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2018年12月18日 因果な職業だとつくづく思う。

先週の水曜日、私の家内の母親が他界した。

享年96歳。

昨日無事、葬儀を終えた。

先週は木曜日・金曜日と印刷立ち会いがあり、水曜日の夜に危篤の知らせが入ったが立ち会うことは出来なかった。

母とは31年間、私の家で共に生活をした。

 

私が大手電気メーカー(音響開発研究所)から出版社に転職をしてまもなく、古山高麗雄編集長から言われた言葉があった。

「編集者は場合によっては親の死に目にも立ち会うことが出来ませんよと。」

「高橋さんはその覚悟がありますかと。」

はい。とお答えしたことを今でもハッキリと覚えている。

古山高麗雄先生がいなくば今の高橋は存在しないことは言うに及ばず。

 

家内と結婚して3年目に長女が生まれた。

その出産日は九州・福岡に出張中であった。無論、出産日は解っていた。

家内は私の友人に車を運転して戴き、病院に向かった。

 

次女が生まれるときも、仙台に出張中であった。

家内はタクシーで1人で病院に向かった。

無事生まれましたと、病院から知らせを受けたのは仙台のホテルであった。

 

長男が生まれるときは沖縄に出張中だった。

 

11年前、同居していた家内の父親が他界をした。

八王子にある病院で。

印刷立ち会いの日と重なり終了後、板橋区にある凸版印刷二平工場から、病院に駆けつけた時には、既に息は引き取っていた。

 

9年前に九州・福岡に住む実の母親が92歳で他界した。

姉さんより危篤の知らせが入ったが、印刷立ち会いが1日残っており印刷を済ませ、羽田から最終便で駆けつけたが臨終には間に合わなかった。

 

7年前、家内が他界した。

午前4時15分。

その日は京都での以前より取材の予定が入っており、娘に段取りを託し京都に向かったことは、今でも忘れられない。

 

私が経済的、精神的に大変お世話になった、義理の兄(姉さんのご主人)が1年前には他界した。(福岡)

仕事の関係で駆けつけられたのは葬儀が終わって5日目であった。

 

本当に因果な職業についたとつくづく思う。

そうして、31年間共に過ごした母が先週水曜日に他界した。

時々、自分は何者ぞよと思うことがある。

家族や兄弟、子どもに何をしてきたのかと・・・。

本当に人間らしく生きているのかと・・・。

その様な生き方しか出来ていないことを一番理解してくれているのは、他界した家内であり、子供達であった。

 

子供達が幼稚園や小学校、中学校、夏休みなどに家族旅行を殆どしたことはない。

何も言わなかった・・・。

それをよいことに仕事に明け暮れていた。

ありがたいと思うばかりである。

感謝してもしきれない。

 

仕事の犠牲になったとは、微塵とも思っていないが、もう少々、人らしく生きたいと思う。

31年間、共に過ごした母の慰霊を前にして思う。

 

※作家在廊日

12月19日・20日・21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログの上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 

 


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