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2018年7月31日 写真家の使命・役割り、「撮る・撮らない」、「撮る・撮れない」・・・。

現在、3,11に関わる写真作品集を2冊担当させて戴いている。

1冊は小林恵写真作品集「フクシマノート」もう1冊は、江成常夫写真作品集「After the TUNAMI」東日本大震災(仮題)ノート。

 

私は今迄、3.11に関する写真作品集の制作から意識的に遠ざかっていた。

遠ざけていた。

意識的に、無意識的に。

それは、私自身3.11に向き合えないで来ていたことと、還り見れずにいたことに帰依致します。

3.11後、何度か石巻に向かおうと新幹線のプラットフォームに立ったのですが、新幹線に乗れずそのまま帰宅してしまいました。

3,11から3年後、写真家の橋本照嵩(石巻の出身)さんに案内をして戴き3日間かけて牡鹿半島を一周した。

私は一枚の写真を撮ってはいない。

撮るつもりもなかった。

 

土田ヒロミ写真集「フクシマ」を見たとき。

写真家の方々の多くも3.11写真集を出版されている。

始めの頃は私は否定的に捉えていた。

(まだ、自宅の書棚には1冊の関連書籍、写真集はない。)

土田ヒロミ写真集「フクシマ」を見たとき(装丁は別として)記録性の大切さを学んだ。

 

写真の使命の一つに「記録」を残すということは避けて通ることの出来ない使命であり命題だと思う。

それは等しく写真家にも課せられている使命だと理解致している。

「撮る・撮らない」での議論を良く耳にします。

現場に立たずして「撮る・撮らない」の論議は納得のいかないと私は考えていました。

現場に立ち「撮る・撮れない」かの議論ではないでしょうか。

「撮る・撮らない」の議論は写真家そのものを否定するか、肯定するかの議論にしか繋がりません。

「撮る・撮れない」かの議論は写真家の本質的な問題に迫ることだと思います。

 

写真家の「撮る・撮らない」での検証は自らを写真家として否定をしているかの様に聞こえます。

無意味に「撮る」、無意味に「撮らない」としか聞こえてきません。

「撮る・撮れない」は写真家の本質に迫る問題です。

「撮る」ことも大切であり、「撮れない」ことも大切な写真家としての意思表示だと思います。

 

写真機を持った以上、写真家は記録を残すという役割りを着せられていると考えます。

その上で「撮る・撮らない」ではなく、「撮る・撮れない」に思いを馳せて戴きたいものです。

 

写真家の方々、また写真そのものが記録を残すという命題から逃れることが出来ないことを、意識して考えることが大切に思えてなりません。

 

私も要約、2冊の作品集に着手する意味合いを見出せつつあります。

『1冊は小林恵写真作品集「フクシマノート」もう1冊は江成常夫写真作品集「After the TUNAMI」東日本大震災(仮題)ノート。』

お2人の写真家、2冊の写真作品集のお陰で「撮る・撮れない」の論議の中に入れさせて戴くことが出来ました。

 

3.11を還り見て写真の役割り、写真家の使命を考えさせられています。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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