<< 2018年5月31日 写真表現の領域が狭まっているのでは・・・。 | main | 2018年6月4日 一歩、一歩の積み重ねが・・・。 >>

2018年6月1日 撮らされているのではないか???。

最近、思うことがある。

デジタルカメラとその周辺機器の開発、発展はめまぐるしく進化している。

8Kカメラも2020年には売り出しがされるとの噂が流れている。

 

1839年、一応は写真の起源とされている。

1839年から写真の技術は進化してきた。

それは、「写し手」が利便性やモット記録を残したい、モット美しく、モット早くとか写真機の進化は「写し手」の要求であり希望でもあった、主役だったと思う。

「写し手」の要求に答えるものであった。

「写し手」が主役であった役割りはデジタルカメラが出現するまで続いたと私は振り返る。

自動露出計やズームレンズ、連写シャッターなどなど、数えきれないぐらい写真機は進化をとげた。

しかし、それらの進化は「写し手」の要求から各メーカーは凌ぎをけずり研究開発されてきたと私は思う。

あくまで「写し手」が「こう撮りたい」「こう撮らねば」との主体性が写真機の進化に繋がったと思いたい。

「写し手」が主役であった。

 

デジタルカメラの出現により主役はメーカの移り「こう撮れます」との説明に「写し手」は教湧くしながらも、驚き、納得し受け入れているのではあるまいか。

もはや「写し手」はメーカーの「手のひら」中にあるのではないだろうか。

主役がメーカーに・・・。

メーカーの開発に戦々恐々として受け入れなければならない現状。

だからこそ「こう撮れた」ではなく「こう撮りたい」ではないかと思います。

 

写真家・土田ヒロミさんの言葉を思い出す。

「デジタルカメラはどうしてもシャッターを押すことが多くなるよね」と。

この言葉はとても私には意味深い言葉だと受け止めている。

 

今日のブログのタイトル「撮らされているのではないか」と通じるものがあるように思えてならない。

デジタルカメラの利便性より「撮らされている」のではと危惧するのは私だけなのだろうか。

デジタルカメラの進化の時代だからこそ「写し手」は強固な「こう写したい」という意志を持つことが大切に思えてならない。

「こう撮れた」ではとても悲しい。

「こう撮りたい」ではないか・・・。

 

●ギャラリー冬青からのお知らせ。

※2018年6月8日(金曜日)19時30分〜21時、沈昭良(台湾・写真家)×関次和子(東京都写真美術館・学芸員)によるトークショーがございます。(先着30名様まで、後7名)

会費=1.000円

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


スポンサーサイト

  • 2018.06.19 Tuesday
  • -
  • 13:29
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>
selected entries
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
       
sponsored links