<< 2018年2月8日 アートを楽しむには美術史や学的体系だけではだめ・・・。 | main | 2017年2月13日 パリのギャラリーVUのオーナー・キャロラインさんから >>

2018年2月9日 あるTVを見ていたら・・・???

TVを見ていたら著名な美術評論家と言われる人が、日本の大正時代の夭折画家(若くして他界すること)について、たった一言「彼は天才であった」と語った。

議論はそこで終わってしまい、番組に出ている人は、それ以上言及できなくなったのです。

 

そんな時、意地悪い見方をしてしまう私には、「なんて罪つくりな」と感じてしまいました。

「オレが天才、といったのだからそれでいいじゃないか!」といっているように感じたのです。

いわば有無をいわせない言及に、とても言い表わせない退廃を感じました。

ナゼでしょうか? 仮にその夭折画家が天才だとしても、どのような天才であったのか、後世に生きるわれわれは、これからのために解明しておく必要があるのではないでしょうか。

TVを見ながらなんだか割り切れない気持に包まれたことを覚えています。

 

あの時代状況の中で、彼だけが今日まで影響力を持ち得たのはなぜかとということです。

このようなことを私がかんがえるのは、いつの時代であっても大事なことだと思えるからです。

さまざまなことを抜きに「天才」と評価断定をしてしまうと、つまるところ「雲の上の人」と見なしてしまうことになりかねません。

かえってその作家を遠ざけることになるばかりではなく、ファンに対して不要な強制力として働き、それ以上解明できなくなってしまいます。

私たちは本当に天才なのか否かを自身も含めて解明を続けたいはずです。

 

私たちの周囲はこういう、いわば決まり文句の横行は珍しくありません。びとい場合は、くわしく考えるのが面倒のため、「巨匠、異才」などなどといったレッテル貼りで、すましている例が少なくないと思います。

些細なことかもしれませんが、こうした安易な決め方は要注意だと私は思っています。

 

美術史やアートを勉強することはとても大切なことですが、評論家や研究者の言葉を鵜呑みにせずに、無意識のうちに納得せずに、無意識の内に受け入れずに、自分自身にとってなぜ面白いのと考えて見ることも大切に思えてなりません。

 

評論家や研究者の短絡的なことは「天才・鬼才・異才・秀才」などなど短絡的なことばに素直に納得をせずに、自分なりの物指しで納得されることをお勧め致します。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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