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2018年9月27日 私は「土もの」がすきであるが・・・。

「キッチュ」について書きましたが、高橋的の意図とするものは下記です。

(1930年代にドイツで生まれた「キッチュ」論「身近な日常の消耗品などなど」)

 

私が焼き物が好きですが、それ程程造詣が深いわけではないことを前提に・・・。

焼き物が好きな人には「土ものから入り土ものに戻る」と言われているそうです。

確かに私も当初は「土もの」が好きで、信楽焼や益子焼などに興味を持ち使い始めたが、今は「磁器」をもっぱら使っている。

関東では「染め付け」が好まれるのに対して関西は「赤」が好まれるそうだ。

 

一昔は信楽焼や益子焼は日常品として気軽に使えたが今ではそうではない。

多少、好みのものを求めようと思うと驚くほど高価。

焼き物についてはこの辺で終わりして・・・。

 

「キッチュ」の中からも芸術作品が生まれるかも知れないが、既成なものに敢えて芸術性の評価を与えるのは如何なものかと思う。

思想家・柳宗悦氏のとなえた民藝運動とは多少違うのではないか・・・。

 

「芸術」という言葉が一人でに拡大解釈をされ始め「芸術」という枠がとても広がったように思えて仕方がない。

「芸術神聖神話論」を信奉するものではないが、これも、あれも「芸術表現」と言われてしまえば誰も抵抗ば出来ない。

だからこそ、受け入れ側の一人一人がそれぞれの作品と向き合ったとき、受け入れられるかどうかがとても大切に思えてならない。

 

また、批評家、評論家にも多くの責任があると考えます。

なにか目新しきものをいち早く見出し、評価することにおいて自身の表現の枠を広げようとする試みは如何なものかと、正直に思うときがあります。

また、一度評価されたものに対して更に評価を与える傾向が日本には存在することにも危惧致します。

自身の目で、経験でなぜ正しく評価をしないのかと・・・。

自身の立つ位置、目線で素直に評価をし欲しい。

 

「芸術」という枠をもう少々厳格に考えてはどうかと思うこのごろです。

表現する側も・・・。

批評家、評論家も・・・。

観せて戴く私たちも・・。

 

今日のブログはとりとめのないものになってしまいました。

こんな日も・・・。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 


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