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2019年2月8日 思いを、イメージを可視化することは・・・。

自分自身の思いをイメージを可視化するために、写真で表現いたそうと思ったとき、様々な装置を使います。

ドイツの詩人、ライナー・リルケの『マルテの日記』の中の短文、「一行の詩をつくるには」(約700文字)に次のことが書かれています。

「思い出が僕たちのなかで血となり、眼差となり、表情となり、一行の詩の最初の言葉が思い出のなかに燦然と現れ浮かび上がる。」

と、私たちにリルケは語りかけています。

「思い出のなかに燦然と現れ浮かび上がる。」には、「一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見なくてはならない」と書かれています。

 

何か相通じるものを感じます。

リケルは恐らく自身の物指しの分だけしか、世の中は見通せない。

リケルは恐らく自身が学んだ分だけ、世の中は見通せる。

リケルは恐らく体験をしただけ、世の中は見通せる。

などと、私たちに問いかけているのではないでしょうか。

更には、常に意識をもてと言っているのかもしれません。

 

写真表現の表裏は「装置」を使わざるを得ないことです。

ややもすればハード(装置)に拘りすぎて、頼り過ぎて美しく撮れれば、形になればと思いややもすれば安心してしまうことがないでしょうか。

無論、特に写真表現はハード(装置)を熟知することを怠っては意味がないことに成りかねません。

 

自身の思いを、イメージを可視化するには、ハード(装置)を熟知するだけではなく、多くのことを学習致さねばならないと思います。

自分の中に血と成り肉となるものはなんで有るかを考え、学習をすることがとても大切な気がしてなりません。

「頭デッカチ」になることは危険ですが、人間味とでも言えば良いのかも知れません。

「能ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」など、言葉がありますが、真の意味で「人間味」と言うことになるのでしょうか。

 

真の人間味とはリケルが語りかけているように「一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見なくてはならない」

見聞する以外に「思い出のなかに燦然と現れ浮かび上がる。」何かが必要であることを私たちに語りかけているように思えてなりません。

私たちは「写真装置」に委ねることに捕られ過ぎずに、自身の思いをイメージを伝えたいものです。

その上での「写真装置」だと思います。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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