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2020年2月13日 写真表現の記録性・・・。

先日あるトークショーに参列させて戴いた。

美術館、博物館の違いの役割りの話が出た・・・。

東京都写真美術館は博物館としての役割りをもちながらも、根本的には美術館としての立つ位置の方が強いとのことが理解できた。

(多少問題があると思いながら、話をお聞きした、博物館・美術館の違いは後日でも・・・)

 

そのおり写真の記録性についてのディスカッションがパネラーのお二人で行われた。

簡単に言えば・・・。

1839年、写真は記録をすることから始まり、そこを根拠、起源にしているためアートとは多少異なった見方をされてしまう。

ディスカッションの内容を簡単に言えば「記録写真」と「表現(アート)写真」は違うということらしい。

トークショーを聞きながら「おや、おや、おや」と思った。

ルネッサンス時代、美術表現は多くは聖書に題材を求め自身のイメージを脹らました。

しかしそのなかでも「モナリザ」を含め被写体のイメージは現存していた。

芸術は印象派を含め以前、以後のキュビスムはじめとする様々な表現方法、手段が生まれてきた。

何時の時代もアートはモチーフの写実から始まり、いかにしてより自分らしく自身の表現、自身の技法、手段で表現するかと言うことに苦しみ悩んできた歴史を持ついると理解している。

アートから記録性を排除することはアートそのものを排除することに成りかねない。

忠実に被写体と対峙し、忠実に被写体を理解し、被写体を謙虚に受け入れ、己の何を表現したいのかということではないかと思っいる。

 

特に写真表現の最も強み、面白きところは記録性、複製芸術が、他のアートにない手段だだと思う。

その記録性、複製性を写真から排除することは写真への某毒に繋がる危険性を含んでいると考えます。

写真は機器を介して薄い紙の上に可視化される。

その機器、可視化される紙すら省かれた作品を写真表現だと写真の枠の中に納めようとする行為はどうかなと疑問をもった。

写真表現の枠が広がったと・・・。

本当に広がったのであろうか・・・。

何もかもを写真表現の枠のなかに取り入れなくてもと思った・・・。

と、考えさせられる。

写真表現ではなく別のジャンルの表現手段と思えるのは高橋だけの古さの問題なのか・・・。

 

写真表現は機器を介して薄い紙の上に可視化される表現だからこそ、自身の思い、技術、方法、手段を駆使するかに掛かっている。

実写からがその一歩の始まりたと思っている。

 

※作家・フォトグラファーハル氏 在廊日 13日 17時〜

                    14日・15日 13時〜19時

                                      26日〜29日 13時〜19時

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


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