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2018年9月10日 フェイク写真に思うこと・・・。

フェイク写真には大別して二通りあると思っている。

自身がフェイク写真と認識して自身の想像の中、或は想像を脹らまして制作していく行為は認めるべきだと私は考えている

立派な写真表現だとも思っています。

ただし自身の作品をフェイク写真と認識していることが大前提です。

 

自身がフェイク写真と認識をせずに、現実の世界のことのように制作する行為は絶対に表現として受け入れるべきではないと考えます。

写真表現は昔から様々な形や方法で行われてきた。

私の好きな中山岩田の前衛的写真は世界的に高く評価されていることは衆知の通りだと思います。

中山は表現運動「新興写真」をリードし日本近代写真史のアートシーンにその足跡を残しています。

植田正治の印画紙をUの字に曲げてプリントをされた作品の話も有名です。

 

高橋はフェイク写真は想像写真、創作写真と理解しています。

片方、フェイク写真は人々を、観る人にあたかもあったように見せる表現です。

これら写真は害を及ぼすだけで何ら意味を持たないことを知るべきです。

直にフェイク写真だと分かる情報はまだ遊びとして許されるかもしれませんが、あたかもそこに事実があり、現実の世界があるかのように表現することは許されない行為です。

 

SNSやツィターなどで便利になったお陰で、私たちは様々な情報を直ちに観ることが出来ます。

フェイク写真の酷さには文化そのもの、社会そのものを破壊しかねません。

 

近くには21号台風や北海道地震の情報は一般の方々がSNSやツィターなどで、あげた情報がTVや新聞よりいち早く私たちに伝えられました。

私たちは現実を知ることが出来ました。

 

果たして写真家の役割りは終えたのでしょうか。

私はそうではないと考えます。

SNSやツィターなどで流された情報は単なる情報で、被災を受けられた方々の思い、国の行政の甘さ緩みなどまでは全く伝わってきません。

21号台風や北海道地震で日本人として何を考え、行動を起こすべきか顧みることが必要であることは、普通の日本人であれば解ることです。

考えることです。

 

厚さ0.1ミクロンにも満たない表層に現れた映像は単なる情報や記録のためにあるのではなく、その薄き0.1ミクロンにも満ない表層の表現のなかに写真家の魂と言葉(メッセージ)が隠されていると信じます。

だからこそ、写真家としての使命、約割り表現があると信じます。

高橋が言うフェイク写真の中にも様々な表現スタイルがあります。

中山岩田の前衛写真・新興写真もその一つかも知れません。

 

特に台風21号ではインスタグラマー気取りで、インスタグラム写真として自身の身の危険を探知することも知らずに、いち早くあげようと、流そうとして、大けがをした人が数多く出たとのことです。

これれは情報は自己満足型のつまらない情報です。

 

でも、SNSやツィターなどで流された情報は単なる情報でもあっても、そのお陰て一命を取り留められ方や対策をすることも出来たことも事実です。

 

大切なのは自身の情報が発信する側のmasturbationだけなのか、他の人のためなのか観る私たちはハッキリと取捨選択をするべきだと考えます。

 

記録のなかに写真家の魂と言葉(メッセージ)が隠されているのではないでしょうか。

観る私たちは写真家の0.1ミクロンにも満たない表層に現れている作品、その中に隠されている、写真家の魂と言葉(メッセージ)を読み取ることが求められているように思えてなりません。

 

写真表現は生きている。

呼吸していると思う。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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