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2018年12月20日 人は何のために、何故生き生かされているのかと思う・・・。

時々ではあるが、人は何のために、何故生き生かされているのかと考えることがあります。

今年は全国至るところで災害が起きた。

多くの方々の尊い命が奪われた。

幼い子どもから大人まで。

災害だけではない、交通事故や事件に巻き込まれて他界された方々も。

ニュースを見ていると毎日の様に不慮の出来事で他界されたり、命がを亡くされている。

人様の命の尊さがとても気薄になっていないかと恐ろしくなることがあります。

 

神様はどこで線引きをしているのかと、信仰を持たない私ですら考えます。

生きている者と、そうでない方々と・・・。

生き、生かされて者として何かを考え、多少なりとも行動を起こすべきではと・・・。

私たちは自身の感情や物指しで「怒り、憂い、歓喜」しているのではあるまいかと考えさせられます。

「一喜一憂」

知らず知らすの内に自分の物指しが正しい、考えが正しい、正義が自分にありと思い込み、そのあげく理屈をこね、主張しその主張自身が正しいと思い込んでいる節があるのではないてしょうか。

 

もし、生き、生かされるとしたら生かされている者として何かをなすべきではと考えます。

何かが自らが出来ることがあるのではないかと。

人間は万物霊長類の中で最も相手を理解する能力にたけているとお聞きしたことがあります。

 

1人でこの世の中で生きていけないことぐらい、解っている。

様々な恩恵を受け生活が出来ることぐらい、解っている。

例えば、写真表現者がカメラや様々な素材がなくば表現ができないように、私たちは恩恵の中で生かされていることを気薄になっていないかと、時々ではあるが鳥肌かたつ様な思いにかられることがあります。

 

働き対価として恩恵を受ける権利があると言うことであれは「人」としてこんな恥ずかしいことはないと思う。

一利あるとしても「人」として全てではないはず。

自身の立場を主張する前に「人様」のこと「相手様」のことを思いやり、一歩、自らが踏み出すことが大切なような気が致します。

気がしてなりません。

 

そこには自身のプライドや価値に縋り付き「人様」のことや「相手様」に傷つけてはいないかと、自身で意識して振り返って見ることが大切な気がしてなりません。

「自身のプライドや価値」がいくら程の価値があるものか、自らが検証してみることも大切なような気がしてなりません。

案外と、とてもチッポケで安物であったりするかも知れません。

その結果として大切な「人やチャンス」を無くしているのではないでしょうか。

 

義母を亡くし、今年様々な出来事があり、私は私なりに振り返って見て多くの原因は、私自身の一時的な感情やプライドから生じていることに多少ではありますが気がつきました。

自身の感情やプライドに埋没することは狂気に繋がることが恐ろしく思います。

 

今の高橋の心境を出来るだけ素直に書いた積もりですが、なにか収拾がつかないブログになりました。

 

※今週の金曜日21日19時より、作家・竹谷出さんを交えましてクロージングパーティーを開催させて戴きます。

 是非ご参加下さい

 

※作家在廊日

12月20日・21日・22日です。

13時から19時まで在廊されます。

 

■10年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、冬青社・ギャラリー冬青・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログの上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


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