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2018年8月7日 感覚と感性の違い・・・。

今週の日曜日にギャラリーや美術館巡りをした。

思わず作家から「この絵は私の感覚の世界です」と言われてしまい、「私の絵を観て解りませんか」と問われて、戸惑ってしまった。

更には「私の絵を観て解らない人に説明のしかたもありませんねと・・・」まで言われてしまった。

解らないままギャラーを出て、高級そうなカフェがあり、たまには良いかなと思い一時を過ごした。

コヒー1杯、小さなクッキー1個付き、1080円。

身体を冷やしながら己の「感覚」とは一体、何ものぞやと考えてみた。

 

京都造形大学(非常勤講師)の教壇に立たせて戴いて8年目になる。

その間、デジタル作品の表現の幅の広がりには目をみはる作品も多くなってきていることを体感している。

デジタルと周辺機器、ソフトも含めて発達により、写真表現が「感覚的」になって来ていることに一抹の不安を感じていた。

「インスタ映え」と言う言葉が象徴するように、観る側の意識を必要以上に本人が意識して「インスタ映え」する作品になってしまっていることが問題だと思う。

 

表現者は先ずは他人の目や動きや、つぶやきなどを気することなく、自己の内側にあるものを可視化して欲しい。

「感性」である。

「感覚」ではなく「感性」を表現することをアーチストには求められていると思う。

「感覚」は感覚に過ぎず目の前の物体に対して美しい、美しくない、形や色などなどに心を奪われ判断の基準となってしまっているのではないか。

本質に迫ろうとする気持が気薄になってしまうことが恐ろしい。

 

本質は作家の作品を生み出す「感性力」である。

「感性」とは知識や経験、技術、判断力、生き方そのものが「感性」と考えます。

私たちは作品を観るとき表現者の生きたかまでを観たい、体感したいと思っている。

様々な経験や学問や慣習(立ち振る舞いや全てのマナーも含めて)「感性」は研ぎすまされて行くものだと思います。

 

「感性」を豊ならしめるには自身の生き方そのものを見つめ直す必要に迫られていると思う。

「感覚」だけではとても薄ぺらな人生になりかねない。

「感覚」だけの作品は作品ではない。

 

アーチストに限らず私たちは感性豊かな人と接したいと思う。

感性豊かに暮らしたいとも思う。

 

私たちは知らず、知らずの内に作品を観るとき表現者の「感性」に触れたいと思っているのではあるまいか。

デジタルが身近なものになった今だからこそ「感覚」・「感性」を意識してみてはどうかと思う。

 

重力のある作品と出合いたい。

それは「感性」豊かな作品かも知れない。

 

「感性」豊かな人は自然と美しい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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