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2018年7月11日 昨日、写真表現のfake性について書きましたが、思わぬ反響や抗議を戴きました。

昨日、写真表現のfake性について時間のない中、書きましたが思わぬ反響や抗議を戴きました。

驚きました。

抗議を含めてありがたいと思っています。

デジタルの作品がfakeの世界だとは誤解しないで戴きたい。

しかし、デジタル化の進化によりfakeが、より簡単に表現が出来ることになったことを認識すべきだと語りたいだけ。

 

無論、高橋国博はストレート写真が好きです。

好みです。

写真表現はストレート写真であるべきだとも思っている。

真実に迫ろうとする姿勢。

真実を観たいという姿勢。

本質に迫ろうとする姿勢。

本質を探りたいと言う姿勢。

ありのままを記録として残しておきたいと言う姿勢。

などなど、写真表現はストレート写真であるべきだとも思っています。

この姿勢こそが写真表現の神髄だとすら思ってます。

 

しかし、簡単な作業から言えば暗室作業をとっても、おい焼きや焼き込みなどなど・・・。

植田正治さんは印画紙をUの字に曲げてプリントをされたことは有名な話。

オノデラユキさんの「ローマ ローマ」自らの調色技法。

様々な技術と自身の思考、思想に基づき写真表現は可視化されるのだと思ってます。

被写体を通じて何を伝えたいのか、伝えるべきなのかは写真表現の持つ命題だと思う。

 

しかし現在、デジタル化の進化によりいか様にも変化させられる現実の世界があります。

スマートフォン1つでも驚くべき現象を私たちは体験することが出来る。

疑似体験の世界へ私たちを誘ってくれます。

 

私の好きな白髪一雄の後期の作品なんか真実を語ろうなんて思ってもないと思う。

観念芸術の際ものだと思っている。

だから面白い。

だからクダラナイとも思う。

概念芸術=観念芸術(1960年代〜1970年代に起きたコンセプチュアル・アート=前衛芸術運動。)

 

話を戻すと写真表現の世界で、デジタル化の進化にともないfakeの世界は避けて通れないと思っている。

fakeと言う言葉がいけないのかもしれない、fake=想像の世界と言えばより説得力が増すと思われる。

fakeの世界がごまかしの世界であっても表現者が強く認識をして、観る私たちをfakeの世界に誘ってくれることは喜ばし、楽しましてくれれば良いものである。

 

デジタル化の進化の恐ろしきところは表現者がfakeの世界だと認識、理解していないことである。

その様な作品にはなんら価値を見出すことは出来ない。

fakeの世界感を認識せずに、現実の世界感であるかの様に語ることは間違いである。

 

fake=想像

デジタル化の進化で今迄、想像もしなかった世界が観れていることを私の喜びとしたい。

積極的に受け入れて行きたいと思う。

衰退する写真表現の領域、デジタル化の進化は救世主になりうるかも知れない。

と、昨日は語りかけたかった。

 

しかし、高橋国博は古典技法や銀塩作品が大好きだ。

ギャラリー冬青は古典技法や銀塩作品に拘って行きたい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 


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