2017年3月14日 アイディアが浮かんだ時こそ注意、意識することが大切。 

作品制作を考えている時や日常の生活でアイデアが浮かんだりと致します。

そのアイデアこそが自身のテーマへ繋がる大切な切っ掛けの始まりだと思います。

 

アイデアをアイデアだけにとどめて、作品制作を試みると何時か見た写真展や写真集の中の何処かに無意識の中で影響をうけ似た(モノマネ)作品に成りかねません。

そうしないためにもアイデアが浮かんだ時、アイデアの源を自身の内側に探ることが必要ではないでしょうか。

アイデアの源を探り自身の求めているテーマと符号させ試行錯誤をしていくことが大切に思えてなりません。

 

アイデアは過去の経験や見聞したものから生まれます。

過去に見聞したものをそのまま踏襲するならば単なるアイデア倒れの作品しかなりえません。

 

しかしより多くの経験を積んだり、見聞をしなければアイデアも浮かびません。

経験、見聞した量だけアイデアは浮かぶに違いありません。

私達が作品を制作する上で経験、見聞は欠かせない行為です。

 

その経験、見聞した知識から生まれたアイデアを自身の個性の中で熟成させることが大切に思えてなりません。

私の青春時代と違い、世界の新しい表現スタイルや情報がネット上で、その気なれば瞬時に見聞出来、アイデアの切っ掛けを見出せます。

それだけにアイデアのアイデアではあっては意味がないことになります。

 

アイデアはあくまでヒントであり、自身のアイデンティティに刺激を与えたり、アイデンティティの源を見つける切っ掛けに致さねばなりません。

オリジナリティーは本人のアイデンティティを熟成させたものと考えられます。

 

アイデアを大切にし、自身のアイデンティティを熟成させることでオリジナリティーのある作品が生まれると信じます。

 

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2017年3月13日 刺激を受けると言うことは大切なのか否なのか・・・。

人は刺激を受けることはとても大切です。

ただし、刺激を受けたからと言ってその刺激の赴くまま、表現をしてしまえば単なるモノマネに過ぎない。

 

刺激を自身の内在している「核」となっているものと戦い、熟成させ、自身のものにしてこそ自己のオリジナルティーが可視化できるものと考えます。

流行(りゅうこう)に流されたり今、流行(はやり)を直ぐさま受け入れ、自身の中でクリーニングすることなく語ったり、可視化することは単にモノマネに過ぎない。

単なる後追いです。

 

しかし、刺激を受け入れなければ、刺激を求めなければ、自身の「核」は拡大をしないばかりか、苔むしてカビが生えかねません。

刺激を求め、刺激を受け入れてその上で、自身の「核」なるもに意識的に刺激を与えることにより、オリジナルティーが表現できると考えます。

 

流行(りゅうこう)や流行(はやり)は気づいた時には、既に二番せんじです。

自身の中にどう受け入れ、どう消化していくか、そのプロセスを踏むことが大切です。

自身の物指しを見失わないことです。

自身の物指しを大切にする事です。

 

さらには自身の物指しの長さも知っておくことも大切です。

物事を理解したり、自身の自己表現の幅を広げたり、高めたり、深めたりするにはは先ずは自身の物指しのスケール感を知っておく事が大切に思えます。

ものごとの判断は自身の物指しのぶんしか理解も出来ないし、表現も出来ません。

自身の物指しに刺激を求め、与えることです。

物指しは、より広がり、より高くなり、より深まると考えます。

自身の物指しの長さだけ、多くのファンが募り、理解者が広がり、自己表現の領域は広がると考えます。

 

私達、表現者は自身の内在している「量」を増やして行くことが大切に思えて成りません。

表現者は自身の内在している「量」に応じてしか表層として現すことしかできません。

 

最近の個展などを見て、何処かで見たことのある作風だと思うことが多く、本日のブログに成りました。

 

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2017年3月10日 権平太一写真展「凛々と」本日より。

本日より権平太一写真展「凛々と」が始ります。

 

写真作家・権平太一さんは語る。

『女性の尊厳とその勇気の振る舞いを「凛々と」の題名に託して。』と。

 

10年以上の長きに渡り被写体として女性を求めてこられた。

それは個々人が持つアイデンティティーではなく、男性が持ち得ない、感じることが出来ない、女性が持つ優しさや振る舞いの美を探ろうととしている様に見えるが・・・。

しかし、被写体に向かい続けるうちに、対峙し続けるうちに、個々人には、それぞれのアイデンティティーあり醸し出される風情を感じ知ることになったと思われる。

 

その時、写真作家・権平太一は被写体のテーマが日本女性ではないことに気づく。

個々人の、それぞれのアイデンティティーを如何に表層として定着させるかに苦闘が始る。

個々人のアイデンティティーを探る旅の始まりである。

場所を選び、時間をかけ、時間を選び、衣装をととのえる様々な行為は、個々人のアイデンティティーを探る旅の始まりでもあった。

写真作家・権平太一はそれを「"心情"」と言葉で表している。

「"心情"」を求める旅であったに違いない。

写真作家・権平太一さんは、雁皮紙によるプラチナプリントの技法には高き評価を得ている。

 

会場には34作品が飾られている。

雁皮紙によるプラチナプリントの技法と相まって、被写体の持つ個々人のアイデンティティーの内側まで迫ろうとするこの度の写真展「凛々と」。

見る側の私達と写真作家・権平太一が語りかける「"心情"」を共有することが出来る34作品である。

 

是非、時間を掛けて作品と語り合って下さい。

 

会期は4月1日午後7時まで。

水曜日は21時までギャラリーを開けています。

日曜日・月曜日・祭日は休廊です。

 

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2017年3月9日 バスキアの作品について思うこと・・・。

私は残念なことにバスキアの作品を直接に見たことはない。

私が見たのはパンフレットや図録である。

私はキャンバスに大胆に書かれた絵、色彩がとてもすきである。

また、曼荼羅のような緻密な絵も残している。

好きと言うよりもどこかに魅了されるといったほうが正しいと思う。

圧倒的な威圧感を感じざるを得ない。

それは何故か説明できないが共有と言う価値感を覚える。

パンフレットや図録を見ているだけでも引き込まれる。

 

黒人青年、バスキアは1979年のニューヨークに生まれる。

「セイモ(SAMO)」と名乗りバンド活動をする傍らマイナーな画家だった。

バスキアの作品は1981年、グループ展に出品し絵は2000ドルで売れた。

これを仕掛けたのは画廊を経営しているアニーナ・ノセイだと言われている・

ノセイはバスキアに大作をつくらせるが・・・。

ウォーホルと親友であった、ウォーホル急死したことを知り。バスキアのドラッグ吸引は加速し、翌年の1988年8月12日にヘロインの過剰摂取で死亡した。27歳の若さであった。

 

バスキアの絵をさらに有名、高価なものにした切っ掛けの一つは、ラリーウォーシュ所蔵のコレクションの中にバスキアが書いた8冊のノートがあり、この内容についてルーク・サテンはバスキアは詩人でもあったと評価と言うより持ち上げた。

「画才&詩人」のお墨付きをもらうことになる。

マーケットはほっとくことはない。

大ブレークする。

遂には現代アート史にその名を残すことになる。

バスキアは落書きアートとも評されるこがあるが地位は揺ることはなかった。

 

と、言うことで作品には見る側に、制作者は伝えると言う意志が強靭でなければならないと考えられる。

制作者の意志の伝達である。

制作者の意志が明確でなければならない。

それには制作者は自身の真に内在しているもを自覚し再構築をして行く他にないと考えます。

 

そうするならば、見る側はその作品対して、共感し共有することに繋がると信じます。

 

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2017年3月8日 竹谷出写真作品集「にほんのかけら」・・・。

現在、進行中の写真集に思うこと。

竹谷出写真作品集「にほんのかけら」を始め・・・。

濱田トモミ写真作品集「変生」

宇井眞紀子写真作品集「アイヌ100人のいま」

船尾修写真作品集「カミサマホトケサマ 国東半島」

「現代美術 夢のつづき」

これから2冊の写真作品集の準備に入らせ戴く。

 

編集に入らせて戴いた6ヶ月から8ヶ月で1冊の作品集を制作させて戴いている。

竹谷出さんの写真作品集の束見本が凸版印刷さんより届けられた。

その厚さに圧倒された。

その厚さに竹谷出さんが全国を回られ(南は沖縄から北は北海道まで)心に焼き付けられてこられた、作品の数々が納められる。

しかし、この厚さページをもっても竹谷出さんの思いは充分に埋め込まれていないのではと・・・。

 

宇井眞紀子写真作品集「アイヌ100人のいま」は取材のため全国を取材続けられた、その距離地球2週分はある。

 

船尾修写真作品集「カミサマホトケサマ 国東半島」は国東半島を知りたいと言う思いから国東半島に移住され18年目を向かえる。

 

濱田トモミ写真作品集「変生」は一度は全てを撮り終えたのだが、もう一度取材をしたいと言う思いから、新たにテーマと立ち向かわれた。

 

どの作品も長期的な時間と経済的な負担と肉体的なことも含めて私の想像を超えている。

この様な大切な作品をテーマをたかが6ヶ月から8ヶ月で制作が出来るのかと恐怖感に陥る。

夢を毎日見る。

やり残したことがあるのでは・・・。

作家の方々の思いは、魂は、集約出来たのか・・・

編集者の責任はどこにあるのか・・・。

編集者とは何ものかと・・・。

 

テーマを預けて戴き感謝をしてもしきれない。

全力を尽くすのみと自身に言い聞かせているのだが、それだけではとても足りない。

私自身を納得させることは出来ない。

しかし、預けて戴いたからには編集者としての思いを込めていくしかないとは理解しているのだが、足りない、何処かが足りないと恐怖感が襲う。

募る。

本当に作家の方がを理解させて戴いているのか。

作家の方々のコンセプト・テーマ・作品を理解しているのかと・・・。

 

どなたか、教えて欲しい。

編集者とは何ものであるかを・・・。

 

「一歩」一歩、一歩ずつ努力するしかないと。言い訳じみたことを言い聞かせている。

 

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2017年3月7日 表層として現れる作品には・・・。

写真表現の手段、方法は近年もの凄い早さで広がりを見せている。

ネットからの映像の取得やインスタレーションの表現は留まるところを知らない。

 

高橋的には「写真」とは何かと言う概念が欲しくなる昨今です。

「写真」は「写真」でありたいと願い思うのは時代に取り残されているのかも知れない。

と、思いながらも「写真」は「写真」として拘りたい。

 

作品が可視化されたとき、問われるのは表現者の「感性と英知」の結合体だと理解している。

アイデアだけを手段、方法だけ表現するならば、表層に現れるものは内容の伴わないつまらない、実に面白くない作品と言わざるを得ない。

アートの表現はアイデアや思いだけを可視化するだけではないはずである。

そこには自身の内在されたものを可視化する行為こそが大切であり、それを形成していくプロセスのテクニックが問われていると思う。

 

最近のアート表現、特に写真表現においてテクニックだけの作品が目だって、しかたないと憂いているのは高橋だけの問題なのかと、問うているが答えは出ていない。

無責任とも思える広がりの早さについて行けていないのではと、多少の焦りを感じないこともないが、私的には「写真」は「写真」でありたい。

古典技法や銀塩の世界が好きである。

 

この広がりを見せている今であるからこそ、作品には表現者の「感性と英知」が求められているのではないかと考えます。

表層に現れた作品には必ず見る側に表現者の「感性と英知」が伝わる。

どの様に可視化していくかは自身の内在しているものを、如何に再構築して行くかに掛かっていると思われる。

 

他の出来事や作品に刺激を受けることも大切ではあるが、自身の作品に影響をされてはだめだと思う。

自身を信じて、自身の内在されているものを信じて再構築することが大切に思えます。

 

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2017年3月6日 新しい方法(論)はあるのか・・・。

写真表現の難しきところは、度々申し上げる様に写真機と言う装置を使わなければならないこと。

(今、写真表現においてネットから映像を求めて表現されている手段があることは承知しているが、正直なところ高橋的には写真表現として認めるまでに至って居ない。責て写真機と言う装置を使って欲しい。)

富士山は誰がとっても富士山。

遺構は誰がとっても遺構。

 

しかし、作品として成立するのは写しての経験、知識、技術的研磨などなど、ようするに過去に内在(全ての知識)したものを如何に、現在に、今に、表現できるかに掛かっているのではと考えます。

 

ベルント・ベッヒャーと奥様のヒラが1959年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物をともに撮影を始めます。

「無名の彫刻」と命名し、タイポロジーとして類型学に発表された作品です。

ベルント・ベッヒャー夫妻の「無名の彫刻」から読み取れることは、新しい方法とは手段ではなく、自身の過去に内在されたものから意識、無意識の内に現在の環境(政治・経済・文化などなど)の中で作品として形成されたものと考えています。

 

余談ですが1976年以降ベッヒャー夫妻はデュッセルドルフ美術アカデミーで教師として「アンドレイ・グロスキー、トーマス・シュトルート、トーマス・ルフ、カンディダ・ヘファー」などなと個性豊かな作家を輩出しています。

ベッヒャー派と呼ばれますが最終表現手段は個々人の過去の内在されたものから、現代、未来を見据えた、それぞれが個性豊かな作品であることが良く理解出来ます。

 

今があるのではなく、明日があるのではなく、更には未来があるのではなく、過去に内在された全知識と全経験から今という現在の環境の中で現れてくるものが作品と考えられます。

 

何を発表したいかも大切ですが、何を求められているかと言うことも思考することが大切に思えてなりません。

「何を求められているか」とは社会に迎合をすることではなく、現在という社会環境を把握し理解することにより今の自身の置かれている環境のなかで、自身の新しい方法(論)が見出せるのではと考えています。

 

それには経験、知識、技術的研磨などなど、ようするに過去に内在(全ての知識)されたものが表層として現れたものが作品として、受け入れられると考えます。

昨日も、今も、過去かも知れません。

自身の内在をいかに豊かにしていくか「今の今」がとても大切に思えてなりません。

 

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2017年3月3日 銀塩作品が好きな理由の一つ。

フイルムカメラはデジタルの進歩により、益々不自由さを感じている写真家の方々も多いのではなかろうか。

実はその不自由が好きなのである。

実はその不自由が大切ではないかと思っている。

被写体との関係性がより濃密に成らざるを得ないと思われる。

 

35ミリカメラの場合、35枚目に来たら後一枚をどのチャンスでシャッターをと緊張感が走る。

どこのチャンスでフイルムを交換すればとか・・・。

中型カメラ、8×8などではワンシャッターの重みはます。

ついで、シャッターなどあり得ない。

 

フイルムカメラ、周辺機器は現状が最高峰。

フイルムや印画紙も含めて衰退していることは皆等しく承知している。

世紀末とも言えるフイルムカメラの今の現状。

今使わなければ将来に悔いを残すことになる。

日本画の様に古典的な絵具が残され、残って行くわけではない。

 

銀塩作品から土の香りがしたり、人肌を感じる高橋。

なんとも言えない人間性が読み取れる。

肉眼で見えるものしか写しだされない。

五感、自身の感性の枠の中でしか表現出来ないフイルムカメラ。

 

器機の衰退を嘆くより、フイルムカメラの世紀末に今、立たされていことをを喜びとしてフイルムカメラを持ち続けて欲しいと願う。

現状では(益々高騰をつづけていることは理解しています)使えば使える。

銀塩作品や古典的技法の作品は必ず希少性を持って、将来に受け継がれて行くものだと確信を致しています。

 

そう思えば、フイルムカメラは今が最高峰で最後のチャンスかも知れない。

 

世紀末に立ち会うことが出来ていることを喜びとしたい。

 

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2017年3月2日 高橋はデジタルが嫌い・・・???。

高橋国博はデジタルが嫌いと言うことが、世間では定着している様に思えている・・・。

正直、銀塩作品や古典技法の作品が好きであることには間違いない。

それには幾つかの理由が存在する。

(別の日でも)

 

高橋国博はデジタルが決して嫌いではない。

面白い作品も数多く見て来た。

周辺機器も含めてデジタルカメラを手にしたとき高橋の場合二極化している。

 

■約10年前から考えるとデジタルカメラ及び周辺機器の開発、発達により近年、その表現の領域はもの凄く拡張されたと思う。

人間の目に感じない、見えないものまで写し出されたり、スビード感溢れる瞬間、連写などなどフイルムカメラではなし得なかった

アートの表現の領域は広がりを見せてくれている。

それに加えて周辺器機もそうである。色彩の変化、コントラストの変化など様々ことに対応できる。

デジタルの出現によりグロスキーなどは写真家とは言わず、現代アーチストだと自身のことを言っている。

杉本博司さんもその一人かもしれない。

 

デジタルの出現により写真表現は確かに多くの人を巻き込みながら地位を確立している。

そのこと事態は高橋国博的には認めている。

今後の可能性を信じている。

もっと面白くなると信じている。

写し手は、このテーマは何故デジタルなのかと言う言葉を持ち合わせておかねば成らない。

画家が油絵の具、水彩絵具、パステルと拘る様に。

ドガの晩年のパステルはとても好きである。

(ご日に)

 

■デジタルの危険性、あさはかなことは便利性に溺れること。

ついで写真が多くなること。

無意味なシャッターを切ること。

無意味にシャッターを切ること。

周辺機器でトリミング、色調整などなど安易な考えに落ちやすいこと。

安易いに後処理を考えていること。

要するに引力が感じられない、重力が感じられない作品が反乱している。

その様な作品には根源的な言葉など生まれない。

単に写しているに過ぎない。

単に写っているに過ぎない。

 

先日、写真家の土田ヒロミさんと半日程過ごさせて戴いた。

そのとき一言、ポッンとデジタルは注意をして居なければシャッターを切り過ぎることがあるからなと・・・。

 

しかし、デジタル作品は写真界において一つの革命を起こしたことだけは間違いはない。

その革命を私達は素直に受け入れることが私も含めて求められている。

 

銀塩作品については明日にでも・・・。???。

 

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2017年3月1日 凸版印刷・AD杉山幸次さんのこと、その2。

杉山さんのことや猪野さんのことを書き始めたら切りがない。

それ程、1冊、1冊の写真作品集が濃密であるということ。

 

ADの杉山さんとは様々なことにチャレンジを共にして来た。

例えば写真家の方々は暗室作業のときに、印画紙の周辺を焼き込まれた経験はあると思う。

その焼き込みを印刷で出来ないかと私は思いつき、杉山さんにご相談をした。

その第一作目は私の中では、渡部さとる写真作品集「da.gasita」だと記憶している。

2012年9月25日発行(売り切れ完売)この写真作品集「da.gasita」のテストを行なったとき、どうしても遠近感が出てこない。

「da.gasita」の作品そのものがとてもフラット。

それにしても、このまま進行していってしまえば冬青社の写真作品集らしくないと思い、随分悩んだことを覚えている。

 

どうすれば良いのかと思いついたのが暗室作業と同じく周辺を焼き込むと言うこと。

直ぐさま杉山さんに相談をさせて戴いた。

杉山さんもやって見ましょうと言うことになり、周辺を焼き込みだけの印刷版を作って戴き、それをグレー版に被せ焼き込みを入れて戴き当日を迎えた。

 

第一台目は素晴らしい刷だしが校正室に届けられた。

杉山さんも、高橋も安堵しトライして見て良かったと旨をなで下ろした。

無論、写真家・渡部さとるさんも大喜び・・・???。

第二台目である。

事件が起ったのは、明るいイメージの作品の中に、焼き込みを入れた個所にゴーストが出でいるのではないか。

本番の印刷ではコントロールが出来ない。

後は乾きをまってドライダウン(印刷の場合明るくなること)がどこまで迄、進行するかと言うことになり、正直に告白を致します。

渡部さとる写真作品集「da.gasita」は失敗でした。

渡部さとるさんには今になって告白をするなどと叱られるかも知れませんが、本日、告白を致します。

 

しかし、杉山さんも、高橋もこの方法で間違いはないと確信を持ちました。

この方法を進化させたいと2人は決意致しました。

改良を加えて今では冬青社の写真作品集は周辺を焼き込みを入れている。

無論、作品ごとに入れるときと、そうでないときは別けて行なっていることは言うまでもない。

 

冬青社の写真作品集がプリントより美しいと言われることは、日頃からのAD担当の杉山幸次さんのお陰です。

1ページ、1作品について切り抜き別版だけでも10カ所を超えることがある。

切り抜いた絵柄を一版に最後に纏める。

大変な作業。

切り抜き担当だけでも3人、5日間かかることがある。

それらを嫌な顔を一切なされずに努力、研磨して下さる。

 

本日は杉山さんの努力の一部しか書けませんでしたが、共に研磨、研究、努力をさせて戴き、反省会も含めて次の写真作品集へと繋がれていっている。

今日の1作より、明日の1作、次の1作へと進歩、進化していることだけは間違いはない。

杉山幸次さんには定年を2度延長をして戴き(凸版印刷さんも杉山さんの技術を認められて)2018年まで冬青社の写真作品集を担当して戴ける。

杉山さん、猪野さん居なくして冬青社の写真作品集の表現はあり得ない。

 

また猪野さん、杉山さんとのエピソードはまた、次のきかいにでも・・・。

 

「写真作品集はどこまでも美しく」なくてはならない。

「写真作品集を芸術の花束として 世に送りだす」。

 

冬青社の編集者としての高橋国博の変わらぬ気持。

 

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