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2017年8月7日 美術史を紐解くとき「なぜ」がかかせない。

先週「なぜ」について書きましたが・・・。

美術史を紐解くときも「なぜ」がかかせないと思って居ます。

今迄、数多くの美術史が出版されたり、話を聞く機会を得てきました。

その多くは「俗」の様式の歴史のうえであったり、現象的な事象を一定の考えのもとに纏められていることに気づきます。

私は考えます。こけまで当然なことのように、当たり前のように通用してきたのは「なぜ」かと。

 

閉鎖的な研究、学問態度が行き詰まりをみせる中、オリエンタリズムへの意識が芽生えても、研究は進みますが美術史の中に反映されていません。

オリエンタリズムはヨーロッパへの影響は陸、海からの交易、戦争、侵略から始ったといっても過言ではないと思われます。

美術というより装粧品としての扱いだと思われます。

美術の中の一部に留まっています。

「なぜ」・・・。

近年、美術史の中ではオリエンタリズムとの関係が紐解かれつつあると思いますが・・・???。

それを承知のうえで、参考として私達は読み、話を聞くことを致さなければならないのではないでしょうか。

美術史が前に進んで行かない理由の一つに、固定した概念を基礎、基盤として出発していることにあると考えます。

 

次の例題からも理解を得ることが出来ると思います。

※その一つに、江戸美術が幕末・明治に断絶致します。

幕府の衰退、江戸美術の後半を担ってきた町民文化のエリートがなぜ明治に引き継がなかったのか。

未だに謎です。

 

※もう一つ例をあげれば「劉生」です。

「劉生」は中年から晩年にかけて初期の印象派以降の近代絵画の影響から脱して、デューラー、そうして宋元画に影響を受けます。

多くの書物は劉生一人のこととしてきたことは「なぜ」か・・・。

確かに現象はそうだと私も思いますが「なぜ」は解決されません。

近代化の中で醸成され絵画感そのものへの反省「なぜ」が起りデューラー、宋元画に近づいていったかを考えなければ「劉生」を理解したとは、ならないのではないでしょうか。

「劉生」は「なぜ」です。

まだ、その文献には出合っていません。

 

先日のブログにも書きましたが、一人の、一冊のではなくその語り部、書物から「なぜ」を見出すことが大切に思えてなりません。

美術史に「なぜ」を発見致しましょう。

 

※2017年8月25日19時より谷口タツロウ(8月期写真展作家)&土田ヒロミ先生のとトークショーが開催されます。

先着35名様 会費1,000円

●お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

■下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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