2019年3月19日  重森弘淹著「写真芸術論」その2

1章3節の中で 重森弘淹氏はこう語りかけている。

 

ゆきつくところまでゆきついた芸術状況の中で、もっとも純粋芸術の複製を目的として出発した複製技術は、やがて独立した複製芸術というジャンルを形成するにいたるのである。

今日の高度な複製技術が、全て機械を媒介しておこなわれることは周知のとおりであ。写真の場合、芸術の複製や自然の模写のために要求された正確な再現機能と、大量伝達機能を具備したカメラという機械が、その能力のゆえにこそ新しい表現能力とそのリアリティを開拓してゆくのである。

より多くの見ることができるのである。ニューホールのいうように、カメラは、「記憶をもった鏡」なのである。

第二に、カメラは、人間の固定した視点を開放した。カメラはいつでもふいにあらわれ、どこへでも侵入してゆく。人間がそこにいて見ることのできない、遠い空間も引き寄せてしまう。空間はレンズの前に自由に収縮するようになったのである。

第三に、空間の問題ばかりではない。写真はすべて過去の生起した事象の表象である。現実の消え去った時間が、つねに現在という時点で再生されているのである。そのことは、われわれに新しい時間概念を自覚させることになったのである。また運動はすべて時間をともなっている。運動とは事物の変化の過程であり、時間はその変化の過程の物差である。スナップ・ショットは運動する事物の瞬間のヴィジョンをとらえるが、それはとりもなおさず時間という概念を、ある具体的状態に還元してとらえたいというほかならない。

第四に、カメラの角度によって、対象の姿の姿がいくとおりにも変化によって対象のもつ意味も変化すことを発見したのである。人物を上から撮るのと、下からのとではずいぶん変わってくる。下から見れば人物を仰ぎ見ることになって威圧感を覚えるし、上から見ると矮小化されて諷刺化されてしまう。

 

といったおおざぱに要約した理由だけから、複製技術は複製芸術に進化したのでせはない。写真がさらに印刷化され、迅速に大量伝達されるとき、われわれは異なった場所と時間に起った出来事をほとんど同時に体験できるようになったのである。そのような意味を帯びているかは、すべてベンヤミンの説を引用しておいたからくりかえすまでもあるまい。

 

※この節を読み「写真芸術論」は1967年に出版された。

2019年の今、デジタルカメラとその周辺機器を見たとき、重森弘淹氏はどのように私たちに何を語りかけるのかと思いながら読んでいたら、何だか微笑んだ。

随分、変わった原稿になるのではと・・・。

この章までは写真が芸術とは語られていない。

重森弘淹氏が語るカメラが印刷物と交わることによって発達してきたことは間違いない事実。

しかし、今日的には情報の伝達に主眼があるのではなく、さまざまな印刷物、特に写真作品集そのものがクォリティを要求されている。

写真作品集そのものが芸術作品であり高橋的には純粋芸術だと思っている。

 

で、なければ編集者なかかやっていられない。

 

※4月5日(19時〜20時30分)マイケル・ニッケ写真展「UNPLUGGED」写真展に合わせまして、 

マイケル・ニッケ氏(ドイツ)×フォトグラファー・ハル氏のトークショーがございます。

●会費1000円

●先着30名様迄

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

是非、ご参加下さい

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年3月18日 本日も・・・

本日も仕事の多重と海外(ロシヤ)スタイリストの「Lotta Volkova」(ネットで検索をして戴ければ・・・)さんがギャラリー冬青へ来館されます。ブログはお休みさせて戴きます。

 

※4月5日(19時〜20時30分)マイケル・ニッケ写真展「UNPLUGGED」写真展に合わせまして、 

マイケル・ニッケ氏(ドイツ)×フォトグラファー・ハル氏のトークショーがございます。

●会費1000円

●先着30名様迄

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

是非、ご参加下さい

 

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2019年3月15日 重森弘淹著「写真芸術論」を見聞する・・・。

重森弘淹氏が書かれ1967年2月に美術出版社より出版された「写真芸術論」を読み返している。

「写真」とはなんであるかをもう一度知りたくなったからである。

1967年2月と言えばまだ生まれていない方も多くいられると思う。

しかし、今、読み返しても全く古さを全く感じない。

寧ろ写真家のバイブル書と言っても過言ではない。

 

第一章の1「写真の時代」の中に興味深いことが書かれていた。

(前略)コロディオン法の出現は写真が比類のない--たとえばそれまでの版画技法以上に--複製技術手段であることを証明したのである。そしてまた安価に肖像写真が手に入る喜びを大衆に与え、大衆はまた肖像写真熱にうかされることになったのである。大衆の肖像写真熱はブルジョワジーの階級的肖像として独占されていた肖像画の開放を意味するものであった。つまり肖像画の大衆の始まりであった。

しかし、写真が複製技術手段としてその位置を決定的にしえたのは、写真が印刷術という、もうひとつの複製技術と結びついたからである。

1850年代、すでに当時の日刊新聞は、ニュース写真を原画にして木版をつくり、それを刷り込んでいた。

ともあれ、木版としてであったが、ニュース写真の登場は、大衆をして肖像写真熱と同じような関心を世相に向けさせるとともに、新聞の性格すら変えずにおかなかった。ニース写真はニュース記事の信憑性を保証し、また迫真性をもたらし、ほぼ、現代の新聞の編集形式をこの時点で確立しえたのであった。

 

1897年イギリスのステファン・ヘンリー・ホーガンが網版の写真を高速印刷機で新聞に刷り込むことに成功し、ニース写真は完全に新聞に定着する。(中略)

 

この時期から、ようやく、芸術写真と報道写真が分化しだし、前者はアマチュアの、後者はプロェッショナルの分野となっていくのである。また前者を個人制作的なものとすれば、後者は情報産業との協同によって制作されるものとなってゆく。

 

重森弘淹氏がこの章で語る3つの面白き注文点が挙げられる。

1.「大衆の肖像写真熱はブルジョワジーの階級的肖像として独占されていた肖像画の開放を意味する」当時の多くの画家は自分たちの職業が奪われると戦々恐々としていた。ドガなどはフランス政府に対して写真の普及を止めるように嘆願書を送っている。

 

2.「写真が印刷と結びつく」ことにより、写真と技術は凄い早さで進歩し、一般市民の中に積極的に受け入れられていったことの指摘は、あたりまえだが面白い着目点だと思う。

 

3.「芸術写真と報道写真が分化しだし、前者はアマチュアの、後者はプロェッショナルの分野となっていくのである。」今日的に言えば商業写真家とそうでない写真家ということになるのだが、後者をアマチュアと位置づけているところに興味と深さを感じた。

まだアマチュアの定義は語られていない。

 

ここ暫くの私のブログは重森弘淹氏が語る「写真芸術論」を見聞して行きたいと思う。

 

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2019年3月14日 本日は・・・

本日は仕事が多重に重なっておりまかのでブログはお休みさせて戴きます。

 

でも一言・・・。

昨日、若林勇人氏の「作家による本棚」を開催させて戴きました。

この企画は北桂樹さんが考え立ち上げて戴いた企画です。

作家の本棚の一部をギャラリー冬青に持って来て戴き、作家がいかにして作品制作に取り掛かっているかを知るための企画です。

参加者が若林氏にお持ち戴いた書物を参加者が自由に閲覧をし、若林氏、参加者同士と自由にディスカッションを致します。

写真のことならず、アートや文学まで幅広く知識を得ることが出来ます。

自身の知識や思いや考え方を検証する切っ掛けともなります。

とても意義深く素晴らしい「作家による本棚」です。

 

昨夜は写真表現者としての若林勇人氏の土台の深さ、広さ、高さ、土台の更には硬さを十分に知る機会となりました。

以前よりこのことは理解している積もりではありましたが、若林氏の本棚の一部を切り取り、お持ち戴いたことにより改めて写真家・若林勇人氏を理解させて戴きました。

 

本当に本棚一部ではありますが、その一部から見えて来るものは、若林氏の読書の幅、奥行き、量の多さを垣間みることが出来ました。

それは写真集や美術史だけではなく文学、詩、哲学、思想史まで含まれその上で、写真表現をとの姿勢は貫かれている姿勢には感動を致しました。

「なぜ、撮るのか」「なぜ、撮らなければならないのか」自身との問答の中から生まれてくる若林ワールド。

この度の写真展の作品「スタンダード」に遺憾無く表現されています。

 

参加者のお一人の言葉、「一度、若林さんの本棚の全てを見てみたい」との発言。

この一言は参加者全員の思いだと感じました。

 

昨日は、素晴らしい「作家による本棚」の夕べでした。

若林さん、参加者のみなさまありがとうございました。

 

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2019年3月13日 昨日のブログのアクセス数に・・・。

昨日のブログのアクセス数に正直驚いています。

ギャラリー冬青も、高橋国博もデジタル・インクゼット作品を解禁したかと思われた方々がお読み戴いたのだと思います。

多くの方々から反響を戴き驚いています。

 

はい。ギャラリー冬青も、高橋国博もデジタル・インクゼット作品を解禁致しました。

ただし、若林勇人氏の「スタンダード」作品が基準です。

 

今迄、デジタル・インクゼット作品を拒否して来た積もりはなかったと思って居たのですが、昨日のアクセス数からして、高橋のまわりは拒否して来たかのように見えていたのだなと自覚致しました。

ブログを読んで戴いている方々には今更何をと言う思いになられるかもしれませんが、デジタルにはデジタルしか表現出来ない領域があることは度々申し上げて来た積もりですが、なにか言い訳をしている様です。

 

フイルムカメラや古典的技法とはデジタル作品は別の文化として受け入れ、それぞれの立場で表現を構築して行くことが大切に思えてなりません。

 

これだけは言えることだと思います。

デジタルカメラ・周辺機器はフイルムカメラの代替品ではないこと。

 

仕事が重なり今日はブログになっていませんが・・・。

ギャラリー冬青も、高橋国博もデジタル・インクゼット作品を解禁致しました。

 

●3月期の写真展=若林勇人さんの本棚に付きまして。

本日3月13日(水曜日)=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「若林勇人」氏、開催致します。

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致します。

是非、ご参加下さい。

先着10名様。
参加費=無料 

 

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2019年3月12日 フットワークを軽くしたい・・・。

iphoneの普及により写すという行為、情報を発信するという行為がとても身近になった。

今、写真表現は身近なものとなり、その世界はものすごい広がりを見せている。

それが故に「写真表現」とは狭く縛りを付けたくなる私と、先ずは全てを受け入れたいという二面の私がいて困っている。

 

全てを受け入れるということはフットワークを軽くしなければならない。

解ってはいるんだな・・・。

でも。

でも、でも。

でも、でも、でも・・・。

と、言う高橋がいて困っていた・・・。

 

写真を観る目、心、更には頭を柔らかくして範囲を広げることに務めなければならないと思っているのだが、なかなか私の殻を破れずにいるのが現状。

殻を破るのではなく理解をしたいと言う行為が大切だと・・・(土田ヒロミさんの高橋への言葉)

無意識の内に写真はこうあるべきだと枠を作りがちな・・・。(高橋が抱いている心中と頭)

その様な高橋がいて、新たな表現を見据えて思考することの楽しさを、見出すことを体感したいとの狭間に揺れ動いている。

以前は素直に写真を学びたい、観たいと思っていたのに、今日のように広がりを見せた写真表現に戸惑いを見せながら、それでもなお写真とはと考えたいと思っている高橋。

 

ギャラリー冬青は出来る限り、銀塩作品かCプリントに拘って来た。

その考えを払拭して戴いたのが現在開催中の若林勇人氏「スタンダード」(イングゼットプリント)素晴らしい作品。

技術的にも、テーマ的にも、コンセプト的にも三位一体となり、この度の若林勇人氏の作品「スタンダード」完成されている。

(モチーフ=テーマ・形式律=技術・内容律=コンセプト)

 

「スタンダード」作品には全く隙がない。

恐ろしいばかりに整っている。

この「スタンダード」作品はイングゼットでしか表現出来なかった。

寧ろデジタル、イングゼットだから表現が出来た。

ギャラリー冬青でもイングゼット作品を積極的に考えて行きたいと「スタンダード」作品を観ながら考え、思って居た・・・。

先週の土曜日、写真家の大木啓至氏と奥様が夕方にギャラリー冬青に来られた。

大木啓至ご夫妻は作品の出来栄に素晴らしいですねと連発をして戴いた。

 

ギャラリー冬青でもイングゼット作品を考えようと思ってますと・・・。(この展示作品「スタンダード」を基準としてはどうですかとアドバイスを大木啓至氏から戴いた)

 

そうすることにした。

ギャラリー冬青での、イングゼット作品のスタンダードは若林勇人氏の作品「スタンダード」を基準と致します。

ギャラリー冬青でもインクゼット作品が、これから見れることになるかも知れません。

高橋の頑な頭を意識を変えてくれた、若林勇人氏の「スタンダード」作品。

 

ありがとうございます。

 

●3月期の写真展=若林勇人さんの本棚に付きまして。

3月13日(水曜日)=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「若林勇人」氏、開催致します。

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致します。

是非、ご参加下さい。

先着10名様。
参加費=無料 

 

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2019年3月11日 3.11・・・。

3.11、8年前の今日、東京に住む私たちはTVから繰り返し流されて来る映像には、もはや東北で何が起っているのか想像も出来なかった。

時間、日が経つに連れ自然力の恐怖とともに、現実として死者の方々や不明者の数字がリアルに増えていくことを目の前にし自身が何処に置かれているのか自身の存在すら見失っていた。

 

それから間もなく福島の原発の館の爆発。

次第に日本人1人1人が改めて原子力の恐ろしさを知らされることになる。

特に福島原発は欠陥原子力発電だと聞かされていた。

アメリカが経済効率を優先に設計されたコンパクトな原子力発電。

日米経済摩擦の中、既にアメリカでは問題視されていた、このコンパクトな原子力発電を日本は買うことになった。

日本のための最後の一機だとも聞いたことがある。

 

その意味で広島、長崎、福島とアメリカによる3回目の原爆被災国となったと言える。

私たち日本人は1人1人が自身を還り見ようと試みた、8年経った今ですら還り見ることの出来ないもどかしさの中にいる・・・。

それなのに、8年前の高橋を顧みたとき記憶も心情も薄らえている自身がいる。

還り見なくてはと自身に語りかけるのだか、答えを見出せないでいる。

 

8年前、3.11何が起ったのか自身の記憶、心情とともにもう一度、顧みなくては思うのだが・・・。

そのような時に、本日から江成常夫写真作品集「After the TSUNAMI」が全国書店に並べられる。

取材年数7年間。

とても意義深い。

写真表現者・江成常夫写真作品集「After the TSUNAMI」が私たちに語りかけいることを紐解きながら、私自身を8年前、3.11の今日に立ち返りたいと思う。

 

もう、原子力発電はいらないことだけは確かだ。

 

●3月期の写真展=若林勇人さんの本棚に付きまして。

3月13日(水曜日)=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「若林勇人」氏、開催致します。

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致します。

是非、ご参加下さい。

先着10名様。
参加費=無料 

 

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2019年3月8日 須田一政さんが・・・。

昨日、須田一政さんが他界された。

言葉に言い表わせない。

言葉にならない。

無念。

モッタイナイ。

残念。

まだ、まだ私たちを観て育て戴きたかった。

・・・。・・・。・・・。

どれも、これもあてはまらない言葉だ。

とくに、関西に開花した「サロン派」にはとても造詣が深く単行本をと考えさせて戴いた時期もあった。

 

冬青社では2007年11月に写真作品集「民謡山河」を出版。

2013年9月に東京都写真美術館の展示に合わせて「凪の片」(図録)を出版させて戴いた。

 

「民謡山河」のタイトルは写真評論家・田中雅夫氏(故)が大切にしていたタイトル。

始めは「祭りの向こうに」にというタイトルをお勧めさせて戴いたことを覚えている。

この「民謡山河」は日本カメラの連載で1978年1月号〜1979年12月号まで丸2年間連載された。

田中雅夫氏とともに全国を旅され生まれた傑作作品。

何故か写真集になっていないことに不思議さを覚え、作品集を制作したい旨をお電話でお話をさせて戴いた。

指定された場所は、神田のJRの高架下の喫茶店の2階を指定され、お会いさせて戴いた。

もう12年も前の話。

 

ギャラリー冬青でも2回展示をお願いした。

いつも快諾をして戴いた。

トークショーが終わり二次会へ・・・。

二次会はいつも終電車を逃しホテルに泊まられていた。

その位、人付き合いが良く、人を分け隔てすることなく可愛がって下さった。

とてもお酒が好きで晩年は控えられていられた。

 

話を「民謡山河」に戻すと神田の喫茶店で是非、高橋に冬青社で 制作をさせて下さいとお願いをした。

本当ですかと・・・。

はい。

それはありがたいてす、今迄どの出版社も声をかけてくれなかったので・・・。

編集の全てを高橋さんにお任せ致しますといわれてお別れをさせて戴いた。

会談は3時間ぐらいだと記憶している。

先生の幼き(神田生まれ)ころのお話から、田中雅夫氏との出合いの話など・・・。

更に先生の「民謡山河」への想い、思い出話をお聞きしたことを覚えている。

 

1週間程経つと300作品の作品が冬青社に送られて来た。

それも全てがヴィンテージ作品。

取り扱いにはとても神経を使わざるを得なかったことも思い出した。

 

その中から高橋1人で100作品に絞り込まなければならなかった。

100点に絞り込む作業は3ヶ月間はかかったと思う。

それから編集作業がさらに3ヶ月間程かかった。

外した写真を観て入れ替えたりとして延々とほぼ毎日繰り返した。

 

最終100作品に絞り込み編集も終わり冬青社に来て戴いた。

ギャラリーに編集をさせて戴いた作品を並べ見て戴いた。

1時間ぐらいは黙って見て下さっていた。

須田さんが高橋さん、多少写真を入れ替えさせて戴いても良いですかと・・・。

はい、是非、お願いいたしますと・・・。

 

入れ替えた作品はなんと300作品中、3作品だけ。

順番の変更は1カ所だけ。

須田さんが高橋さん良くここ迄、見て下さりありがとうございますと、お礼を言って下さった。

「民謡山河」の制作も最終ばんに入りかけたころ、須田さんから一本のお電話を戴いた。

とっさに何かあったのかと、心臓が凍り付く思いでお話をお聞きした。

後書きに5、6行足したいのですが、スペースはありますかと・・・。

何とかさせて戴きますのてお書き下さいと申し上げた。

ホットしたことは今でも忘れられない。

後日、手書きの原稿が送られて来たのが下記の内容です。

 

この原稿が写真作品集「民謡山河」の後書きの巻末文章です。

「民謡山河」はずっと気にかかっていた作品だった。今回冬青社の高橋国博氏がこの作品を再び世に出して下さった。写真集制作にあたり、並々ならぬ情熱で本作りに取り組む姿に撮影者本人が驚かされるばかりで、終始気迫負けの感があった。ここに心から感謝の気持を記しておきたいと思う。

そして「黒焼き」と評されきた私のプリントを忠実に再現するために尽力下さった、凸版印刷の猪野氏、株式会社トッパングラフィクコミュニケーションズの杉山氏にもお礼申し上げたい。

最後に、田中雅夫先生。楽しい旅でした。ありがとうございました。

2007年11月 須田 一政

 

このような言葉を記して戴き、我が身が震えたことを今でも忘れない。

写真作品集の制作に行き詰まりや、マンネリ、勇気を失いかけたり、壁に打ち当たっり、折れかけた心を奮い立たせるとき、その度に後書きの巻末にお書き戴いた言葉を拝読をさせて戴いている。

もう幾度、何度読ませて戴いたかわからない。

高橋の写真作品集への制作のバイブルです。

高橋の写真作品集の原点です。

 

「凪の片」の話はまた後日に。

 

須田一政先生、ご冥福をお祈り申し上げます。

ありがとうございました。

これからもお導き下さい。

 

・・・。・・・。・・・。・・・。・・・。

 

 

 

 

 

 


2019年3月7日 「テーブルマウンテン」と「剣ケ峰」の違い・・・。

先日、ある方からこの様な質問を受けた。

日本の写真家は経済的に恵まれているのですか。

欧米の作家は経済的に恵まれている人が日本より多いような気が致しますがと・・・。

欧米の作家との日本の作家との違いはどこにあるのですかと・・・。

 

返答に困りましたが・・・。・・・。

「テーブルマウンテン」と「剣が峰」の違いですかねとお答えをした。

テーブルマウンテン=欧米

剣ケ峰=日本

 

海外は個人的レベルで作品を求める方、作家を(スポンサー)応援する方々が多く、企業としてもフェアーの応援や、スポンサーになる処も多いですね。

また公的なミュージアムも写真作品を積極的にコレクションをしていると聞きます。その様な事情があげられると思いまと・・・。

ですので、「テーブルマウンテン」の様に頂上が平で、面責も広く、そこに作家も多くたつことが出来て、経済的に日本より恵まれている作家が多くいることは確かかも知れませんねと・・・。

写真専門のコマーシャルギャラリーも数多く、存在していることもあると思います。

写真が芸術として、一般社会に溶込み受け居られていることもあげられますね。

 

日本の場合は一般的には写真作品を個人的に求めるという習慣が少なく少数派はだと思います。

個人的に作家を(スポンサー)応援するとことでは更に少ないのが現状です。

企業も公益社団法人などを作り(メセナ)活動をしています、芸術という分野でもコレクションをしていますが表に出て参りません。

(写真は解りません・・・。)

スポーツや最近では地球環境問題などに応援をしてることだけが目立ちますね。

更には公的なミュージアムも予算がないことから特に、写真作品を積極的求めるところは限られています。

ですので、「剣ケ峰」の様に頂上の面責も狭く、頂上にたてる作家は一部の作家であり欧米に比べて経済的に恵まれていない作家が多くいることも事実ですね。

写真専門のコマーシャルギャラリーも数が少ないことも問題の一つかも知れません。

 

これは、観る側だけの問題だけではなく、作家自身にも表現者としての共同責任があるように思えます。

タマゴが先かニワトリが先かの問題ではなく、写真文化を育て華を咲かせるには観る側も表現者も共に努力をすることが大切に思えてなりません。

と。・・・。・・・。・・・。

 

※今週3月9日(土曜日)ギャラリーは高橋が当番の日です。

写真談義や写真集の制作や悩んでいられる方はご相談に来て下さい。

是非、遊びにお出で下さい。

 

●3月期の写真展=若林勇人さんの本棚に付きまして。

3月13日(水曜日)=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「若林勇人」氏、開催致します。

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致します。

是非、ご参加下さい。

先着10名様。
参加費=無料 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 


2019年3月6日 本日は・・・。

本日は仕事がたて込んでいますので、ブログは休ませて戴きます。

 

※今週3月9日(土曜日)ギャラリーは高橋が当番の日です。写真談義や写真集の制作や悩んでいられる方はご相談をさせて戴きます。

是非、遊びにお出で下さい。

 

●3月期の写真展=若林勇人さんの本棚に付きまして。

3月13日(水曜日)=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「若林勇人」氏、開催致します。

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致します。

是非、ご参加下さい。

先着10名様。
参加費=無料 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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