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2018年9月26日 キッチュは芸術の範疇なのか・・・。

「キッチュ」とは一言でいうば「キワモノ、イカモノ、通欲物、粗悪品」などなどと言うことになってしまうのだが・・・。

「キッチュ」はガラクタではないと唱え続けたのは石子順造氏だが、何か私には未だに釈然としないまま今日を向かえている。

「ガラクタ百科」の書物をみると全てがガラクタではないことが理解出来る。

 

恐らく、私が考えるには石子順造氏は「キッチュ」と言う言葉があり、「キッチュ」と言う言葉付け、言葉に意味をもたすために「キッチュ」はガラクタではないと唱え続けたのではないかと思ってます。

石子順造氏は1960年代後半から他界するまで、芸術のオルタナティブ・カルトカルチャーとして「キッチュ」について語り続けていますが・・・。

 

様々な分野で「芸術」として表現すれば、なにか世の中に受け入れられらしく、その風潮が蔓延していると思います。

「キッチュ」文化を素直に「日常品」「趣味」「楽しみ」の範囲と理解する方がよいのではないでしょうか。

私たちの日々の生活、「日常品」「趣味」「楽しみ」を「キッチュ」文化に芸術性を持ち込むことに異論が私にはあります。

 

茶の湯にでも「おけいこ茶碗」「と「おもてなし茶碗」があるように日常性と芸術性は相馴染まないものではないでしょうか。

私が多少お茶を学んでいたころ、私の師匠は高橋さん「おけいこ茶碗」も10年も20年も使っていると愛着がわき、それなりの風格が出で参いります。

それは皆様かいっぷく、いっぷくお飲み戴いている内に、始めは「おけいこ茶碗」であっても風格が出でまいります。

皆様が育てあげて戴いたのですね。

とても私はこの器を大切に致しておりますと。

でも正式な「茶の会」にはだせませんと私に話して下さった。

 

一見フラットに見える現代アート。その現代アートの父と言われているマイケル・デュシャン「泉」(男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした作品が有名だかデュシャンはデュシャンなにり様々な経験、苦悩、格闘の末に生まれた作品である。

つい最近話題なになったZOZOTOWNの前澤友作氏が購入したバスキア(落札金額124 億円)、バスキアは初期は路上アーチストと言われ、路上で落書きもどきのことをしていたことは確かだ。

でも、バスキアには確かな技術があり表現力を持っている

バスキアの作品にはオーラを感じる。

オーラばかりではなく貴賓さえ感じ取れる。

 

アートとは芸術とは作家が苦悩の末に、だとり着きたい、たどり着ける領域のことだと思う。

「日常品」「趣味」「楽しみ」で制作したものまで他者が、本人が芸術と叫ぶことにとても違和感を感じる。

私たちの日常生活にはとても欠かせないことだけは皆衆知している。

 

「キッチュ」という言葉に意味を持たせ、そこに芸術性を求めるのは如何なものかと思う。

「キッチュ」と「芸術」とはハッキリと分離するものだと思う。

「キッチュ」文化に芸術性を求め与えることは愚かな行為だと思う。

「芸術」とはそんなに生易しいものではない。

「芸術」は制作過程から、制作意図が込められ(制作以前からかも知れない)強い意志と共に作品化されると考えます。

全てのものが芸術作品ではないことだけは確かだと思う。

真の意味の「キッチュ」を理解すべきだと思います。

 

昨日、「キッチュ」について芸術が否かについて多少、興奮気味にやりとりがあり今日のブログとなりました。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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