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2018年12月6日 昨日に続き・・・。

「日本の新進作家」展に思うこと。

この企画そのものは素晴らしいと思う。

東京都写真美術館が新進作家を発掘し、世の中に送りだす行為はとても素晴らしい行為だと考えます。

東京都写真美術館というクレジットが若い人にはとても大切だと思うから。

若い作家の方々が世界に出立するにはとても役立つクレジットだから。

また、写真を志している人への一つの道知るべにも・・・。

 

だが、なぜ「新進」と付ける意味合いが高橋には良く解らない。

新進でなくとも意欲的な優れた、若い写真家が多くいるのにと思う。

なにをもって新進と主催者の東京都写真美術館は考えているのかと・・・。

技法的に新たな挑戦なのか・・・。

思考的に新たな挑戦なのか・・・。

作品的に新たな挑戦なのか・・・。

明確でないことにキュレーターの方の考えをより聞いてみたいと思ったのだが・・・。

 

キュレーターの方の顔が見えないのが残念に思えてならない。

キュレーターの方の意図、意志が読み取れない。

ましてや、若くして作品が完成されているとはキュレーターの方も、始めから思ってないのではなかろうか。

「日本の新進作家」展は将来性、将来に向かって可能性があると信じての写真展だと考えます。

だからこそ、キュレーターの方々は写真展の説明責任が不可欠だと考えます。

「流行」(はやり)に飛びつくことはとても危険だと考える1人です。

 

しかるに、観る側の私たちも将来性を感じさせる作品であって欲しいと思うのは私だけではないと思う。

作品から将来性を感じる何かが欲しい。

 

作品の解説だけではなく「この作家の、この作品」のどこに将来性をどう見出したのか、東京都写真美術館で「日本の新進作家」展として、行う意味をキュレーターは語る責任が伴うと思う。

語られているのは作品の解説だけだったのはとても残念。

 

キュレーターの方が何をもって展示作家を選び出したのか、キュレーターの方の意図を明確にして欲しかった。

今、写真を志している若い人のために。

 

日本は本当にキュレーターの方の顔が見えない。

展示の場合、特にグループ展などにおいて、一番、苦労をしているのはキュレーターの方のはず。

そのキュレーターの顔が見えないのはとても不思議に思う。

 

これは余談になりますが、新人賞と名付けられ35歳前後の方々が対象になっている。人生100歳時代とささやかれ始めています。

50歳、60歳で写真を始めた人はどうなるのかと考えることがあります。

「若手、新進」に捕らわれず「写真年齢」という考えもあっても良いのではないかと思う。

 

※作家在廊日

12月12日・13日・14日・15日・19日・20日・21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログの上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 


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