2017年11月27日 素晴らしきアートは時代性が刻印されている。

素晴らしき、良きアートは時代性が刻印されている。

アートには、その時代に要求されている何かが刻印され、そこからは逃れない宿命があることを表現者は強く求められていることを認識することが大切に思えてなりません。

表現者の命題だと理解致します。

 

どんな最先端のアートであっても、その時代性というものが刻印されていることから逃げれないことと思います。

考えられます。

時代を超えていくことは大変難しいことですが、意識することが大切に思えてなりません。

 

私たちは古今を問わず素晴らしい芸術、工芸には感動を致します。

現代社会においても制作者側も、観る側の私たちも同時代を生きているうちに、時代を超えていく作品と出合えるか否かということは、共に大きな大切なテーマであるのだと思います。

 

特に写真表現は絵画や彫刻と違い「群」で表現されます。

特にコマーシャルギャラリーなどでは一作品、一作品が独立して観る私たちに、認識させ感動を呼びおこせねばなりません。

さらに言えば一作品、一作品に時代性が刻印されているかどうかです。

公的、例えば東京都写真美術館などの展示は「群」「流れ」を重視し展示されます。

 

それに対してコマーシャルギャラリーはコレクターの方々のお一人、お一人に一点、若しくは二点の作品をお渡し致します。

ですので一作品、一作品にインパクトが必要です。

一作品、一作品に時代性が刻印されていることが求められます。

さらに付け加えれば写真作品は現実の今を切り取っていると考えるからです。

 

その意味で写真家にとりまして写真作品集は欠かせないアイテムと言えます。

写真作品集、そのものが芸術作品に対して、多くの画集は装丁は立派なものであるにも関わらず情報として私たちは見ているのではないでしょうか。

写真作品集と画集を観る時の心の内、見方、態度、姿勢は高橋は違います。

写真作品集は作家の作品として見ていると思います。

 

最近、華美な写真集が目立ち、持て栄されている風潮があります。

それに加えて安価な写真集も氾濫を致しています。

で、最も大切な中身(印刷表現、編集表現)を見ますと、とても疎かになっていることに憂いすら覚えます。

写真作品集は写真家(芸術表現者)の代弁者であると考えています。

写真家(芸術表現者)をないがしろにされ印刷表現、編集表現さえ無視され、華美な表現方法は如何なものかと考えさせられます。

 

その意味で写真作品集そのものが時代性が刻印されていることが大切に思います。

編集者の真の力量が常にためされていると思います。

一冊、一冊ごとに。

 

話はそれましたが。

素晴らしきアートは時代性が刻印されていると思います。

素晴らしきアートは時代性が刻印されているはずです。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログ上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2017年11月24日 『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」の・・・

昨日、『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」のイベントを、ギャラリー午後3時〜5時までギャラリー冬青で行われた。

内容は・・・。

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。』

 

今回は今、展示をさせて戴いている写真家・大木啓至さんの本棚から大型のスーツケース2個分を持って来て戴いた。

作家名前はある程度知っているものの90%位は始めて見る写真集。

参賀者は11名の方々。

車座になってそれぞれに「大木啓至さんの書棚から」参加者の個々が気に成る写真集を持ち出し見始めた。

 

参加者の知っている知識を分かち合いながらあっと言う間に2時間が終わった。

そんな写真集もあるのだとか・・・。

そんな見方もあるんだとか・・・・。

作家の知らさせるエピソードを披露されたり・・・。

作家のスタイルの情報を共有出来たり・・・。

大木啓至さんがなぜこの写真集を買ったのか・・・。

大木啓至さんがこの写真集のどこが好きなのか・・・。

その他さまざまな情報や知識が行き通った。

参加者の持っている知識、情報を分ち合えた。

 

以前より高橋が苦手としていた写真家がいた。どちらかと言えば高橋自身が作風が良く解らないことから好きではなかった。

それが書棚に入っている。

どちらかと、ハッキリ言えば嫌い!!。

なぜ、書棚に入っているのか、大木さんに聞こう、聞こうとおもいながら時間が過ぎていた・・・。

不思議だなとおもって最後近くまで黙っていた。最後に一人ずつ一番好きな本を選び出し、どこが好きか発表する時間が設けられた。

すると驚いた大木友紀(奥様)さんがその写真集を持ち出し、今回の書棚中でこの本が一番好きですと・・・。

「もし大木がこの写真集をスーツケースに入れなければ私が黙って入れようと思った」とのこと。

えええ・・・と思わず声が出そうになった。

大木友紀さんの話を聞きながらなる程、写真集を好きになる切っ掛けは人それぞれあるのだと改めて思った。

内容を読み取る個所が全く違っていて面白いと思った。

 

参加者のそれぞれの写真集への、作品へのアプローチが違うことばかりが強調されるのではなく、2時間が終わって見れば作家への、写真集への、作品へのアプローチの幅が広がった。

 

作家の幅広さ、深さ、スタイル、系譜までもが理解出来た2時間でした。

 

高橋も感想を求められた。

高橋であれば今日の本箱の80%は先ずは買わないですと、ついつい本音を漏らしてしまった。

高橋自身、大木さんとは写真集の趣向はわりと近いと勝手に思って居た。

ところが全く違っていて驚かされた。

でも大木啓至ワールドが広がっていて面白かった。

写真作品集「Qualia」の完成への経緯が解り始めたような気がした。

もっともっと勉強せねばと反省を致しております。

 

次回は亀山仁さんが「書棚」を準備して戴けることになっています。

日、時が解ればブログ・ホームページでお知らせ致します。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

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2017年11月22日 亀山仁写真作品集「Myanmar」について想うこと・・・

亀山仁写真作品集「Myanmar」について想うこと。

継続することの大切さ。

リサーチすることの大切さ。

を、改めて亀山仁写真作品集「Myanmar」から感じ思います。

 

亀山仁さんは2005年〜2017年の今年迄、写真展や写真集制作のためMyanmarを訪れている。

ある年には数回に渡り訪れることも。

前作の「Thnaka」よりも被写体の方々が柔らかく、写真家・亀山仁さんを素直に受け入れている。

それも身内のように。

決してジャストのシャッターチャンスの意識ではなく、日常の会話の中から作品は生まれている。

日常の家庭生活の中に、人々に無邪気に会話を楽しんでいる、それはどこまでも自然体に・・・。

 

この度の写真作品集「Myanmar」は今迄、亀山仁さんがライフワークとされて来たヤンゴン・シャン州のインレー湖だけではなく、ミャマー最大都市のヤンゴンを今回、意識して取材をされている。

 

インレー湖に住む18歳の少女や様々な方々にインタビューをされている。

亀山=将来の夢は今、欲しいものはとの問いに

18歳の少女=「金」と。

「人生で最後に信用できるのはお金、結婚しなくてもお金があれば老後も必要な時に売ってお金にして暮らしていける」P68

それに対して大人たちは「賢く、礼儀正しくなって欲しい」、「正直で良い人になって欲しい」・・・

 

亀山=12の村を束ねる38歳へのリーダーへの問い。

今、ミャンマーに必要なことは。

リーダー=「知識だ。人々が変化するためには知識が必要。知識不足が正しい方向を判断出来ない」。P74

 

ヤンゴンとインレー湖を一冊の中に入れたいとの亀山さんの申し出があり、作品を見せて戴いたがどうしても馴染めない高橋がいた。

当初は写真集の全般はインレー湖を、後半にヤンゴンと思い編集を始めたが面白くはない。

そこでインレー湖とヤンゴンを交互にいれ展開をしていくことに気づき仮の編集をさせて戴いた。

それを見た亀山さんも納得され、この度の亀山仁写真作品集「Myanmar」が生まれた。

 

2005年インレー湖に訪れた時には水道も電話もなかった、今では年収に匹敵する位の高価な携帯電話を若者が持っているとチョピリ悲しげに亀山仁さんは語る。

経済優先、先行で発展しているミャンマーをあんじ、憂いながらも見続けている。

インレー湖の人々には上記に書きましたように、身内のごとく何処迄も優しくレンズを向けられているのに対して、ヤンゴンは厳しい目線でレンズで切り取られている。

そのコントラストが写真家・亀山仁さんらしい。

面白い。

 

この度の写真作品集「Myanmar」のテキストが実に良い。

臨場感溢れるテキストになっている。

写真作品集「Myanmar」を見、テキストを読んでいる内に私たちが(高橋が)ヤンゴンの街やインレー湖のそばに立っているような錯覚を覚える。

 

継続することの大切さ。

リサーチすることの大切さ。

改めて感じ、思います。

 

まだ、亀山仁さんは観られていない。

明日、23日午前中に亀山さんのもとへ届けられる・・・。

 

■下記イベントにお時間がある方は気楽にお参加下さい。

 予約なしでの自由参加です。

※タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

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2017年11月21日 申し訳なさと・恥ずかしさと・ここまでと・まだまだと・・・。

昨日、亀山仁写真作品集「Myanmar」を昨日、凸版印刷さんより届けて戴いた。

1ペーシを捲って唖然とした。

その出来栄えに・・・。

 

3年前、写真家・亀山仁さんの写真作品集「Thnaka」冬青社で制作をさせて戴いた。

その出来栄えの差に唖然とした。

亀山仁さんと相談をさせて戴き前作品の「Thnaka」と色合いは合わせすることにした。

この度の「Myanmar」と「Thnaka」は色味は変わらない。

 

しかし、この度の「Myanmar」は「Thnaka」と比べてページごとのボリーム感、人の表情が素晴らしく、人物の丸み、立体感が豊かで、もの凄い迫力で迫ってくる。

全体の深みが全く違う。

3年前の「Thnaka」も高い評価を戴き、亀山仁さんにも喜んで戴き、私たちも素晴らしい出来栄えと思って居た。

ADの杉山さんも含めて。

 

しかしのしかしである。

この度の「Myanmar」は亀山仁さんのプリント自体が全体的に暗く、重いプリントの仕上がりであったが、しかしのしかしである。

前作品の「Thnaka」と比べると異次元の仕上がりになっている。

 

直ぐさま凸版印刷、ADの杉山さんへお電話をさせて戴いた。

杉山さんも既に「Thnaka」と見比べて下さっていた。

この度の「Myanmar」素晴らしい出来ですねと開講一番の杉山さんの言葉。

色々なことをお話をさせて戴いた。

一番の違いは高橋社長の感性が豊かになったことではありませんかとの言葉を戴いたが・・・。

 

「写真作品集を芸術の花束として 世に送りだす」高橋の変わらぬ気持と常に言い続けてきましたが・・・。

前作品「Thnaka」を見ながら亀山仁さんと作品集「Thnaka」に「申し訳ない」との思いと、良く3年前とはいえ、これで満足をしたとの「恥ずかし」さが入り交じり複雑な気持で一杯。

この度、写真家・亀山仁さんより同じテーマを戴き、制作をさせて戴いた「Myanmar」その作品集をADの杉山さんと喜びを分かち合いながら、ようやく「ここまで」来たとの思いと、いやいや「まだまだ」努力を致さねばならないことを教えて戴いた。

 

一日も早く写真家・亀山仁さんにも観て戴きたいとの思いと、恐ろしさ、恥ずかしさが入り乱れています。

亀山仁さんへは23日の午前中に凸版印刷さんより届けられる。

 

※タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。(後4名様まで)

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

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2017年11月20日 アート作品に賞味期限はあるのか・・・。

アート作品に賞味期限はあるのかと考えるときがあります。

それは書店さんの棚を見たときに思うことです。

文庫本の棚の前であったり横に、出版されたばかりの文庫本がうず高く積まれている光景を私たちは見ます。

珍しい光景ではありません。それが物語るのは初版部数が数万部以上というのは当たり前で、その何冊かは短期間のうちに版を重ね、数十万部というベストラーの証だと思います。

しかし、時間というのは残酷なもので、殆どのベストラー小説には賞味期限に限りがあることです。

時間とともに読者が他の小説家に移っていくからだと考えます。

そこには新しい小説家が次々に現れて読者の交代が促されるからではないでしょうか。

思います。

 

その理由を考えたとき、ほとんどの小説家が持つ「味」が一つしかないのではと思われます。

小説家が材料を替えたものを作ったとしても結果が同じ「味」・「味加かげん」の新作であったなら、読者からは飽きられてしまいます。

当然のことです。

読者は違う舞台の中でいつも小説家の「味」を楽しんでいるのではないでしょうか。

ですので、いくら材料や調理法がちがつてもその元となる「味」が同じであれはいつしか飽きられるのではないでしょうか。

 

私たちは美術館で様々な絵画や彫刻を繰り返し見ます。

同じ絵画や彫刻であっても新たに発見があったり、喜びを感じます。

芸術には普遍的な芸術であったり、そうでない芸術があるように思います。

しかし、普遍的な芸術であっても同じ作品ばかりを常に見せられたら何時かは飽きてしとます。

 

表現者はテーマとは何(「味」)かと常に考えることがとても大切に思えてなりません。

表現者は自身の個性(人間力=コンセプト)に裏打ちされたテーマ(可視化された作品)の「味」をいつも確かめてる宿命を負わされていると感じます。

 

芸術に賞味期限があるか否かは自身の個性に裏打ちされたテーマの問題だと考えます。

 

今、ギャラリー冬青で展示をさせて戴いている大木啓至作品「Qualia」は良く「カエルと彼の人生について」と撮っているものは同じ、スタイルも似ていると言われる言葉に高橋には正直抵抗があり、納得がいきませんでした。「味」が全く違うことに昨日気づきました。「Qualia」と「カエルと彼の人生について」は全く違う「味」が致します。

取次ぎの窓口のKさんが「Qualia」を見て「臭いが」するとの言葉が、とても印象強く残っていますがヒョトしたら「味」のことではないかと思い始めています。

 

※タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。(後5名様まで)

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状はとり止めをさせて戴いております。

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2017年11月17日 自分自身が少数派であることに耐えられるか?

「自分自身が少数派であることに耐えられるか?」。と言うことに制作者側として観る側も含めて、耐えられるか?。と言うことは共に命題だと思えてなりません。

 

流動しているアートシーンの中で、アートウォッチャーの端くれでいる高橋がどこに立っているのかの判断は正直、生やさしいことではありません。

高橋自身が決して中心に位置しているなどと到底思えません。

どこにいるのだと問われると分かりませんと答えるしかありませんが・・・。

そう答えたのでは身もフタもありません。

 

一人の人間がアートの全体を見渡すことすら、そもそも不可能なことだと思います。

しかしながら自身の不安定さをなくすには大ざっぱに「この辺かかな?」ということを自覚するように致しています。

 

さりながら、現在の日本のアートシーンを考えると、多数派という部類はたしかに存在致します。

このようなことを関係者の一人が言いますと業界・界からはじき飛ばされるかも知れませんが、あえて申しますと既成の画壇や写真表現で言えば○○流と呼ばれる集団、方々です。

 

私は決して多数派の表現者を排除するものではありませんが、出来る限り少数派の方に私の立つ位置を見出したいと思っています。

ではなぜ高橋が少数派の位置に立ちたいのかと申し上げれば、少数派の中こそ起爆力を持ったアーチストや作品があるからだと信じているからです。

多数派の中にいることは、安定していて気持の良いことかも知れませんが、いずれ歴史の中に埋没していかざるを得ないという宿命を自らの内にビルトインされていると、思っているのは高橋だけなのでしょうか。

 

それに比べて少数派は、未来を築いていく可能性が潜んでいるように思えてなりません。

もちろん全てとは申しませんが、少数派の方々の存在には高橋が賭けてみようという気概を感じさせて戴けます。

では少数派に位置する自分を信じるに耐えうるものは、何かと言うことを自ら常に検証することが大切に思えてなりません。

少数派、少数派と叫び甘んじている高橋も時として恐ろしさを感じます。

もし、少数派と思うのであれば表現者とともにキュレーター(編集者)は起爆力となる種を見出して行かねばなりません。

その種を起爆させるには何を持って身につけなければならないのかと、常に自身に問いかけ続けなければなりませんがそう生易しいことではありませんね・・・。・・・。

 

少数派の中にこそ未来のアートシーンを席巻する作品があると信じます。

それには表現者、キュレーター(編集者)は継続することが大切に思えてなりません。

表現者は作り続ける、キュレーター(編集者)は観続ける。

更にはコレクターの方々に発信し続けることが大切な気が致します。

高橋が2020年まで続けて見たいと思ったことの一因です。

 

継続、継続をしなければ多数派から抹消されかねません。

「継続は力なり」だと思います。

 

※お知らせ

11月17日(金曜日)19時より大木啓至写真展にともないトークショーを開催させて戴くことになりました。

大木啓至&北桂樹、司会進行・湯本愛(ギャラリー冬青)

是非、ご参加下さい。

先着30名様。

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

※タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。(後5名様まで

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

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2017年11月16日 アートに触れることはステータスのためではない・・・。

だれが、何時、どのような環境のもとで解りませんが「アートの話のできる人はステータスが高い」といわれています。

この問題になりますと、決まって「欧米では」というマクラ言葉がつきます。

実際に「欧米では」そうなのかどうかは知りませんが、どういうわけか、それが日本では信じられているようです。

 

なぜ、そう信じられているのかを考えるとき、確かな根拠が存在致します。

そこには「芸術神聖神話」説という考えがベースにあるからだと思われます。

「芸術神聖神話」の根拠の基づくものです。

つまるところ、近世ヨーロッパで正教分離という大変革が起こり、宗教が後景に退いていきます。空位になったところに、新しい「神」としてその地位にすわつたのが「芸術」(アート)だったからです。

 

このことから、欧米では新しいアートの話ができる人は、ステータスが高いいということになったと思われます。

欧米ででそうなるのは、ある意味では必然といえるものですが、果たして日本人のわれわれが、そのまま引き継いでいいのかとなると、私は必ずしも「そうだ」とは思えません。

 

アートを楽しむことはステータスの向上のためではありません。

結果として、そのように受け止められることがあるかもしれませんが、そのような目的のためにあったらと致しましたらペンタチックな、お飾りにしかならないと思います。

アートは、そういうつまらない自分を取りつくるための道具ではないということです。

しかし、悲しいことに私たちのメンタリティは、虚栄心に踊らされてこととは無縁ではないことを肝に命じつつ「アートの熱源」としていく道があることを掲げていくことが大切なことではないでしょうか。

 

アートは自身の心や環境、生活を豊かにするための一つのツールです。

自身の目線、体験、知識でまずはアートを楽しむといった習慣を付けることが大切に思えてなりません。

「アートは楽しい」と思えた瞬間が一番大切なのではないでしょうか。

私的には一番楽しい瞬間です。

 

アートは私たちの生活を豊かにするための大切な、一つのツールであることは間違いないと思います。

 

※お知らせ

11月17日(金曜日)19時より大木啓至写真展にともないトークショーを開催させて戴くことになりました。

大木啓至&北桂樹、司会進行・湯本愛(ギャラリー冬青)

是非、ご参加下さい。

先着30名様 会費1,000円

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

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2017年11月15日 写真作品集は作家の代弁者。

写真作品集は作家の代弁者だと高橋は認識している。

大木啓至の写真作品集「Qualia」の編集から印刷・製本まで全てを冬青社が担当させて戴いた。

 

出来上がった「Qualia」を大木啓至さんがカメラオブスキュラのメンバある写真家・パトリックさんに送られた。

(パトリクさんの展示は弊社でも二度展示をさせて戴いた。)

「美しさに溢れている」とコメントを戴き、早速にカメラオブスキュラのディディエさんの処へお持ち戴いた。

(1月10日からドイツ・フランス・スイスのギャラリーを回る。目的は日本人の写真家の写真展をして戴く交渉。今迄のギャラリー冬青のコネクションがある方々へ)

 

ディディエさんは大木啓至さんの写真作品集「Qualia」の美しさを見出し、1月みんなで会いましょうとのメッセージを戴いた。

食事もともに・・・。

カメラオブスキュラでの展示も夢物語ではなくなって来たような気がする。

スイス・ドイツのギャラリーからも暖かく迎えてくれるとの連絡を戴いている。

 

「写真作品集は作家の代弁者。」

 

写真作品集は作家の代弁者として、観る人の心を揺り動かすことが出来ることを、大木啓至写真作品集「Qualia」通して改めて思いました。

今迄の私達の努力が間違いがなかったことを改めて実感致します。

写真作品集は作家の方々が制作するプリントより、美しく、なければならないとのモットとして今迄、努力、研磨してきたと思う。

ただプリントより美しければ良いと言うわけではない。

作家の思いを魂を乗せて写真作品集は表現されなければ意味がない。

 

プリントを制作された方であれば実感されていることだと思う。

テスト・テスト・テストを繰り返して最終作品が選び出される。

でも、その最終作品であってもまだ不安、不満が残っているはず。

それだけに編集者は作家の方々の思いをどこまで汲み取れることが出来るかが、大きな問題としてのしかかって来る。

作家不在の写真集であれは全く意味がない。

作家の方々の思い、作品への愛情を理解した上での、写真作品集であらねばならないことを、編集者は常に肝に銘じておくべきである。

 

写真作品集は作家の方々の最終作品の不安、不満を解消し、写真作品集としての芸術作品として表現されなければならない。

それがゆえにプリントより美しき印刷表現でなければならない。

このようなことを許して戴き、研磨、努力をして戴けるのが凸版印刷さんであり、冬青社の担当して戴いている営業の猪野さん。

AD担当の杉山さんである。

 

このお二人がいなければこの様な美しい写真作品集の表現は出来ない。

渡部さとるさんがアルルに写真作品集を持って行かれたときもそうであったが、作品集を見て驚かれた。

その美しさに。

 

写真作品集はどこまでも美しくなければならない。

プリントを超えて美しき印刷表現でなければならない。

印刷そのものが芸術。

大木啓至さんの写真作品集「Qualia」の担当をさせて戴いて良かったと要約、安堵致することが出来た。

 

カメラオブスキュラのパトリックさん、ディディエさんの反応、コメントを戴き、この写真作品集「Qualia」に関係して戴いた全ての方々に改めまして感謝を致します。

 

「写真作品集を芸術の花束として世に送りだす」

私の変わらぬ気持。

 

「写真作品集は作家の代弁者。」

 

そのトークショーが下記スケジュールで行われます。

多くの方々に参加して戴きたい。

 

お知らせ

11月17日(金曜日)19時より大木啓至写真展にともないトークショーを開催させて戴くことになりました。

大木啓至&北桂樹、司会進行・湯本愛(ギャラリー冬青)

是非、ご参加下さい。

先着30名様 会費1,000円

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

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2017年11月14日 ジャンルを超えて見ることが大切に思えて・・・・

ジャンルを超えて観ることが大切に思えてなりません。

ジャンルはなんでも良いと思います、新しい表現と出合うことが大切だと思います。

まだまだ世界には私達の知らない才能が驚くような作品つくりを、つづけている表現者がいると確信しています。

 

どんな分野の作品でもあろうとも「感動ある作品」を探すことをお勧め致します。

実際には出合うことは少ないことですが、先ずはマスコミの賛辞の文言を信じて、仮にそのたびにがっかりすることがあったとしても、必ずあると信じて見つづけて行くことが大切なことだと思います。

 

刺激を受けることは表現者はとても必要です。

過去の作家がそうであったように刺激、否定、反抗などなど、自身へのダメージも含めて刺激を求め受けることが必要な気がしてなりません。

 

刺激は自身の観る、聞く、触れる、味わう、考えるなどなどどのそれぞれの部位でも構いません。

その刺激を受けた部位を掘り下げ発展させて行くことが大切なのではないでしょうか。

その部位から広げていくことが大切に思います。

自身が何かを感じることが必要です。

 

いささか古いことですが、イランの映画作家アッバス・キアロスタミの「友だちの家はどこ」(1987年?)を観たときの衝撃は今もって忘れることは出来ません。

極めて単純なストーリーなのですがキアロスタミは、ひとつとして前衛的な手法を使ったわけでもないし、有名な俳優が出ているわけでもありません。

主人公も無名の少年。他の出演者もほとんどはアマチュアで構成されていたにもかかわらず、制作者の意図が明確に伝わってくる稀有りな作品でした。

私の映画の観る枠を確実に広げてくれた映画だと言えます。

 

自身のジャンルだけに拘らす、時には意識してジャンルを超えたり、身体を動かして新しい表現を探されてはと思います。

 

※お知らせ

11月17日(金曜日)19時より大木啓至写真展にともないトークショーを開催させて戴くことになりました。

大木啓至&北桂樹、司会進行・湯本愛(ギャラリー冬青)

是非、ご参加下さい。

先着30名様 会費1,000円

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

 ブログ上で大変恐縮でございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 

 

 

 


2017年11月13日 コンセプトこそが豊かな写真表現が可能・・・。

コンセプト=人間力

コンセプトととは人間力そのものだと私は理解しています。

コンセプト(人間力)を豊かならしめなければ作品のテーマは充実しないばかりか、最悪の場合、何を撮れば良いのかとテーマ探しの旅が始じまります。

 

私の人間力が如何程のものかと考え始めた切っ掛けがあります。(一つの基準にしているかもしれません。)

ドイツの詩人ライナー・リルケ(1875〜1926年)が若いときに綴つた「マテルの手日記」この本のなか(23ページ6行目から)

約700字ほどの固まりとなつたエッセーがあります。「一行の詩をつくるには」(中見出しはありません。)

この一節は直前の内容とは違い突然に現れてきます。

『一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。』

とても意味深い言葉だと思いました。

リルケは私達に(高橋に)様々な現実の今の、今を見なさい、感じなさいと語りかけているのではと思います。

 

高橋が「さまざまな町を、人を、物を見た」とき、今の現実をどのように受け止め、感じ、どのように受け入れることが出来たのかと思うようになりました。

では、何を感じたのかを自身に問いかけるようにしています。

 

リケルが語るように「さまざまな町を、人を、物を見た」として受け入れる側は人様々に、自身の人間力(IQ・EQの高さではありません。寧ろ邪魔をすることすらあります。)が豊かな人ほど多くのことが見え、感じるのではないでしょうか。

自身の中に(高橋の中に)どの程度、定着し受け入れられたのかを検証致します。

人間力が豊な人ほど「さまざまな町を、人を、物を見た」ときキット多くの五感に降れ、感動する度合いも多いのではないでしょうか。

高橋自身の貧弱さを感じることも多くあります。

 

リケルが語りかけるように『一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。』を理解、実践出来れば、自ずと現実的なテーマが授かり、見え、テーマにアプローチし充実して行くことが出来るのではないでしょうか。

 

現実から逃避して、あやふやとした将来のことや、未来の(5年先・10年先・20年先)ことを語る人は、現実であるべき「テーマ」は生涯に渡り定まらないと思います。

特に写真表現は今と言う超現実的な表現手段だからです。

だからこそ、他にない面白い芸術表現だと思います。

 

私達は日々現実の今に生き、自身の今を他の人のため何を表現するのか、求められているよう気がしてなりません。

 

詩人ライナー・リルケ『一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。』は、現実の今を見なければ、現実の今から学ばなければ「一行の詩」をも作ることは出来ないと、私達(高橋)に語りかけているように思えてなりません。

「さまざまな町を、人を、物を見たら」先ず一行の詩を作りなさいと・・・。

目の前の現実の一歩を検証しなさいと・・・。

 

写真表現におきかえたら「さまざまな町を、人を、物を見た」感じたことを先ずは一枚、シャッターを切りなさいと言われているような気がしてなりません。

 

最後に、詩人ライナー・リルケ『一行の詩をつくるには、さまざまな町を、人を、物を見ていなくてはならない。』は実は現実に生きている私達に、私達の今の今を大切にしなさいと語りかけているのかも知れません。

 

『今、ギャラリー冬青で展示をして戴いている、大木啓至写真展「Qualia」は「感じ」と言うことがテーマになって居ると今日のところは高橋は思っています。観て戴いた方々がどのように「感じ」て戴いたのか是非、高橋にお教え下さい。その意味で五感を研ぎすことが出来るとても良い展示だと思います。』

 

※お知らせ

11月17日(金曜日)19時より大木啓至写真展にともないトークショーを開催させて戴くことになりました。

大木啓至&北桂樹、司会進行・湯本愛(ギャラリー冬青)

是非、ご参加下さい。

先着30名様 会費1,000円

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い致します。

 

タイトル=『作家の頭の中見せます』-「本棚か語る作家の素顔」

■先着10名様まで会費、無料。

 11月23日午後3時〜5時まで

本棚はその人の思考を創り出してきた知識の源泉です。 会場に持ち込まれた本棚には持ち主である作家の「アーティスト思考」を育てた「種」が そこにあるはずです。 参加者のみなさまにはその想像力を働かせていただき、本棚の中にその「アーティスト思考」を育てた。 「種」を見つけていただけたらと思います。 そして、作家やほかの参加者とのディスカッションを通して、ぜひその「種」を自分自身の中でも 芽吹かせて「アーティスト思考」の木を育ててみてください。

 

■9年前より冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博の年賀状は止めさせて戴いております。

 皆様におかれましても、ギャラリー冬青・冬青社・高橋国博宛ての年賀状はご無用と存じます。

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