2019年1月31日 渡部さとるワークショップ「H」について・・・。

私と渡部さとる氏との付き合いは随分と長い。

2005年6月にギャラリー冬青をオープンして間もなくであった。

 

弊社にアルバイトで勤務をして戴いていた岩崎真樹さんのアドバイスに寄るものであった。

アドバイスと言うより推選と言った方が近いかも知れない。

渡部さとるさんの写真展をすることを!!。

写真作品集は4冊、写真展は10回を数える。

ギャラリー冬青では最多、回数をお願いしてある。

1月に行われた渡部さとる写真展には450人を超える来館者の方々に作品を観て戴いた。

 

さて、渡部さとるワークショップ「H」についてあるが、私も多くの方々を紹介させて戴いている。

その理由は幾つもあげられるが、主に7つだと勝手に思っている。

 

1.写真を撮ることの意味が良く理解できる。

2.写真を撮ることが面白くなる。

3.フイルムカメラから極端なことを言えばiphoneまでハード、ソフトともに学べる。

4.物撮りから街に出てカメラの使い方、レンズの使い方、光の感じ方などなど実践に即して学べる。

5.写した作品をセレクトをする喜びを学べる。

6.アートシーンと写真(史)の関係性が学べる。

7.卒業生も含めて、卒業展示が行われ、発表する喜びが体感出来る。

 

写真表現には3つの喜びがあると言われている。

a.撮る喜び。

b.編集(セレクト)をする喜び。

c.発表する喜び。

これらのことを体感しながら学べるワークショップは数少ない。

 

※更には先輩(2B・H卒業生)とソフト、ハードの情報交換が自由に出来る。

渡部さとる氏は自らがコレクターだと高橋は理解している、将来性のある、或は努力している、若き作家の作品や気にいった作品と出会えば、無理をしてでもコレクションをされている。

作家の苦しみ、喜びを自身の美意識と共に分かち合っていられる。

素晴らしい写真表現者としての姿勢、たがらこそ表現する喜びを知り尽くされているのだと高橋は感謝をしながら、思っている。

 

渡部さとる氏程、若き写真家の作品から古典作品まで幅広く研鑽している作家は珍しい。

とにかく受け入れることの早さは高橋の10倍は超えている。

様々なアート作品を受け入れ、学ばれたことを、惜しみなく吐き出し、伝えてくれる。

 

2月16日から4期目のワークショップを募集されています。

詳しくは「渡部さとる」ホームページか「foym.yun/@askh」をご覧下さい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年1月30日 私たちは・・・

私たちは芸術や美術作品に触れたり観たりする時、知らず知らずの内に時間を読み取ろうとしているのではあるまいか。

時の流れとでも言うか・・・。

単なる作品鑑賞ではなく、漂う空気感や時間、時代背景まで無意識の内に読み取ろうとしているように思える。

優れた作品であればある程、作品に吸い込まれるようにタイムトンネルを潜っているかの様に、錯覚を覚える経験をしたことは高橋だけではないと思う。

 

その様な時代にその場に生きたことも、無論ではあるが経験すらないのに、あたかもその時代にその場に生きていたか様に迷宮の世界に浸ることがある。

作品によって浸してくれることがある。

それは作品を通して時間を共有しているからではあるまいか。

それは作家の時間であったり・・・。

作品の時間であったりとする。

タイムラグとは全く逆のベクトルが脳裏や心の中で動いているのではと考えます。

 

だからこそ、優れた作品は何時迄も見い居ってしまう。

不思議と「時代」を感じたり「時間」を感じる写真に出会う時がある。

「写真と時間」、SNSが氾濫している今だからこそ冷静になり、立ち止まって考えて観てはどうだろうか。

特に写真は「時間」の概念がとても必要な気がしてならない。

写真から「時間」を無視する行為は3通りある様に思える。

1.全く「時間・時」の認識を持たず、理解せず可視化される行為は写真の醍醐味、使命から逸脱する行為だと思われる。

2.意識して「時間・時」から逸脱致そうとする行為は、その行為自体が「時間・時」と言うことを意識している証であると考えます。

本人の意思が「時間・時」を逸脱して可視化したいと強い意志が働いても、観る側において「時間・時」を感じることが出来ると考えます。

3.「時・時間」を意識して作品の中に埋め込もうとする行為。

 

何のための記録なのか。

先ずは自身に還り見て「何のために記録」をしたいのか考えて見ることが大切に思えてならない。

「時間」を意識してこそ、可視化する行為にが認められるのだと思う。

表層の美しさや形の美しさだけに捕らわれることは無意味な行為だと思われる。

それは現代アートにも同じ事が言える。

 

優れた作品には必ず「時間」が埋め込まれている。

その「時間」を私たちは楽しみたい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月27日 写真と時間、その時間の中に・・・

特に最近の写真表現は時間、時代を超越してビジュアル化が多くなっている様に思える。

時代の傾向かも知れないと思うのだが・・・。

写真の強みと言われて来た「時間を切り取る」と言う行為・・・。

その努力が薄れて来ているのではと考えさせられることが多くなった。

写真程、他の表現分野とは違い、写真程時間を切る取ることの出来る表現方法は他にないのに・・・。

問題は、その時間の中に埋め込まれている写し手の意図ではないかと、最近の写真表現の遂行を観て感じ思っている。

 

昨日、田中長徳さんの1966〜1970年に写された、70点余の作品を見せて戴いた。

70年代の看板や広告塔、車や電車、ファションやスタイルが色濃く残されている。

骨格や顔立ち、仕草までが全く違う。

70年代の生活感が臨場豊かに蘇って来る。

凄まじい活気が作品から伝わって来る。

素晴らしい作品群。

 

写真と言う表現の面白味、楽しさ、素晴らしさを改めて知ることが出来た。

写真は記録にして記録にあらずと思った。

写真は時代と共に生きている。

写真は時代と共に呼吸している。

写真は時代の生き証人。

 

ただのスナッテプ写真ではない。

ただのストリート写真ではない。

ただの記録写真ではない。

 

変貌し続ける社会、未来を見つめて今、残すべき記録を現実の社会から読み取り、「時代・時間」を切り取られている。

写真表現しか、なし得ない表現手段だと思わせて戴いた。

写真だからこそなし得る表現だと思う。

写し手の意図が強く伝わって来た。

 

確かに写真は記録を残すと言う事に重きを置かれて来たことも事実ではあるが・・・。

記録を残すだけでは決してアートシーンには残らない。

そこには写し手の確りとした社会認識が投影されていると思う。

時代を読み取る力、時間を切り取る力が伴われている。

24×36个箸い小さな画角の中に宇宙が埋め込まれている。

写真は素晴らしい表現手段の一つである。

 

一時、「キッチュ」と言葉が流行った時、一般家庭のアルバム写真迄が、価値があるかのように価値を見出す運動が起きたことがあった。

一過性に終わり、あの見直し運動は何であったのだろうかと、今にして思い、考えさせられる。

 

写真表現には写し手の確りとしたメッセージが伴うことが必要である事を昨日、改めて共感をさせて戴いた。

写真の強みと言われて来た「時間を切り取る」と言う行為、そこには写し手の確かな時代を読み取る力が伴うのではないか・・・。

写真表現には時間を掛ける、続ける、時代を読み取ることがとても必要・・・。

 

写真は時代と共に生きている。

写真は時代と共に呼吸している。

写真は時代の生き証人。

そう感じた昨日の一日でした。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月8日 インフレエンザA型にかかりました。・・・

先々週の金曜日夜から多少、熱が36.6°(私の平熱は35.8°)が出始め、土曜・日曜は外出をせずに、家で養生していた。

夕方になるに連れ、熱は上がりはじめ39.9°まで達した。

今迄、私はインフレンザにかかったことはない。

昨年の11月中旬にはインフレンザの予防接種もしている。

特にインフレンザには注意をしていた積もりであった。

手洗い、うがいは丁寧にしていたつもり・・・。

 

先週の月曜日になっても熱は下がらず、先々週は写真集の印刷立ち会いがあり会社を3日間程、留守にしていたため、メールや仕事のことがのことが気になり、会社に向かっていたが念のためと思い、かかり付けの病院に行った。

そこには何時もの看護師の方が居られ、高橋さん今日はどうしましたかと・・・。

多少、熱があり薬を戴きに来ましたと伝えると・・・。

はい、熱を測って下さいと・・・。

計り終えると直ぐさまに小室に連れらていかれ隔離された。

高橋さん今からインフレンザの検査を致しますと言われ、綿棒を鼻の中にぐいぐいと入れられ、これがまた痛い。

この看護師さん美しくとても親切、年は45,6歳位と思う。

注射がとても上手い、他の看護師さんに比べても痛くない、しかし口調は何時も体育会系。

 

15分位待っていると、ハイ!!。高橋さんインフレンザA型です。

今から直に先生に見て戴きますが・・・。

これから最低でも6日間外出禁止です。

でも、多少会社で仕事を・・・と言いかけると、高橋さんインフレンザ菌を巻き散らかすつもりですかと・・・。

なぜ、マスクをして来なかったのですか・・・。

持っていませんので・・・。

不注意です、不用意ですと・・・。

ハイ!!。マスクです、直に付けて下さい・・・。

お子さんともなるべく接触はしないで下さいね。

手際が良く、一丁上がりといった感じ。

 

薬局には連絡が入っていて、ここでも隔離をされ吸引薬を薬局内で説明を受けて吸引した。

薬を受け取り我が家へ・・・。

夕方になると熱は更にピークを向へ40.2°まで・・・。

目をつぶると流れ星なようなものが、空間を飛びかょつている。

マスクを付け、娘がお粥を作ってくれて、私の寝室に持って来てくれた。

朝、出勤する前には朝、昼とそれぞれに異なるお粥を作ってくれてた。

ありがたいと思う。

持つべきものは「娘」かななどと多少、センチメンタルな気持になった。

大切な渡部さとるさんの写真展のクローズにも参加出来なかった。

 

それしても、翌々思う。

それにしても、つくづく思う。

大切な江成常夫写真作品集「Aftcr thc TSUNAMI」の凸版印刷さんでの印刷立ち会いのときに、インフレンザにかからなくて良かったと胸をなでおろしていた。

 

今日からフル回転です。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月15日 公文健太郎写真作品集「地を紡ぐ」が・・・。

先週の金曜日、凸版印刷さんより公文健太郎写真作品集「地を紡ぐ」を届けて戴いた。

この度の写真作品集「地を紡ぐ」は三部構成で、カラー作品が101点掲載されている。

 

第1章

神事を受け継ぐ地 青森県下北郡東村蒲野沢字鹿橋「ちょっとそさたで」

第2章

自然の恵みを享受する地 栃木県那須郡那須町湯本「湯がなけりゃこんなところ人が住むところじゃねぇ」

第3章

ものづくりで生きている地 長崎県東波杵群波佐見町中尾郷「おれらは土を喰って生きてきた」

 

2016年に平凡社より発行された「耕す人」が全国の地に生きる(主として農家)人々の広範囲の取材に対して、この度の「地を紡ぐ」はテンポイントに取材を絞り込み、とても限定された地域に生きる生活(祭り、人々、伝承芸能など)を丹念に時間をかけ取材されている。

写真家・公文健太郎さんの生き方そのものだと思う。

 

今まで刊行されてこられた6冊の写真集の中でももっとも自分自身に向き合った作品集ではないかと思う。

この度の「地を紡ぐ」からはそこに生きる人々や、祭りを守る人々、日常の中の人々との公文さんとの会話が聞こえてくる。

笑い声や営みを心配するかけ声、励まし、励まされる言葉、愛おしむ心や親しみの思いやりまでが伝わってくる。

表現者としての公文健太郎が見事までに写し出されている。

 

観る側の私たちが、被写体との関係性を探ることよりも、表現者・公文健太郎の息づかいまでが感じられる作品だ。

その意味していることは写真家・公文健太郎としての日頃からの姿勢から来るものだと思う。

そのことはこの度、編集を担当させて戴き、とても時間のないなか様々なやりとりや、印刷立ち会いの現場からでも十分に伺い知ることが出来た。

写真展に間に合わせるために、一日足りともスケジュールの予備はない中の緊張した日々が続いた。

その間、二度も私が風邪を引いたことを思い出す。

 

ハード面に置いては公文健太郎さんは独特、独自の色合いを持たれている。

その風合いを出すことにとても苦労をした。

深み、重量感のありその中でコントラストを出すという、とてもハードルが高く、困難な作業であった。

この度もADの杉山幸次さんの見事迄の印刷版作りに委ねることが大であったことは言うに及ばすです。

杉山さんがいなくば、このような困難な作業はなし得なかった。

 

本日から「EMON PHOTO GALLERY」で2月13日まで写真展が開催されます。

是非、観に行って下さい。

会場には写真作品集「地に紡ぐ」が置いてあります。

 

※明日、16日〜19日まで、江成常夫写真作品集「TSUNAMI」の凸版印刷二平工場にて、印刷立ち会いのためブログは休ませて戴きます。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年1月11日 私たちはどこで感動しているのか・・・。

私たちは多くの芸術作品に触れたり、鑑賞したり致します。

また、様々な書物から知識を得ます。

私たちは実のところ、情報性よりも思想性の濃さに魅力を感じているのではないでしょうか。

 

様々な表現スタイルの中でも、写真表現は表層的にはとてもフラットな表現です。

そのフラットな表層であるからこそ思想性がより求められているのだと思います。

私たちは情報を得ることで、あたかも知識を得た気分になりがちです。

その情報すら間違っていることすらあります。

 

その情報の源はどこにあるのか、なぜその情報が出されたのかということを常に検証を致さねばならないと思います。

例えば、特に第二次大戦後期になるにつれ、マグナムの写真はプロパガンダの写真に色濃くなります。

プロパガンダの写真として見ると、それなりに楽しむことが出来ます。

それを戦争の最前線のリアルな写真として捉えることはとても危険です。

注視すれば同じマグナムのメンバーでありながら、ウィリアム・ユージン・スミスの姿勢とロバート・キャパの姿勢の違いが、良く理解出来ます。(何れの日か違いを書きます。)

 

0.3个砲睨たない印画紙の上に可視化された情報。

観る側の私たちは残念なことに先ずは、イメージが飛び込んで来ます。

それにともない解説書で理解を深めることになるのですが、作家の意図、意志までなかなか辿り着きませんが、作品を繰り返し見ていると、不思議なもので次第に自分なりに理解を深めることが出来ます。

何も同じ作家の作品でなくとも良いと思います。

様々な作家の、様々な作品を多く観ることが大切だと思ってます。

 

それが間違った解釈だとしても自分なりの解釈を鍛錬することが大切だと思ってます。

繰り返す習慣をもつことによって、作家の思想性が必ず理解することが出来始めます。

情報を得たことだけで満足をせずに。

観たことだけに満足をせずに。

解説書を読んだことだけに満足をせずに。

知識を得たことだけに満足をせずに・・・。

 

得た知識を自分なりに熟成させることがとても大切に思えます。

熟成とは得た情報をもとに作家の思想性まで探り深めることだと思います。

容易いことではありませんが、繰り返すことにより必ずや理解出来るようになります。

 

出来れば作家の方々に直接、話を聞くか、仲間たちとディスカッションをしても良いと思います。

 

もっと写真が楽しめることになると思う。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月10日 目まぐるしく変化している写真表現・・・。

デジタルの進化とともに目まぐるしく進化している写真表現と言いたいのだが、変化と言った方が今の高橋にはシックリトと来ると思う。

今日のデジタル作品の広がりを見て、可能性を見て、写真表現としてどこまで認識し、認めれば良いのかと思っている。

どう認識し、認められば良いのか高橋の中で戸惑うばかりです。

凄まじい早さで広がりを見せている。

国内外を含めて、特に美術系で学び写真装置で表現している人達の中で、自身を写真家と名乗る人がとても少ない。

それはそれとして認めるべきだと高橋は思っている。

 

最近感じるのは現代アートとしての写真表現。

何か造花の花を見せられているようで、付いていけないところがある。

花だけが、花びらだけが綺羅に見せようとしているのではないか・・・。

茎や根っこに繋がる部分がどうしても見えてこない。

 

茎や根っこがなくば花は咲かない。

表現には確りとした根っこの部分が必要なのに・・・。

ただ、ただ上滑りをしている作品が多く感じられるのは高橋だけの問題なのか。

それも含めて、全てが写真表現とし捉えるべきなのかとても最近悩んでいる。

表層の部分だけに注視し、拘り、駆使し可視化されているとしか見えない作品に何と言葉にすれば良いのか戸惑っている。

決してデジタル作品が悪いとは言う積もりもなければ、思ってもない。

デジタルだからこそ表現が出来る領域があることぐらい、理解している積もりです。

私が言いたいのはデジタルの便利さに使われないで欲しいと思っているだけ。

茎、根っこがより大切であり意識して欲しいと思っているだけ。

 

因に私は現代アートが大好きであることをのべておきたい。

写真表現での、現代アートの走りがけとでも言っても良いかも知れない。

フランスの女性写真家、サラ・ムーン(Sarah Moon)が大好きである。

彼女自身(1960年代)モデルとして活躍をしている。

どこが好きかと言えば、彼女の作品には強くメッセージを感じられるからだ。

作風は基本的には柔らかく、ピントもあまくカーラー、モノクロ作品に関係無く一見すると捕らえどころがない作品なのだが、とても力強さを感じる。

要するに茎、根っこが確りとしているからだと思う。

大地に力強く根をはり栄養分を十分に吸収し可視化されていることを感じる。

 

デジタルの進化にともない装置の使いごなしを楽しんだり、装置にただ委ねた作品は戴けないと思っているだけ。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月9日 日々様々なことに・・・。   

私たちは日々様々なことに触れ、出合い、感じながら生活をしていると思います。

知らず知らずの内に自身の損得だけを考え、頭を、心を過ったりと致します。

後から後悔しても反省しても「後の祭り」といったことを私自身、沢山経験をして参りました。

 

自身において損得とはなにものぞと、深く考えずに、「損」のことだけを考えて、意識せずに、行動に起こし失敗を重ねて参りました。

そもそも、損得だけで判断することがあれば長続は致さないと考えます。

どこか「人のため、世のため」という事を、日々自身の中で、言い聞かせながら、意識しながら生活をする事が大切ではないかと思います。

そもそも、人が生きる中で何が損で、何か得か解りません。

多くの場合「損得」の「損」はないと考えます。

後から振り返りその時は確かに「損」したと思ったとしても後から考えれば、私のためだったと言うことが気づきます。

 

ありがたいことに私の周りには「損得」を抜きに、接して戴いている方々が多くいられることはとても幸せだと感じています。

一日の仕事が終わり、家路につく間や、入浴中や、食事が終わった一時などなど、人の親切や、思いやりを振り返りとても至福感を感じることがあります。

 

全ての表現者は「損得」が先行する恐れを感じたとき意識して「損」の部分を捨て去る努力を求められているのではないでしょうか。

損得を考え始めますと無心で被写体向かう事や、自身のテーマが構築できないと考えます。

物事そのものが前に進みません。

人は悲しいことに常に善悪の岐路に立たされていると考えられます。

善悪の岐路に立たされていることを、自らが自覚し、意識して生きること、表現することが大切に思えてなりません。

 

そもそも「損得」などないはずだと思うことが大切ではないかと思われます。

そうすると心体がとても軽くなる、軽やかになる経験を幾度もして参りました。

人は鏡写しの人生だと思います。

他の出来事、他の人に問題があるのではなく、自分自身に問題があるのだと思います。

そう自分自身に意識させることが大切ではないでしょうか。

 

私を編集者に成りたてのころ、古山高麗雄先生の言葉を思い出します。

私が編集者になって間もなく、古山先生から言われた言葉です。

著者の先生が仮に校正を見落とし、原稿の不備があったとしても高橋さんが百分の一でも関係していたら、全て高橋さんの責任です。そう感じなければ、思う事が出来なければ、編集者として生きては行けませんと繰り返し教えて戴いた。

 

素直に被写体に対峙したいものです。

 

年末、東大寺別当・華巌宗館長(第207世)、清水公照先生より昔、戴いた書物も読み返し今日のブログに成りました。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

※1月9日=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「渡部さとる」氏、開催致します先着10名様。(本日のイベントに付きましては、お申し込みは終了させて戴いておりますので飛び込みでのご参加は、ご遠慮戴けます様お願い申し上げます。)

作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま

す。是非、ご参加下さい。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 


2019年1月8日 芸術の価値とは何か、美意識とは何か・・・。

美意識とは何か・・・。

年末、近代経済学の父と言われている「ジョン・メイナード・ケインズ」の資本論の概説書を読んでいたら面白い章があった。

 

その前に第一次大戦後のドイツへの高額の賠償請求について、ケインズは大反対をしている。

アメリカのモルガン・チェース銀行を始め大手銀行が戦備を目的として、多額のマネーをイギリスを始めヨーロッパ諸国に貸し付けていた。

その貸し倒れを恐れ、モルガン銀行を始めアメリカの大手銀行が当時のアメリカ大統領(トーマス・ウッドロウ・ウィルソン)に圧力を掛けた。

その結果としてドイツの国家予算40年間分に相当するとてつもない賠償金額が決定された。

ウィルソン大統領もドイツへの高額の賠償へは当初は消極的だったと言われている。

大手金融機関の圧力に屈指、ウィルソン大統領もドイツへの高額賠償に決断したと言われている。

ケインズは賠償問題の顧問として就任していたが自ら辞任している。

 

ケインズの言う様にドイツに高額な賠償責任を追わさなければ第二次大戦は置きなかったと言われている。

そのケインズが面白いことを書いた。

ある美人コンテストでのこと。

審査員に向かって二つのことを投げかける。

※審査委員に最終審査に残った6人の内、貴方が一番美しいと思える方を推選して下さい。

※一番、多く集まった方に人に投票した審査員には賞金を出しますと。

 

審査委たちは当初は自身の好みや、自身の判断で一番美しいと思える人に投票しょうと思ったのだが、「多く集まった方には賞金を出します」と聞いたとたん、他の審査委員が6人の誰に投票するのだろうかと忖度が始まり、もはや自身の審美眼がよりも誰に表があつまるのかと考え始めたとのこと。

 

更にケインズは話を進めている。

「芸術」も技術や表現力、説得力など、本質な芸術な要素を超えて、別次元で、どの作品が人気があるか、今の流行は、誰が評価したか、マスコミ始め露出度はという事で作品の価値が決定されると。

それが資本主義だと。

資本主義は基本的には数の論理だと。

数値が集まりプライスが高額になれば価値があり、価値が上がったと思い始める。

誠にそうだろうかと・・・。

ものの価値や芸術も含めて、価値は正しい数値で現せるのかと問いかけられている。

 

数だけに捕らわれては資本主義の本質を見失ってしまう。

勝手に数字だけが暴走してしまい、憶測が憶測をよび真の価値を見失ってしまう。

現在の金融取引や株価のことを連想してしまう。

 

この概説書を読んでいて思うことは今、無秩序に広がりを見せている写真表現。

誰でも容易く情報発信出来る今日。

真に写真表現とは何か、価値とはなにか。

一歩立ち止まり、冷静に考えることが大切ではないか・・・。

 

私たちも流行や権威付けられて作品に目も心もまでが、知らず知らずの内に洗脳され、誘導され価値付けをしているのではあるまいかと考えさせられた。

歴史を振り返ると「芸術」も「神聖な領域」ではなく、経済の仕組みや産業革命、大戦と深く関係して発展してきたことは間違いはない。

 

自身の審美眼を素直に確かめることが、アートを自分のものにして素直に楽しめることではないかと考えさせられました。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

※1月9日=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「渡部さとる」氏、開催致します先着10名様。(お申し込みは終了させて戴きました。)

 作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま 

 す。是非、ご参加下さい。

 参加費=無料 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 


2019年1月7日 知識と知恵・・・。

年末、年始にかけて数冊の本を読んだ。

知識と知恵についてぼんやりとではあるが考えていた。

知識は「知る」学問や見識を学び蓄積することに重きを置いている様に思う。

知恵は様々な体験や経験を通して生きるすべや、他の人への接し方を持ち合わせるのではないかと思える。

両方が必要なことは言うにおよばずだが・・・。

 

「頭でっかち」と言葉があるように、知識を得たことで全てが解る、理解でき見える始めると思えば大きな間違だと思う。

知識だけでは、私たちの日常の大切な喜びや悲しみ(喜怒哀楽)など肌や心で感じられないからだ。

美術の解説書の面白きなきところは、解説者自らの言葉、思想(知恵)が埋め込まれていないところに、あるような気がしてならない。

知識の羅列に過ぎない。

現象の羅列に過ぎないからだと思う。

 

私たちは知らず、知らずの内に知識を溜め込むことで、満足感を抱き喜びとしているのではないだろうか。

または優位感を感じているのではあるまいか。

しかし、知識も必要なことは間違いはない。

基礎が土台がしっかりとして居なければ建物は建てられない。

その意味で知識は必要だが・・・。

ただし「頭でっかち」で終わることが恐ろしい。

知識の累積が全てが解ったという気持になることが恐ろしい。

真の知識者は感受性が乏しいことに気づくはず。

 

知恵は日常の様々な体験や経験から生まれ、蓄積され生(なま)の表現として発していると思われる。

知恵は日常のなかで様々に変化をし、対応し即応出来る。

感受性が豊かになることは確かだが、その感受性だけで物事を判断すれば、とても危険性があることを自覚しなければせならない。

喜怒哀楽は人間として常に自身の中に潜んでいる。

喜怒哀楽なママで生きては生けていけないことをを自覚すべきだと思う。

喜怒哀楽のママに生きることは、他の人を邪魔したり、迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまうことを自覚すべきだと思う。

 

知識だけではものは生まれまれないと考えます。

知恵だけでも本当のものは生まれないと考えます。

「知識人」という言葉がありますが、真の知識人はは知識と知恵がバランス良くかみ合っている人ではないでしょうか。

知識と知恵が相俟って真の表現が生まれると信じます。

 

知識と知恵、意識して考えて見ることとも面白いかも知れません。

 

※作家在廊日=火曜日・木曜日・金曜日13時〜19時迄。

       水曜日13時〜21時迄。

       土曜日16時〜19時迄

 

※1月9日=19時〜21時まで「作家の本棚から見えてくるもの」主催=「渡部さとる」氏、開催致します先着10名様。(お申し込みは終了させて戴きました。)

 作家自身が自身の本棚から過去〜現在と影響を受けた書物の一部をギャラリー冬青にお持ち戴き作家とディスカッションを致しま 

 す。是非、ご参加下さい。

 参加費=無料 

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 

 


calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>
selected entries
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM
       
sponsored links