーや杉本博司さんらは自身のことを写真家とは言わない。

 

写真家は写真家としての現代アートの枠の中に取り込まれず、写真と言うジャンルの中で表現することが大切ではなかろうかと、高橋は考える様になっている。

現代アートとは隔離して、写真表現として確立することが大切に思えてならない。

作品もプライスも含めて。

 

仮にプライスが現代アートに引けをとったとしても良いではないかと思う。

焦らずに現代アートと隔離することにより、写真表現は写真として生き残り領域は広がって行くと考えます。

 

デジタルの出現により写真の領域は、より曖昧なものとなっている。

まさに、現代アートと写真表現の垣根の曖昧さである。

写真の強み、弱みは複製ということにあると考えられる。

写真表現の強みは同時多発的に世界の至処で、写真展、作品を見れることが挙げられる。

写真表現の弱みはアートとして何時でも、大きさも、枚数も(エディションがあるにしても)複製が可能である。

絵画はそうは行かない。

 

その写真表現の強み、弱みを理解し受け入れて、もう一度、写真表現はなんであるか写真表現者は真摯に考えるときかも知れないと考え始めています。

今、だから大切な行為、思考だと思います。

 

■明日27日・28日は竹谷出写真集「にほんのかけら」の印刷立ち会いのため、ブログはお休みさせて戴きます。

■下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2017年4月25日 1年は、1ヶ月は早い・・・。

1年は、1ヶ月は早い。

もう4月も終わろうとしている。

我が家からギャラリー冬青まで徒歩で30分余。

路地にはツツジの花が満開、たの花々も色鮮やかに咲き始めている。

冬青社のケヤキの木も例年より早く青葉をひらかせている。

 

4月6日にドイツ・ミュンヘンからマイケル・ニッケさん一家(5人)と作品のために作曲をして戴いた、ディターさんも来日して戴いた。

2回、会食をさせて戴いた。

1回目は展示終了後、マイケル・ニッケさん一家(5人)とディターさんと、写真家5人程で居酒屋に。

2回目はトークショーの終了後、ニッケさんの奥様のお母さんがお腹が空いたとのことで、急遽、香港亭にてニッケさんの家族だけで共に食事をした。

 

ニッケさんは18日にドイツ・ミュンヘンに立たれる前日、私と食事をしたいと連絡を戴いたが残念なんながら、私は台湾に行っており食事は出来なかった。

とても、残念がっておられたとのこと。

是非、ドイツ・ミュンヘンに遊びに来て欲しいとのことす。

 

毎日、ギャラリー冬青の壁に掛けられている、ニッケさんの作品を見ていると、特徴の一つとして、とても透明感があるということ。

その透明感とはニッケさんの人格からくるものだと思う。

ニッケさんが来日され、ギャラリー冬青にこられたのが昨年の6月だと記憶している。

初めてお会いさせて戴いたとき、とても真摯な態度に心が虜になりその場で写真展を決めさせて戴いた。

 

後日、お話をお伺いしたら始めからギャラリー冬青に行くと決められて来日されたとのこと。

弊社の写真集や過去の展示内容を見て、ギャラリー冬青なら解ってくれるに違いないと思われたそうだ。

 

純粋に生きられていることは作品から見ても一目瞭然です。

家族愛に満ち溢れた姿は作品に迷う事なく透明感を持って表されている。

お人柄は作品に必ず現れる。

作品が純粋である。

たち入る隙が無い。

素直に受け入れるざるを得ない。

 

ニッケさんの作品を目の前にしたとき、私の気持が洗浄されるような気がしてならない。

そのマイケル・ニッケさんの作品展も今週金曜日で終わり。

本当に1ヶ月は早い。

 

こんなに名残惜しく、未練が残る写真展も久しぶり。

マイケル・ニッケさんが海外の人だからではない、だだ、ただ人柄からだと思う。

作品から醸し出されるオーラーだと思う。

 

作品はもっと日本に居たいと私に語りかけてくる。

 

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2017年4月24日 写真表現の新しい表現とは・・・。

写真表現の新しい表現とはと考えたとき、現代のデジタル写真表現のあり方を、写真表現として素直に受け入れがたいものを感じている。

絵画の場合、近代だけでも大雑把ですが、新古典主義・ロマン主義・写実主義・印象派誕生と歴史の系譜として刻み込まれ残されて来ています。

彼らは歴史と戦い、歴史の中を理解し、その上で自身の哲学、思想をもとに自身の思いをキャンバスにぶつけたことが、伺い知ることが出来ます。

 

例えば、マネの「草上の昼食」(1863年)はスキャンダルにまみれていたと非難の嵐が起ります。

マネの「草上の昼食」絵が展示されたときにはカーテンが掛けられた程です。

しかし、マネの絵にたいしての系譜を見てみると理解できるように、マネはアカデミズムで学びます。当時、革新的と思われていた画塾ですが、飽き足らずループル美術館や古典絵画に求めます。

更にオランダのフランツ・ルルス、スペインのベラスケス・ゴヤたちを手本に致します。

その後に決定的ともいえる人物とモネは出合います。エドガー・ドガです。

その後、印象派の画家たちと深い友情に繋がります。

 

と、言う様に自身の作風を追い求め様々なことに挑み続け悩み、苦しみながらも新たな道を求めたことが理解出来ます。

 

デジタルカメラとその周辺器機の出現により簡単に表現が出来る様になり、自身の思考の前にテクニカルのことに集中し方法論だけが先行している様に見えてなりません。

企業の開発能力、スピードは驚くばかりです。

10年前の器機と比べれば比べ物にならないことは皆衆知している通りです。

 

写真表現の恐ろしさ、悲しさは企業の戦略上に乗せられていることです。

明日になればもの凄い器機が発表されるかも知れません。

その危機、恐ろしさを感じます。

そのことを私達は良く理解をし、今、何を成すべきか、何を学ぶべきかが強く、必要以上に求められていることを理解を致さねばならないと思われます。

新しさを求めるにはそれなりの根拠を自身に強く求められていることを自覚致さねばなりません。

 

写真表現における、新しい表現方法は自身の美意識の中から自然発生的に生まれて来るものと考えます。

その上で新しい器機をどう受け入れて行くか、一度立ち止まって考えて見ることも大切に思えてなりません。

 

器機の力や新しさだけに頼り、表現を繰り返すことがあればこれ程、空しいことはないと考えます。

 

因に最後に成りましたが、マネの「草上の昼食」は近年研究が進み、スキャンダルなものではなく、歴史を踏まえて描かれていることが解りました。

 

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2017年4月21日 写真表現の広がりを見せているは日本だけなのか・・・???。

写真表現の広がりを見せているはアジアでは日本だけなのか。

(広がりとはネット上や写真機装置を使わない表現方法。)

 

先週、ヤングフォト台北でレビューアーとして(43歳以下)の作品57名の審査をさせて戴いた。

私がレビューをさせて戴いたのは13人。

それぞれの19人のレビュアーが5人を推選をしその後、参加者57名全員の作品を見る。

その中から最終選考5名を選出し、挙手でグランプリン、準グランプリンを決めさせて戴いた。

 

57名の作家、作品は全て写真機装置を使用していた。

私の知る処ではフイルムとデジタルは若干フイルム作品の方が多かったように感じている。

確かではないが。

少なくとも私のレビューをさせたて戴いた13人の8人はフィルム作品であった。

 

韓国・プザンにいる写真家・キムさんに聞いてみたが、韓国で若い作家の殆どは写真機装置を使っているとのこと。

今、欧米、日本では写真表現の領域は途轍もない早さで広がりを見せている。

写真機装置という概念など無関係に作品は現れ、様々な方法で発表されている。

バフォーマンス表現も含めて。

 

高橋的にはアートとしてはあり得るのかと言う程度の理解度しか持ち合わせていないが・・・。

この度、ヤングフォト台北のレビューアーとして参加し、写真機装置の作品に触れたとき安堵した。

ヤッパリ写真だよねと思った。

 

装置を使わずに表現する手段を一方的に排除はしないが・・・。

中には面白いと感じる作品と出合うこともあるのだが何故、写真機装置を使わないのかと聞きたくなるのは高橋だけの問題なのだろうか。

 

流行に敏感になることは大切な行為。

しかし、表層だけを理解、体験するだけで深層・真相を求めて行かなければ単なるバフォーマンスをしているに過ぎない。

流行を追い求めるとしたら、流行をキャッチしたときは既に流行遅れではなかろうか。

流行の先を見通せる、知識、見識、情報と自身の積み上げてきた経験、体験があって初めて可視化できると考えます。

 

高橋的には流行を求めるのではなく、自身の美意識を自信を持って可視化して戴きたいと願う。

 

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2017年4月20日 6人展の「 1839當代藝廊 」のこと。

伊藤計一・大木啓至・北桂樹・権平太一・フォトグラファーハル・渡部さとる氏ら「6人展」を台湾・台北「 1839當代藝廊 」で開催することが決まった。

オーナーの「邱」さんとは10年を過ぎるお付き合いをさせて戴いている。

台北市内の「 1839當代藝廊 」は繁華街の中心にある素敵なギャラリーです。ギャラリー冬青の4倍位の広さはあります。

過去には日本人作家として森山大道、北野権、柴田敏雄、田中亜紀、フォトグラファーハル氏の写真展が行なわれている。

 

この度はオーナーの「邱」さんの特別の計らいと決断で6人展が決定して戴いた。

こうして、ギャラリー冬青に関係して下さった作家の方々が、一人でも多く世界に発信出来ている喜びを感じている。

 

今年だけでもドイツのニッケさんのギャラリーで渡部さとるさんの写真展。

オランダのSBKギャラリーでは権平太一さん・渡部さとるさんの写真展が行なわれた。

2018年12月と宣言している高橋だが・・・。

実感が湧いてこない。

なにを、とうすれば良いのかと考えなければいけないと思いつつも、具体的にはまだ定まっていない。

現在数冊の写真作品集と6月の「 1839當代藝廊 」ての6人展に集中したい。

目の前の事柄を一つ、一つ丁寧に行なって行きたい。

そうすれば自ずと2018年12月までに何を考え、何をなすかが見えてくるのではと多少、甘い考えを抱いている。

 

当たり前の話だがヤングアート台北でもそうだが、考えて見ればオランダのブレダフォトでもそうだった。

「高橋国博」の名前など誰も知らない。

しかし、ギャラリーとしての「ギャラリー冬青」・出版社としての「冬青社」は殆どの方々が知っている。

認知されている。

このことが大切だと思っている。

ギャラリーとしての「ギャラリー冬青」・出版社としての「冬青社」のクレジットを土台の上に、写真家の方々が世界に羽ばたいて行って欲しいと願い、そのお手伝いが出来ればと思う。

 

私自身、「ギャラリー冬青」・「冬青社」の神輿を担がさせている一人に過ぎない。

 

コレクターの方々や写真家の方々が作り上げて戴いている「ギャラリー冬青」・出版社としての「冬青社」であることを、海外に出て更に強く認識させられる。

 

「ギャラリー冬青」・「冬青社」の御神輿の担ぎ手の一人として喜びを感じています。

 

■6人展(仮)は下記です。

場所: 1839當代藝廊 |1839 コンテンポラリーギャラリー(台北)
日時:2017年6月17日〜7月16日

 

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2017年4月19日 共通言語・・・???。

写真作品集の編集するに当たって作家の方々、作品への共通言語を見出さなければならないことは言うまでもない。

この度の台北・ヤングポートフォリオレビューでもそうだが、20分間と言う限られた時間で(世界標準)、私自身の知識、美意識、経験だけで見てしまえば作家や作品に対して一方的な見解に過ぎないものになる。

 

写真作品集を編集するに当たって共に共通言語の意味する処を見出し、感じ掘り下げて行くことを編集者には求められていることを、最近強く自覚するようになった。

例えば作家がこの作品のここが「美しい」と言う。

その時、編集者は作家の「美しい」という言葉がどこにあるのか。

「美しい」と言う言葉だけ足りているのか、もどかしさを感じているのか時間を掛けて共に共通言語を掘り下げなければ成らないと思う。

単に「美しい」と言う言葉を素直に、直接的に表現して良いのかと作家の心の中までリサーチを致さねば成らない。

 

極端な例だが東南アジアのゴミ捨て場で何かを拾っている子供達の姿を、写真やテレビの二ユースで見た人も多く居ると思う。

家族を養うために子供達はゴミ捨て場で何かを拾っている。

その姿を、その行為を「美しい」と表現されたら、本当に「美しい」と言う言葉だけで表現して良いのかと思考することが大切であり、他に表現をする言葉はないのかと、作家と編集者との間では共通言語を見出さなければ、表現不足に成りかねない。

表現不足だけに留まらす、間違ったメッセージを発信しかねない。

 

編集者は今迄の経験や知識だけで写真作品集の編集に当たって意識・無意識の中で誘導しがちである。

そうなったとき「形」だけが一人歩きをして、伝えるべき人、伝えたい人に伝わらないことになる。

「美しい」と言う言葉を掘り下げて行くことが大切ではと思う。

作家や編集者だけではなく、見る人を巻き込みながら「美しい」という言葉の意味合いを掘り下げて行かねばならない。

 

「美しい」と言う言葉が大切なのではなく、「美しい」と言う言葉をどう認識し、どう理解し、自身にどう体感的に理解することが出来ているかが大切だと思われる。

 

写真作品集の制作に当たって作家の方々、作品への共通言語を見出さなければならないことを、この度の台北・ヤングポートフォリオレビューにレビュアーとして参加させて戴き改めて強く感じとらせて戴いた。

 

この度の台北・ヤングポートフォリオレビューにレビュアーとして参加は私にとってとても貴重な時間でした。

 

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2017年4月18日 台湾・台北より戻って参りました。

台湾・台北より戻って参りました。

14日〜17日まで台北ヤング・フォト・アートに参加して参りました。

ブックエリアには冬青社のブースを出店致しました。

参加者は大木啓至ご夫妻・北桂樹さん・権平太一さんの奥様・フォトグラファーハルさん・渡部さとるさんが同行して戴きました。

 

収穫は大きくは5つ、反省は2つございます。

●収穫その1 

出発する前に考えていた以上に写真作品集が販売出来たこと。

 

●収穫その2

台湾・台北 「1839ギャラリー」で大木啓至さん・北桂樹さん・権平太一さん・フォトグラファーハルさん・渡部さとるさんのグループ展が2014年6月17日〜7月17日まで開催されます。

6月17日にはトークショーが開催されます。

1人の作品が20点〜30点展示されます。

繁華街にありとても大きく、素敵なギャラリーです。

『台湾・台北 「1839ギャラリー」』で検索をして下さい。

 

●収穫その3

フォトグラファーハルさんが2018年4月にニューヨークのギャラリーで写真展と、毎年4月にニューヨークで開催開催されるフォトアートに出展が決定致しました。

 

●収穫その4

15日にポートフォリオレビューをレビュアーとして参加させて戴きました。

若い人の作品、将来性を強く感じさせて戴く作家、作品と出合ったことです。

私がレビュアーをさせて戴き、推選させて戴いた台湾の写真家の作品が準グランブリンに選ばれました。

差は1票さでした。

レビュアーは6各国19人です。

残念!!。

 

●収穫その5

出版社としての冬青社・ギャラリー冬青の名前が私が思っていた、感じていた、考えていた以上に知れ渡っていたことです。

多少、感激致しました。

※特に写真作品集のクオリティーの高さ、評価をして戴いていることに感動、感激を覚えました。

15日の夜、レビュアーの6各国19人と主催者側5人だけの夕食会がありました。

司会者から私の紹介をして戴たところ、外国の殆ど全員の方から、あの冬青社かと聞かれました。

英語力がない私は大変、苦慮いたしましたがなんとか・なんとか・なんとか話にならない話を致しました、スイスのギャラリーのオナーの方からは是非、写真展の企画を考えて欲しいとのことでした。

それ以外のギャラリーの方からも・・・。(だと思います。英語力の足りない高橋ですので・・・)

 

■反省点その1

フォトブックの出店にあたり、写真作品集のアイテム数が少なかったことです。足りなかったことです。

もっと沢山のアイテムを持って行くべきでした。

更には写真作品集には「冬青社」のクレジットが必要であることが実感させられました。

漢字のロゴマークを北桂樹さんにお願いしました。

 

■反省点その2

私の英語力の無さでした。

 

以上、搔い摘んで報告をさせて戴きました。

 

特に出発前かの準備、当日の販売のシステムには北桂樹さんが大変に努力をして戴きました。

(更には参加者全員の飛行機、会場近くのホテルの予約まで)

又、大木啓至さんの奥様には当日の販売は常に笑顔を絶やすことなく、出展作品を平等に販売して戴きました。

(出発前から出展作品の内容を把握して戴き、そればかりでは無く売れ上げ金の管理、整理をして戴きました。会場は22時までそれから店じまいをし夕食に行き、ホテルに帰り付くのが12時過ぎです。そこから今日の売上金の分類・整理と・・・。

それなのに朝、朝食をすませホテルのロビーに8時に集合、会場へと。殆ど寝る暇も無かったと存じます。)

感謝もうしあげても、申し上げることが出来ない程でございます。

 

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2017年4月12日 マイケル・ニッケ写真展「MUNICH-M0MENTS」

1956年 マイケルニッケさんはドイツ、ベルリン生まれ。

 

1972年 ノルウェイ在住中に写真を始める。ケルンにて写真工学を勉強したのち、フォトグラフィックデザイナーとして働きながら、雑誌や書籍で執筆活動を行う。

 

1986年 ミュンヘンに写真スタジオをオープンする。

 

2000年より、ファインアートフォトグラファーとして、またドイツの写真雑誌で編集長として活動している。

ドイツ写真協会(DGPh)のメンバーであり、これまでに16冊以上の写真集を出版。コダックフォトブック賞、if Communication Design賞、red dot design賞などを受賞。

 

2004年 ミュンヘンにパノラマ写真のためのファインアートフォトギャラリーをオープンし、自身の作品も数回展示を行っている。

 

 

※風景、人物の撮影が中心だが、中でもモチーフを絞って都市ごとにパノラマ撮影をするシリーズで注目を集めた。これまで、ハバナ、ドバイ、ヴェネツィア、ローマなどを撮影しているが、最も有名なのがミュンヘンを特殊なパノラマで撮影したモノクロ写真のシリーズである。

現在、パノラマ写真を使ったカレンダーを出版するEDITION PANORAMAのカメラマン、編集者として活動している。昨年は北朝鮮とエリトリアを新たに撮影した。

 ミュンヘン − アルプス山脈にほど近い、南ドイツに位置する。ところが、この街は時に、遠いイタリアの海岸の空気を感じさせることがある。本当に、南の暖かな太陽を感じたり、透き通った深い青色の地中海が見える気がするのだ。ここは多くの映画の舞台となり、前衛的な芸術やファッションが息づく街。もしあなたが感傷的な生き方が好きなら、その空気に溶け込むこともできるだろう。

 一方で、古くからあるヴィクトリア市場へ足を運べば、バイエルン人の売り子がポテトやチーズやとりどりの果物を勧めてくれるし、あるいは街の中心から少し外れると、ルネッサンス時代のイタリア式バロック庭園で喧噪を離れることもできる。英国庭園で中国塔を横目にビアガーデンを楽しむことができることも忘れてはいけない。

 イザール川の西岸では、古い記念碑を至るところで見かけるが、東岸には平和の天使像や、巨大なアールデコ様式のサウナであるフォルクスバートがある。ミュンヘンは、まったくもって大きな街ではない。ここは、ドイツらしいビジネスとイタリア的お気楽な精神が共存した、どちらかと言えば村のような雰囲気で、人々はそれを楽しんでいる。

 名立たる博物館や美術館、劇場を抱えた質の高いこの土地は、19世紀の初めから建築や文化の中心として栄え、多くの若い企業、芸術家たちが集った。再建された当時の伝統的な景観に、近代的な表情も付け足されてはいるが、街の色は変わらず黒と金。これは、神聖ローマ帝国の色だ。

(マイケル・ニッケ)

 

マイケルニッケさんは(旧)東ドイツのパノラマカメラ(人間の視界と同じ位、120度レンズが動く)で撮影されている。

遠近感がとても不思議な作品です。

ブリントはどこまでも透明感があり、心が清められる。

作品と対峙しているとプリントの透明感と不思議な遠近感がマッチングし、作品の中に吸い込まれる錯覚を覚えます。

是非、ご覧になられることをお勧め致します。

 

※私は明日13日〜17日まで台湾フォトアートにレビュアーとして参加して参ります。

冬青社の写真作品集のブースも出展致します。

この間、ブログはお休みをさせて戴きます。

 

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2017年4月11日 テリ・ワイフェルバックさんより「希望」と言う言葉を・・・

4月9日IZU PHOTO MUSEUMで、アメリカの写真家・テリ・ワイフェルバック(1957年生まれ)の写真展「The May Sun」を見にてトークショーを聞きた。

私達はテーマを求め定め、自身のコンセプトの中に落とし込み構築し、更には構築し可視化している。

 

私も編集者とし、時としてキュレターとして作家のテーマを理解し、作家のコンセプト(内容律)把握し可視化された作品を、よりメッセージ性を持たせ観者に伝える、伝達する責務があると考えて来ました。

 

コマシャールギャラリーでは特に作家のテーマ性だけを理解するのではなく、作家のコンセプト(内容律)把握することに務めなくてはなりません。

と・・・。

思い続けていました。

実際に私は作家のテーマ性、作家のコンセプトを追い求め、理解して参りました。

可視化された作品に作家のテーマ、作家のコンセプトを埋め込む努力をして参りました。

その上で1冊の写真作品集が生まれ、展示が開催されるます。

 

テリ・ワイフェルバックさんは語ります。

私の「The Politics of Flowers」(押し花の作品集)作品の中に込められているものは「希望」です。

確かに「The Politics of Flowers」写真集はパレスチナの地に咲く草花を、押し花にされたものをスキャニングされたものだが、

そこには作家のテーマ、作家のコンセプトと共に普遍的な未来に対しての「希望」が存在している。

「希望」がテーマではなく、テーマ+コンセプト+希望と言うことです。

三位一体になってこそ観者の方々に伝わるのだと。

 

私達は日々の生活の中で意識、無意識の中で「希望」を抱きながら生活をしていると思われます。

それが大なる「希望」、小なる「希望」かも知れません。

 

アート作品には「希望」と言うメッセージが埋め込まれていることを無意識の中で感じていましたが、テリ・ワイフェルバックてのトークショーを聞き「希望」という言葉を意識、認識することが出来ました。

 

アート作品には「希望」が埋めこまれていることに気づかされます。

アート作品だからこそ「希望」と言う人々にとって生きる上での、すべを伝えることが出来るのではないでしょうか。

アート作品だからこそ「希望」だからこそ人種・宗教・言語・国境・思想・哲学の枠を超えて理解し合うことが出来るのではないでしょうか。

 

テリ・ワイフェルバックさんは最後に私達に下記、語りかけられています。

「語られるのではなく、観者自身が感じるべきである」。

この言葉は誤解を招く、とても難しい観者への語りかけだと理解致さねばなりません。

この言葉を語りかける前に2時間ものテリ・ワイフェルバックさんのトークショーがあった上での語りかけです。

 

これからの冬青社の写真作品集は制作過程から誕生まで「テーマ+コンセプト+希望」が可視化された作品の中から見出し、写真作品集として表現したいと思います。

とても難しいが、チャレンジをしないわけにはいかない。

「写真作品集を芸術の花束として世に送りだす」

 

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2017年4月10日 昨日、IZU PHOTO MUSEUMへ・・・。

昨日、大木啓至ご夫妻に便乗させて戴きIZU PHOTO MUSEUMへ行きました。

アメリカの写真家・テリ・ワイフェルバック(1957年生まれ)の写真展「The May Sun」を見にとトークショーを聞きにです。

トークショーは写真史家の金子隆一さんとテリ・ワイフェルバックさん。

 

被写体は普段では見逃してしまいそうな、一見ありふれた「風景」であったり「もの」であったりとする。

普段見逃してしまいそうな「風景」や「もの」である。

「もの」に関して言えば(2003年に最愛のお母様をなくされた。)

『テリ・ワイフェルバックさんが、パレスチナに咲く花を採集して作られた19世紀の押し花帳と出合ったのを切っ掛けに制作された。

この押し花帳に収められた花々は、紛争の絶えないパレスチナの地で生きることの過酷さや、他者との死とどのように向き合うことかができるかということをワイフェルバックに語りかけました。彼女は、押し花が語るその言葉をひとつひとつ丁寧に汲み上げています』(パンフレットより一部割愛)

と、語る様に作品に込められた思いは自身の中の経験や体験、蓄積されてきた知識、思想、哲学が作品の中に込められていることが、

見事迄に構築され再構築された作品であることが、トークショーを終えて改めて作品と対峙したとき強く感じとれた。

 

更にテリ・ワイフェルバックさんは「The Politics of Flowers」(押し花の作品集)に寄せて語っている。

『私はいつも、難しいものごとを理解する手助けとして写真を撮って来た。(中略)(パレスチナの押し花帳を見けたとき)私は、母との死別と向き合うことの困難さについてあらためて考え、また紛争の絶えないパレスチナの地に思いを馳せた。(中略)身近な家族や子供が傷つけられることを、そこで生きる人々がどのように感じるか、私には想像ができなかった。この荒れ果てた土地に摘まれ、押し花にされた花は、そこに生きる人々のことを私には語ってくれた。(中略)しかし私はそれを声高に語るのではなく、注意深く伝えたかった。それは語られるのではなく、観者自身が感じるべきである。』(パンフレットのまま)

 

テリ・ワイフェルバックさんがトークショーの中で語った言葉で「希望」と言う言葉がとても印象的に強く残った。

ついては明日にでも。

 

現在、4冊の写真作品集をすすめさせて戴いている。

テリ・ワイフェルバックさんの言葉、作品に刺激をうけました。今後の写真作品集制作に反映出来ればと思う。

 

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