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2018年9月11日 偶然は偶然にしてあらず・・・。

昨日Mさんとメールを交換させて戴いた。

それを踏まえて思うこと・・・。

まだ読み終えてないがジュール・ルナール(1864〜1910)の「ルナールの日記」を読んでいたらこんな事が書かれていた。

ルナール自身恵まれた環境化で育つたのではない。

経済的にも才能的にも、若くして父親が病気を苦に猟銃自殺をする。

ルナール自身も46歳にして動脈硬のため他界する。

著作物は多く1907年にはアカデミー・ゴンクールの会員になる。

 

『「ルナールの日記」の一節にこのようなことが書かれていた。

「才能といふうやつは量の問題だ」

どうしたら「恵まれたまれな瞬間」は訪れるといっても、黙っていては永遠に訪れそうにもない。

リケルもそのことについては一言もいってはない。本当はそんなことはなかなか分かりにくいし、これからも分からないかもしれないけれど、これまで私たちはその答えを探してきた。

だが、まれな瞬間を導出する方法があるように思える。それはジュール・ルナールが日記に書いているものだ。

これも文章を書いていこうとする人のためのものだが、「一行の詩のためには」と同じように、何ごとにも量をこなすという実践が解決するかもしれないことを訴えたものである。

才能といふやつは量の問題だ。才能といふのは一頁書くことではない。三百頁書くことだ。小説といつたところで普通の頭脳をもった人間に考えつけないほどのものではないほどのものでもなく、どんなに文章が美しいにしても駆け出しの人間には書けないといふものでもない。残された問題は、ただペンをもちあげ、原稿用紙に向き合い、根気よくそれを塗りつぶして行く行為だけだ。早速、机に向ひ、汗を流す。そして、たうとうやり通す、インクの壷をからにし、紙を使ひ果たす。このことだけが、才能ある人間が、いつまでもやり出せない怠けものと違ふところなのだ。』 

岸田國士訳(原文のまま)

 

「ルナールの日記」を読みながら、森山大道さんが若者に向かって「撮ってますか、沢山撮りなさい」と語りかけている。

多少、内容、ニアンスは違えどもフット思い出した。

 

偶然は突如起きるものではなく、努力した者だけが与えられる、恵まれる瞬間の偶然だと最近、思っている。

実篤の言葉に「努力、努力、努力、そうして努力、努力した者だけが、チャンスに恵まれる」と語りかけている。

古今、東西を問わず同じことが語り、言い続けれている。

 

それは撮影の現場だったり、暗室作業中だったり、機器の不都合であったりなどなど、思いがけない事柄や偶然が自身の身に何が起ってくるか分からない。

予想すらしない偶然の出来事が、思いがけない作品へと繋がりを見せることを体験された方々も多いと思う。

私が印刷立ち会いの折、緊張はしているものの偶然に起きたことが旨く行き、それを発展してきたことも度々だ。

 

偶然のチャンスは偶然ににと起きうるものではないことは確かだと思う。

その偶然を偶然としてに終わらせずに、意識して自分のものにすることが大切に思えてならない。

偶然は努力した者だけに与えられるチャンスだと思う。

 

偶然は偶然にして起きうるものだけではないことは確か。

Mさんとメールを交換をさせて戴き、本日のブログになりました。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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