<< 2019年1月27日 写真と時間、その時間の中に・・・ | main | 2019年1月31日 渡部さとるワークショップ「H」について・・・。 >>

2019年1月30日 私たちは・・・

私たちは芸術や美術作品に触れたり観たりする時、知らず知らずの内に時間を読み取ろうとしているのではあるまいか。

時の流れとでも言うか・・・。

単なる作品鑑賞ではなく、漂う空気感や時間、時代背景まで無意識の内に読み取ろうとしているように思える。

優れた作品であればある程、作品に吸い込まれるようにタイムトンネルを潜っているかの様に、錯覚を覚える経験をしたことは高橋だけではないと思う。

 

その様な時代にその場に生きたことも、無論ではあるが経験すらないのに、あたかもその時代にその場に生きていたか様に迷宮の世界に浸ることがある。

作品によって浸してくれることがある。

それは作品を通して時間を共有しているからではあるまいか。

それは作家の時間であったり・・・。

作品の時間であったりとする。

タイムラグとは全く逆のベクトルが脳裏や心の中で動いているのではと考えます。

 

だからこそ、優れた作品は何時迄も見い居ってしまう。

不思議と「時代」を感じたり「時間」を感じる写真に出会う時がある。

「写真と時間」、SNSが氾濫している今だからこそ冷静になり、立ち止まって考えて観てはどうだろうか。

特に写真は「時間」の概念がとても必要な気がしてならない。

写真から「時間」を無視する行為は3通りある様に思える。

1.全く「時間・時」の認識を持たず、理解せず可視化される行為は写真の醍醐味、使命から逸脱する行為だと思われる。

2.意識して「時間・時」から逸脱致そうとする行為は、その行為自体が「時間・時」と言うことを意識している証であると考えます。

本人の意思が「時間・時」を逸脱して可視化したいと強い意志が働いても、観る側において「時間・時」を感じることが出来ると考えます。

3.「時・時間」を意識して作品の中に埋め込もうとする行為。

 

何のための記録なのか。

先ずは自身に還り見て「何のために記録」をしたいのか考えて見ることが大切に思えてならない。

「時間」を意識してこそ、可視化する行為にが認められるのだと思う。

表層の美しさや形の美しさだけに捕らわれることは無意味な行為だと思われる。

それは現代アートにも同じ事が言える。

 

優れた作品には必ず「時間」が埋め込まれている。

その「時間」を私たちは楽しみたい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


スポンサーサイト

  • 2019.08.22 Thursday
  • -
  • 10:55
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>
selected entries
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
       
sponsored links