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2018年6月12日 試行錯誤が必要・・・。

今、アート界でパブロ・ピカソ(Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso], 1881年10月25日 - 1973年4月8日)の絵が話題になっている。

ピカソの初期の絵のキャンバスに全く違った絵が描かれていたことが、X線や最新式のスキャナーで判明した。

この時代、キャンパスや絵具は高く高価なものであった。

画家たちは一度、描いた絵が納得いかなければキャンパスの絵具を削り落とし、その上に改めてモチーフを描えた。

この度、発見されたピカソの絵も時代的にその類いだとのこと。

 

李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、이우환、1936年 - )にもこ、んな逸話が残っている。

李 禹煥の初期の時代、経済的にとても貧しい時代が長く続いていた、失敗した作品を奥様がヘアドライャーで絵具を乾かし、絵具を削り落とし、再びその絵具を使用したとのこと。

 

一枚の絵を仕上げるのに先人達の苦労、格闘が隙間見えてくるようなニュースだ。

 

デジタルの進化も決して悪い事ばかりではない。

様々な新たな発見や、思考や実験を試すことが可能になったことだけは確かだと思う。

ただし、便利さや機能、アンチョコさ、基本的知識(アートの知識)の鍛錬、修得を疎かにしてしまえば、ただの道具使いにしかならない。

フイルムカメラでもまだ、使おうと思えば充分に使える。

無論、それ以前の様々な古典技法も含めて表現手段は残されている。

方やデジタルカメラとその周辺機器の進化は驚かされるばかり。

デジタルカメラの進化は写し手の思考(ソフト面)を停止してしまうことの恐ろしさ、危険性を感じている。

 

写真表現者はフイルムカメラの衰えばかりを憂えるのではなく、今の内に古典技法やデジタルにチャレンジしてみてはと思う。

様々な趣向錯誤をすることを表現者には求められているのではと考えます。

古典技法とデジタルを融合させることも含めて。

 

ソフト面にもハード面にも趣向錯誤して始めて写真表現は可視化されるものと思う。

試行錯誤なくして表層には現れないと思う。

写真表現の恐ろしさは「偶然性」にあると日頃から思っている。

もし「偶然」にイメージしたものが現れたとしてら、なぜこの「偶然」が生まれたのかと言う検証を謙虚に行い詰めなければならない。

特に写真表現には求められていると考えます。

単なる「偶然」は芸術ではない。

試行錯誤の末の「偶然」は芸術の領域に値すると考えます。

 

写真表現における「偶然」を見出し、体験するのも、勝ち取るのも、写し手の試行錯誤からくると思われます。

 

実は真の「偶然」こそが己において新たな表現方法の発見かも知れません。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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