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2019年5月14日 遊びと情報と写真表現の違いは???。

遊びと情報と写真表現の違いはと考えさせられることが多くなった。

インスタグラムやSNSなどで流される写真や動画までが写真表現であるかのように評する評論家、批評家、写真家まで現れていることに、一抹の不安を感じている。

インスタグラムやSNS上で流される、写真や動画の氾濫の映像などは遊びの範疇に過ぎない。

このようなことを言うと時代遅れだと評する人が現れることを承知した上で、1人位、時代遅れの人間がいても良いのではないかと思っている。

ポートフォリオレビューをさせて戴いてネット上からダンロードした情報を加工した作品が多くなっている。

これらは別のジャンルとして写真表現とは区別すべきだと語って来た、語っている。

 

情報写真に関してだがネット配信やマスコミ紙誌が一応は当たると思われる。

情報写真は情報写真として区別され立派に確立されていると思う。

私たちは戦争や事件の現場をTVなどでリアルタイムで観せられることになる。

中にはプロパガンダの映像を真実かのように観てしまうことになる。

特に第一次大戦、第二次大戦と多くの紛争を人類が経験するなか写真報道は残念なことにプロパガンダの要素が強くなってくる。

特にマグナムなどは残念であるがその要素が時代とともに強くなる。

しかし、真実を追い求めている報道写真家も少数ではあるがいることは確かだ。

今は誰しもが災害現場、事件現場から配信できる時代・・・。

ネットが発達した今だからこそ、報道写真の真価が問われていると思われる。

 

写真の誕生はどの芸術分野からも後発で歴史も浅い。

写真が誕生して約180年余り。

写真表現の確立が遅れているのは教育機関のカリキュラムが大きな問題として挙げられると思っている。

専門学校、大學での写真教育の責任は歪められない。

写真表現、写真芸術としてのカリキュラムが特に日本では組み込まれていない。

とても遅れたていると思われる。

なぜか解らない・・・。・・・。

 

インスタグラムやSNSなどで流される写真や映像までか写真表であるかのように語ることは、混同しているようにしか思えない。

家族写真や旅の記念写真、祝いごとの写真館で撮る写真はそれなりに意味がある。

全てを写真表現として同等に価値を見出そうとしている行為に問題が含まれていると思う。

写真家を始め、評論家、批評家、教育機関も含めてそれぞれの立場で責任を問われているのではあるまいか。

 

写真表現はそれなりの土台の上になされると思う。

楽しみ写真は身近なものとして楽しめば良いと思う。

その意味で写真はとても身近なものになった。

とても良いことだと思う。

逆の意味で写真表現の真の意味を問われている時期、時代なのかも知れない。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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