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2020年6月26日 写真論議は何処に・・・。

前日に続き感じていること・・・。・・・。・・・。

 

熱き写真論議が交わされた時代があった。

ほんの一昔まえまで語られていた・・・。

昨今、余り聞かれなくなったことに、寂しさを感じているのは私だけなのであろうか。

 

50年代には土門拳・木村伊兵衛らを代表するリアリズムの時代。

木村伊兵衛は「写真はメカニズムである」と捉えたのに対し、土門拳は「カメラは道具にすぎず、写真を撮るのは人間であり、思想である」と捉え報道写真とは一線を画し、自分の個性を重視した。

 

60年代はVIVO集団を代表する写真表現の時代。

写真もまた芸術である。

写真芸術の運動を意識し表現(言語化)した。

積極的に海外にも移住したり、海外に出向いて行った。

まだ1ドルが360円の時代。

VIVO集団と篠山紀信との芸術写真についての闘いは余り語られないが、写真史には欠かせない事実だ。

この闘いは実に面白い・・・。・・・・。

写真は芸術ではないと唱える篠山紀信、芸術だと唱えるVIVO集団。

 

70年代はプロヴォーク集団を代表する政治との繋がりを模索し、政治とは切り離せない時代。

この時代までは写真論議が多く交わされ、表現しとて、活字として生々しく記録として残されている。

 

その後に続く土田ヒロミ・須田一政・北井一夫等は集団として、仲間として写真談義やメッセージを語り、発することはなかった。

個としての展開が中心に成って来るのだがカメラ雑誌を賑わしたことは事実。

その奇跡が残っている。

しかし、悲しいことにこの時代の写真家はVIVO集団・プロヴォーク集団が現役で活躍をしており、日本の写真界は三十構造になっていて50歳を超えても新人作家と呼ばれていた時代。

 

その後に続く、ヒロミックス・蜷川実花・長島有里枝、川内倫子らを代表する自分史(視)的な時代・・・。

残念なことに自分史(視)時代からは、まだ抜け出せていないのではないかと思われる・・・。

写真の概念を破ったといっても良い時代かもしれない。

この時代の作品を受け入れる風潮は海外からの影響と日本のライフスタイルの変化とデジタルカメラ、周辺機器の開発、発達が大きな役割りを果たした。

さらにはカメラ自体がとても身近なものとなった。

私自身、今の写真表現をどのように捉ええ理解すれば良いのか正直、戸惑っている。

 

様々な写真雑誌が休刊や廃刊に追い込まれるなか、写真表現そのものが衰退していっている様に思えてならない。

何もかも新しい表現を受け入れるのではなく、私も含めて受け入れる根拠を示すことが大切、示さねばならないと思っている。

中にはその根拠を示さず感覚だけて、写真を語り、語った積もりになることがとても寂しく、怖く、無責任だと思っている。

 

ギャラリー冬青は銀塩作品・プライマリーギャラリーとして・・・。

出来れば写真談義の場としても・・・。

 

※お知らせ。

・作家在廊日=6月26日(15時より)・27日(土曜日)13時より。

・6月26日19時よりクロージングパーティーを予定しおりましたが、中止とさせて戴きます。

 

下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 

 

 


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