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2017年9月1日 人は何のために生きているのかと・・・。

人は何のために生きているのかと考える時がある。

自己表現の為にと言ってしまえば身も蓋もない。

他の人の為に時間も、ものも、心も、使いたいと思う時が強くある。

そう考えさせられる時がある。

そう思うのは他の人々から様々な形で恩恵を受けているからだ。

 

真の教養人とは人の心や営みを肌身で感じ、実感出来る人だと思う。

これは学識や判断力、実行力や経済力、思考力や表現力を超えた人としての何かがある様な気がしてならない。

真の教養人は人の痛みや喜びを理解でき共有できる人だと思う。

人の痛みや喜びを理解できなくとも、理解したいと、理解してあげたいと意識していることが大切に思えてならない。

 

人は等しく物事を考えたり、努力するすべを持っている。

日々、自己表現の為に生き生かされているのだと思う。

確かに「もの」に恵まれた生活はそれなりに楽しい。

「もの」に恵まれた人は「もの」に恵まれるだけの努力をされてこられたに違いない。

その上で今日の生活があるのだから。

それが故に平等とは差があることが平等だと理解している。

努力した人は努力した分だけ「もの」にも「心」にも恵まれて当然だと思う。

 

写真表現でも同じことが言える。

表層に現れた作品を感動するのは写し手の努力と人間力だと思う。

努力した人には努力した分だけ人間力を与えられると信じます。

 

人は人でありたいと願っている。

努力をし恵まれた人は、恵まれた分だけ人にも尽くせるのではないかと考えます。

人は一人では生きられないことぐらい誰でも理解している。

食べ物や衣服、学問や芸術、日常品の全てまでが誰かのお世話になり日々を過ごしている。

 

日本人の平均寿命は女性が約87歳、男性が約81歳と言われている。

人の命には寿命があり限られていることは確かな命題だ。

だからこそ人は美しく生きたいと思い願っている。

一つでも、二つでも他の人の為と考え、思って日々を過ごしたい。

誰の為の心なのか、経済力なのか、学識なのかなどなど・・・。

 

他の生物より、人の行いや心を寄り多く共有出来ると信じているのは人間だからと思う。

 

■下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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