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2018年7月6日 なぜ多くの芸術家は貧困なのか・・・。

以前にもこの様な内容ついてブログで書いたと思います。

 

毎年、多くの芸術系大學または専門学校から世に多くの生徒がアーティストとして、アーティストの卵として世に送りだされます。

「ところてん」ではないがアーティスト、アーティストの卵は構造的に毎年輩出される。

想像しても恐ろしい。

その意味で特色があり、卓越したものしか生き残れない構造となっている。

 

「金と芸術なぜアーチストは貧乏なのか」ハンス・アビング著 (山本和弘訳)の有名な著書があります。

ハンス・アビングはアーティストであり経済学者でもありました。

 

ハンス・アビングは著書の中で次のことをのべいる。「芸術に携わる人、特に芸大の教師達が商業を嫌うのか。それは芸術を『神聖なもの』(芸術神聖神話)と見る思い込みが原因だったのです。」

更にハンス・アビングは「19世紀末にボヘミアンアーティストが多数生まれた頃からそのような思想が定着したようです。(真善美説がいかに現実的ではないとの問いが沸き起こって来たと思います。起ってきました。)しかし、結果として、多数のアーティストが食えない。食えないことを礼賛するアカデミズム。」と語っています。

 

更に、更にはハンス・アビングは「多数のアーティストが食えない。食えないことを礼賛するアカデミズム。しかし、それではいけないと私は思います。商業を排除し、助成金にたよる事が一層貧しいアーテイストを増産する結果となっている」と語っている。

 

ハンス・アビングは「アートを神聖なものだと想うことが、アーテイストを誤った信念へと導いている。間違った信念とは、『霞を食べて創作する』事です。」とも話を続ける。

「本当の芸術というのはそんなもんじゃないと想います。人の暮らしを豊かにし、感動を与えるのがアートであって、感情や信念の勝手なばらまきはアートでもなんでもないのだと想うのです。私は食える芸術家・工芸家を育成しなければならないと想います。」

 

だからと言ってアーティストだけの問題として片付けるのは、いかにも無責任のように私、高橋は思えます。

観る側、見せて戴く側も、ただ観るだけではなく、見せて戴くだけではなくアーティストへの経済的フォーロが伴うことを理解いたさねばならないと思う。

「芸術」という枠を確立するにはアーティストと観る側の私たちも、「芸術と言う土台」の上に立っていることを理解すべきではないでしょうか。

更にはコマーシャルギャラリーを運営する者の1人として、小規模でもスポンサーとして自身の立つ位置を認識して欲しいと強く願います。

スポンサーなくしてアーティストの表現はあり得ない。

 

アーティストに表現を求めるのであれば観る私たちも、それなりの(スポンサー)責任が伴うのではないかと考えます。

今は亡き、ツァイトフォトサロンの石原悦郎さんは、私にこう語って下さった。

ツァイトフォトサロンでは作品を買わざる者はツァイトフォトサロンの中では作品の評価をさせなかったと。

今なって思えばウンチクのある言葉だと思う。

も一度、アーティストとはなにか、芸術を構成するものはなにかについて、それぞれの立場で考えてみてはどうでしょうか。

 

アーティストに求めるぶんだけ、観る私たちも応分の責任が伴うのではないでしょうか。

 

※7月6日(金曜日)、勝田暉子写真展「小さな旅のはじまり」のオープニングパーティーが19時より開催致します。

是非、お出で下さい。

現在は倉敷市在住の勝田暉子さんは植田正治さんを師匠と仰ぎ、1960年代後半〜1970年代の山陰で撮られた作品を発表して戴きました。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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