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2018年2月28日 4年ぶりに・・・。

4年ぶりに九州・福岡に戻った。

母が92歳で他界してのお葬式以来・・・。

姉は電電公社(現在のNTT)の管理職(役員クラス)についていた。

25年前に主人の両親の面倒をみるために電電公社を退職した。

25年前で女性職で年収1000万円を超えていたとのこと。

 

ご主人の父が痴呆症がはじまり、母1人では面倒がみられないことになり退職をし、両親を引き取り住みはじめた。

主人の和雄は施設に預けることを姉にすすめたが、両親は私が見る、見ますと姉は皆に告げたとのこと。

介護にあたっていた姉は母が痴呆症にならないことをひたすら願っていたとのこと。

2人の面倒は同時には到底見られないとの肉体的、精神的に。

私も家内の両親の痴呆症の面倒を見た経験がある。

この大変さは実際に経験したものしか解らない・・・。

 

和雄の実家は裕福な家庭であった。兄の妹さんも両親を施設に預けることを姉にすすめたとのこと。

(一時、施設に預けたこともある)

姉は家族だからと言って聞き入れなかった。

約10年間ほど父の面倒をみた。

86歳で他界したとのこと。

 

それから1年程したら母が強度な(徘徊も含めて)痴呆症に襲われた。

それから6年間母の面倒をみたとのこと。

母が他界すると、先週のブログにも書きましたが姉夫妻は私の母のを引き取り面倒を見て下さった。

 

3年前から私の義理の兄である主人が痴呆症が始まり、近年では強度の痴呆症であった。

救いはとても穏やかであったとのこと。

姉、近くに住む娘、息子たちと介護をしていたとのこと。

特に入浴は姉と息子の役目だったと・・・。

 

死因は姉が家事をしているときに近くにあるものを口に入れて喉に詰まらせたとのこと。

姉は自分をとても責めていると娘の千恵子さんから話をきいた。

救急車で病院に運ばれたが手遅れであった。

 

姉は53歳のときから介護の日々をひたすらに突き進んでいたことになる。

姉は私の母に似てとても気丈な女性。

幼いころから一旦決めたことは曲げない、実行する。

家族のためと決めたら管理職の職も投げ捨てて介護にあたって下さった。

 

私が今日、東京で今もって表現者の端くれとしてでも活動出来ることも姉夫妻のおかげである。

そのお通夜とお葬式、その前にお見舞いに行けなかったことを悔やんでいる。

 

帰るとき姉に落ち着いたら一緒に温泉旅行に行こうと・・・。

今、思い出せば姉はどんなに大変なときでも愚痴ひとつ言わなかった。

私にだって一言も。

私の母は92歳で姉夫妻のもとで天寿をまっとうした。

88歳のときから目が見えなくなった。

でも母がデパートに行きたいと言えば、車いすをおして早朝(他のお客さんに迷惑がかからない時間帯)に行っていた。

 

帰り際に姉に落ち着いたら一緒に温泉旅行に行こうと、これからの時間を楽しんでねと言って別れた。

近々にまた福岡に私は帰る・・・。

 

※緊急連絡

山下恒夫写真展「Fragments of Jouner 1993-1997」の写真展はマスコミと弊社のホームページに3月1日と告知されてございますが正式には3月2日からでございます。

お詫び申し上げ、宜しくお願い申し上げます。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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