写真は写真でなくなりつつあるのだろうかと、思う昨今です・・・。
●タダ、美しく撮りたいと言うのであれば、デジタルカメラ。
●便利に撮りたいと言うのであれば、デジタルカメラ。
●コストパフォーマンスを考えずに撮りたいと言うのであれば、デジタルカメラ。
●記録だけを考え撮りたいと言うのであれば、デジタルカメラ。
●後処理のことを考え撮りたいと言うのであれば、デジタルカメラ。
●その他諸々・・・。
とても、便利になったデジタルカメラとその周辺機器。
スマートフォンを始め気軽に撮れてしまい、情報発信も手軽になった「写す」「発信」すると言う行為。
写真表現が自己完結的になりつつあることを憂います。
写真はもともと特権的地位として、存在していたに違いないと思うのは古き考えなのでしょうか。
デジタルカメラと周辺機器が発達した今だからこそ、あえて写真表現の「英雄主義」を考えて見たいと思ってます。
銀塩作品の美しさ、Cプリントの美しさは今だからこそ、輝きをもって受け入れられているのではないでしょうか。
ドイツのヨーゼフ・ボイス(社会彫刻)が唱えた「英雄主義」からの訣別ではありませんが、デジタル時代の今だからこそ、古典技法も含めて、もう一度「フイルムカメラ」ならではの美しさに立ち止まり趣向してはと考えています。
「フイルムカメラ」は写し手の職人的技と、表現者の美意識が相まって可視化されると考えます。
なんとなく、人の息づかいまでが感じませんか・・・???。
聞こえてきませんか・・・???。
写真は写真でありたいと思いますとき、なぜ私は古典技法やフイルムカメラに精神が向かうのでしょうか・・・。
ただ、失われつつあるフイルムカメラへの郷愁だけではないような気が致しています。
失われつつある技法への哀れみだけでもありません。
写真は写真であり続けたいと強く思うことからこんなことを考えてしまいます。
デジタルカメラと周辺機器が発達により、全ての人に開放された「写す」と言う行為、「発信」すると言う行為。
果てして市民権を得たと言えるのだろうかと考えます。
無意識の内に存在する行為。
「写す」「発信」。
写真表現を芸術としての領域を何処を根拠にすれば良いのでしょうか。
私自身とても迷い混乱しています。
確かなる根拠を求めねばと思う日々が続いています。
「写真は写真でなくなりつつある」今だからこそ・・・。
●第三回目の=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」を開催致します。
今回の本棚は渡部さとるさんの本箱の一部を切り取ってお持ち戴けることになりました。
●先着10名様まで会費、無料。
1月10日午後19時〜21時まで
※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。
●イベント内容
本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。
■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。
皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。
ブログ上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。