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2019年1月27日 写真と時間、その時間の中に・・・

特に最近の写真表現は時間、時代を超越してビジュアル化が多くなっている様に思える。

時代の傾向かも知れないと思うのだが・・・。

写真の強みと言われて来た「時間を切り取る」と言う行為・・・。

その努力が薄れて来ているのではと考えさせられることが多くなった。

写真程、他の表現分野とは違い、写真程時間を切る取ることの出来る表現方法は他にないのに・・・。

問題は、その時間の中に埋め込まれている写し手の意図ではないかと、最近の写真表現の遂行を観て感じ思っている。

 

昨日、田中長徳さんの1966〜1970年に写された、70点余の作品を見せて戴いた。

70年代の看板や広告塔、車や電車、ファションやスタイルが色濃く残されている。

骨格や顔立ち、仕草までが全く違う。

70年代の生活感が臨場豊かに蘇って来る。

凄まじい活気が作品から伝わって来る。

素晴らしい作品群。

 

写真と言う表現の面白味、楽しさ、素晴らしさを改めて知ることが出来た。

写真は記録にして記録にあらずと思った。

写真は時代と共に生きている。

写真は時代と共に呼吸している。

写真は時代の生き証人。

 

ただのスナッテプ写真ではない。

ただのストリート写真ではない。

ただの記録写真ではない。

 

変貌し続ける社会、未来を見つめて今、残すべき記録を現実の社会から読み取り、「時代・時間」を切り取られている。

写真表現しか、なし得ない表現手段だと思わせて戴いた。

写真だからこそなし得る表現だと思う。

写し手の意図が強く伝わって来た。

 

確かに写真は記録を残すと言う事に重きを置かれて来たことも事実ではあるが・・・。

記録を残すだけでは決してアートシーンには残らない。

そこには写し手の確りとした社会認識が投影されていると思う。

時代を読み取る力、時間を切り取る力が伴われている。

24×36个箸い小さな画角の中に宇宙が埋め込まれている。

写真は素晴らしい表現手段の一つである。

 

一時、「キッチュ」と言葉が流行った時、一般家庭のアルバム写真迄が、価値があるかのように価値を見出す運動が起きたことがあった。

一過性に終わり、あの見直し運動は何であったのだろうかと、今にして思い、考えさせられる。

 

写真表現には写し手の確りとしたメッセージが伴うことが必要である事を昨日、改めて共感をさせて戴いた。

写真の強みと言われて来た「時間を切り取る」と言う行為、そこには写し手の確かな時代を読み取る力が伴うのではないか・・・。

写真表現には時間を掛ける、続ける、時代を読み取ることがとても必要・・・。

 

写真は時代と共に生きている。

写真は時代と共に呼吸している。

写真は時代の生き証人。

そう感じた昨日の一日でした。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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