<< 2018年9月3日 ギャラリー冬青の役割り・・・。 | main | 2018年9月5日 写真の持つリアリティ・・・。 >>

2018年9月4日 ドキュメンタリー写真の現状・・・。

デジタル写真が身近なものになり、知らず知らずの内にビッグデータになってしまう。

それは写しての意志と関係無く、また同意なしにSNSにあげればビッグデータに当然のことのように組み込まれてしまう。

特に災害時の報道写真などは新聞社を始め報道機関などがニュースを流すまえに、一般人が携帯電話やスマートホンで撮ったものがいち早く流されます。

 

現役の新聞記者に聞いた話です。

熊本地震のおり、本社から熊本支社に応援のために緊急に派遣されたそうです。

彼が与えられた仕事は街や村、山間地位に個別訪問をして、一般人の方々が災害時の写真を撮っていないかと尋ねあるくことだったそうです。

もし、撮ってあればそれらを借り受けることが重要な任務だったとのこと。

 

災害や紛争地域の写真に関係無く、写真史では一枚、一枚の写真が重要であり大事にされてきた歴史があります。

写真家は写真家としてのクリエイティビティを失いかけています。

クリエイティビティを発揮するのは一般人を含めた、ビッグデータのなかから編集者が取捨選択を編集者がその地位を席捲しているといっても過言ではありません。

そこにはもはや写真家が介入する余地はありません。

 

写真家による時代性の背景や現場主義、現場でなにが起っているのか、なぜなのかといった写真家としての使命がとても気薄になっているように思えてなりません。

その要因の一つがデジタルの進化、誰でもが参加できるSNSにもその大きな問題としてあげられると考えられます。

 

ビッグデータの今だからこそ写真家の良心にに基づき、、写真表現者の原点に立ち戻り一枚、一枚の写真に自身の思いの何を込めたいのか、立ち止まり考えてみることが大切に思えてなりません。

写真は情報発信だけのものではないのではないでしょうか。

 

写真家が現状と向き合うとを忘れてしまえばビッグデータに飲み込まれ、沈没しかねません。

表現者は自分は何者か、現在という時代はどんなもんであるか、現実社会と向き合い自身の意志、思想を明確に持たなくては単なるビッグデータの中の一枚しか過ぎません。

 

表層に現れているものは0,01ミクロンも満たないものかも知れません。

その0,01ミクロンの表層こそ表現者の命であり魂だと信じます。

その0,01ミクロンの表層の中に埋め込まれたものが、写真家の執念、社会へのテーゼだと考えます。

 

ビッグデータと対峙するのではなく、写真家本来の使命を立ち止まり考えて見たいものです。

0,01ミクロンも満たないの表層の中に、何かが隠されているはずです。

 

※9月7日(金曜日)19時より船尾修さん(大分・国東半島在住)のご出席を戴きオープニングパーティーをさせて戴きます。

是非、ご参加下さい。(会費無料)

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


スポンサーサイト

  • 2018.09.20 Thursday
  • -
  • 10:49
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
selected entries
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
       
sponsored links