2020年6月12日 刺激の中に身をおくことが・・・。

「刺激の中に身をおくことが大切」。

に思えます。

COVID-19(coronavirus disease 2019)の終息を見せないなか・・・。

「三密」を避けながら・・・。

昨日、東京アラートが解除されましたが、私たちが未消化のまま物事が進み展開していくことに一抹の不安を感じます。

 

自身で自ら「刺激の中に身をおくこと」は難しいと思うが、思い切って表に出て刺激を受けることが大切。

今の時期だからなおのことです・・・。

テレワークなどなど「個」としての存在価値が問われるなか、意識しなければ刺激は受けれない。

益々、「個」の自由度、「個」の裁量権、「個」の力量が増し、問われるなか新風(外の風)の刺激は忘れられがちです。

意識しなければ、刺激の中に身をおくことはとても難しいと思われます。

self-satisfactionの世界に落ち込むことが恐ろしい。

 

刺激は外側からと内側の自らを刺激することが出来ると思っているが・・・。

内側の自らの世界感だけで満足をしてしまえばそれだけのことだと思う。

日常の感覚や理性、刺激までがマンネリ化することが怖い。

書物やネットに新しき知識や情報を得て刺激を受けていると思っては居ないだろうか。

ないとは言えないが・・・。

果たしてそれだけで良いのだろうか、表現者として・・・。

ついつい満足してしまってはいないだろうか。

自身の殻に閉じこもることが怖い。

自身を還り観ることも大切な気がしてならない。

 

基本的には外側から様々な体験や知識を受けることが大切に思えます。

特に表現者は常に刺激を求め歩く「旅人」だと思っている。

何かを求め歩く「旅人」。

自身の趣味の延長であったり、新しき見聞を広めるための行動であったり、人は常に何かを観て、何かに触れて、誰かと会話をして刺激を受けていることがとても大切に思えてならない。

その先に刺激が・・・。

プラス・マイナスも含めて全てが刺激になるはず。

 

「刺激の中に身をおくことが大切」。

 

※お知らせ

・作家在廊日=6月13日・27日(土曜日)13時より。

・6月26日19時よりクロージングパーティーを予定しおりましたが、中止とさせて戴きます。

 

下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 

 

 

 


2020年6月11日 視覚芸術も詩を読み取るごとき・・・。

「視覚芸術も詩を読み取るごとき、内容を把握し読み取ることが大切。」

だと思ってます。

単に感性的に面白いとか・・・。

単に直感的に面白いとか・・・。

単に感覚的に面白いとか・・・。

だけでは無く・・・。

そのことも、とても大切なのですが・・・。

一つ目には、その作品の持つ意味、歴史、時間的背景、描かれたテクニカルなこと、作者の意図・意志などなど研鑽すればする程、作品への理解度が深まり楽しめます。

一枚の絵画、写真には歴史があり、時間的背景あり、作者の意図、意志があり、そのことを読み取ることがとても大切に思えてなりません。

また、受け継がれて来た時間により読み取り方も変化、変わってまいります。

正に1行の詩を読み取るかごときです。

 

・例えば雑学的知識でも、楽しみ方の一つとして・・・。・・・。

レンブランドの「夜警」は誰も知る作品ですが、初めから「夜警」と言うタイトルが付けられたのではなく18世紀以降に画面を保護するためにニスが塗られます。そのニスが黒ずみ夜警のように観え始めたことから「夜警」となりました。

この「夜警」はレンブランドが描いたときには幅5メートルの大作でしたが、市庁舎に移され展示をするときに周辺をカットされたと言われています。描かれている人物の大きさから推測してのことです。

「夜警」の描かれた時期、歴史的背景、テクニカルのことは皆様が知るところです。

因に、この「夜警」は依頼主から受け取りを拒否されます。

それが今では世界的、歴史的名画になっていくプロセスも含めて楽しめばと・・・・

 

二つ目には、なぜ自身が面白いと思ったのか、思えるのか自身の中の掘り下げが大切に思えてならなりません。

その上で・・・。

・作家が好きである、好感が持てる・・・。

・sponsorship

・作品が私の感性にあうとか・・・。

・作品を飾りたいとか・・・。

・自身のコレクションに加えたいとか・・・。

・ギャラリーを応援したいとか・・・。

様々な事柄が挙げられると思います・・・。

 

感覚的に見える現代アートを読み取るのはとても難しく至難の技ですが、読み取ろうとする努力を怠らなければ面白きものと、つまらなきものとの区別が付き始めると思ってます。

「視覚芸術」は皆等しく楽しめるものです。

そんなに難しいことではないと思ってます。

一歩だけ調べ、一歩だけ自身の感性にもどり楽しめば良いことだと思ってます。

楽しむときの習慣の問題だと思ってます。

 

「視覚芸術も詩を読み取るごとき、内容を把握し読み取ることが大切。」楽しみたいものです。

 

※お知らせ

・作家在廊日=6月13日・27日(土曜日)13時より。

・6月26日19時よりクロージングパーティーを予定しおりましたが、中止とさせて戴きます。

 

下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。

 

 

 


2020年6月10日 自身は小さい石ころである。

「自身は小さい石ころである。」

「遅くなっても待っておれ、貴方の出番がやってくる。」チェ・ゲバラの言葉です。

チェ・ゲバラが中南米のキューバで医学部の留学生と交わされた言葉。

 

中南米の国々で革命運動が巻き起こり始めたとき、医学部の留学生は母国に帰り革命運動に参加するかどうかとても悩み、苦しんでいたとき、ディスカッションの中でチェ・ゲバラが留学生に諭したとされる言葉です。

「自身は小さい石ころである。」(チェ・ゲバラ自身が、自身に向かっての言葉)

「遅くなっても待っておれ、貴方の出番がやってくる。」

と・・・。

留学生は大學に踏みとどまり医師となって行きます。

 

表現者にも通じる、深い意味があるような気がしてならない。

「大器晩成」老子(ろうし)の言葉があります。

「大器晩成」とは褒め言葉で、今は未熟でも努力した人は晩年に大物(大器)になれるとの意味でつかわれますが・・・。

実はそうではなく・・・。

現在、今を大物、大成していると思っていては成長の余地がなく、そう思っている人への警告の意味の方が本筋だと本で読んだことがある。

余り意味が違わない様にも思えますが、私には大変違って読み取れました。

なるほどと思います。

己への過信、己への満足、己への慢心を慎む言葉としての「大器晩成」。

「自身は小さい石ころである。」と相通じるものを感じます。

 

「自身は小さい石ころである。」自覚し、自覚しょうとする心、だからこそ今、努力をする項目、手段、方法が見えて来る様な気がしてなりません。

その上で「遅くなっても待っておれ、貴方の出番がやってくる。」なる程と思い、勇気ずけられます。

私も写真表現者の方々にチェ・ゲバラの様に・・・。

「自身は小さい石ころである。」

「遅くなっても待っておれ、貴方の出番がやってくる。」

と、素敵な思いやり、的確な言葉を掛けてあげれればと思いますが・・。・・・。

なかなか難しくついつい、イライラとすることも多いと反省を致します。

現状を、今を、努力することの大切さ諭すチェ・ゲバラ。

皆等しく「遅くなっても待っておれ、貴方の出番がやってくる。」と希望を持ちたいものです。

責て今日一日ぐらい、自信を持ちたいものです。

 

『チェ・ゲバラはキューバ革命後、間もなく使節団団長とし1959 年7月に広島を訪問(広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を・・・。)当時は外務省も広島市も冷遇で、東京〜広島間は普通特急の普通席の夜行列車で駅弁を食べながら移動しています。彼の来日について大きく報じられることはありませんでした。 全てのマスコミが・・・。

チェ・ゲバラは「アメリカにこんなひどい目にあわされて、怒らないのか」と口にしたと言わ れています。

因に 58 年後の 2017 年、広島平和記念式典にチェ・ゲバラの実子、カミーロ・ゲバラ氏が一般参列として参列をしています。』

 

出版社としての冬青社、プライマリーとしてのギャラリー冬青。

COVID-19(coronavirus disease 2019)なんかに言い訳をしていてはダメだ・・・。

出版社としての冬青社、ギャラリー冬青も「終わるまで、終わらない」。

 

※お知らせ。

・作家在廊日=6月13日・27日(土曜日)13時より。

・6月26日19時よりクロージングパーティーを予定していましたが、中止とさせて戴きます。

 

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2020年6月9日 朝日新聞社・出版社は何を考えているのか・・・・

「月間・アサヒカメラ」が7月号を持って廃刊となります。

これは朝日新聞社・出版社、1社のプライベートだけの問題ではない。

日本の写真界、全体の問題なのだ!!。

日本写真文化、全体の問題なのだ!!。

 

「月間・アサヒカメラ」が担ってきた役割りは大き過ぎるぐらい大きい。

『人の命は地球より重い』

(1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行 グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう 要求した時に、時の福田赳夫首相が言った言葉)

「月間・アサヒカメラ」の歴史の重さは、地球の重さより思いかも知れない。

 

例えば、カメラ機器と周辺機器の情報である。

海外の機器も踏まえて。

メーカーの情報をいち早く私たちに届けてくれていた。

その歴史の蓄積は計り知れないものがあることを、朝日新聞社・出版社は理解しているのであろうか。

広告の役割りの大きいことを・・・。

広告の使命の大きいことを・・・。

単なる広告ではないことを・・・。

 

日本の写真表現の文化をどのように感じているのだろうか・・・。

日本の写真史をどのようり理解しているのだろうか・・・。

日本のカメラ雑誌をリードして来たばかりではなく、日本の写真歴史そのままに読者、メーカー、表現者を巻き込みながら、とともに歩んで来たこを・・・。

朝日新聞社・出版社もそのことを全く理解、考慮せずにいきなり廃刊の決断には、何を考えているのか理解できない。

現場の編集者からは、季刊誌(年4回発行)を発行することも話題にあがったと聞くが、それすら取り入れられなかったとのこと。

 

購読側にも多くの問題があったことは歪めない。

このことは読者の一人として猛反省を致すべきであると・・・。

その上で!!。

もしそうであるとしたら、であるにらば当事者達はアドバルーンを高々と挙げるべきであった。

『購読者の皆さん「月間・アサヒカメラ」は危機的にあります、一冊お求め下さい』と。

多くの人々は率先して「月間・アサヒカメラ」を求めた筈である。

朝日新聞社・出版社を守るためではなく「月間・アサヒカメラ」と言う媒体を守るため、写真文化を守るために私たちは努力を惜しむことはない。

全く、そのような雰囲気、努力が感じられないこの度のこと・・・。

 

朝日新聞はもっと合理化すべきところがあったはず。

例えば「週間朝日」を新聞と統合するとか・・・。

そんな哲学で運営される「木村伊兵衛賞」などまったく興味が薄れる。

 

朝日新聞は今後は写真を掲載することなく、新聞を発行する積もりなのか・・・。

活字だけの新聞を・・・。

写真の役割り、伝達力をどのように感じているのであろうか。

 

本日は疲れました。

これ以上書いても、愚痴ばかりになります・・・。・・・。・・・。

「朝日新聞社・出版社、1社のプライベートだけの問題ではない。」ことだけは確か。

 

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2020年6月5日 蒔田恵理写真展「朝凪」本日から・・・・。

蒔田恵理写真展「朝凪」本日から始ります。

蒔田恵理さんは、故・白岡順の奥様。

始めて私が蒔田恵理さんの作品を観たのは約20年前位だと思う。

白岡順さんからのご紹介と記憶している。

白岡順さんの作品「白と黒」のどくどくの世界感と全く違って、グレーの世界感の中で人の生き方、関わり方を奥深く模索する行為は、観る側の私たちを自ずと作品の中に引き込まれざるを得ない。

 

時間とは何か・・・。

人とは何か・・・。

自分とは何か・・・。

他の人とは何か・・・。

時間と人の関わりは何か・・・。

交わる瞬間は何か・・・。

その上で・・・。

今という瞬間を意識しながら・・・。

 

今という瞬間は被写体に対してとても具体的であり、写しての意志(意味)の明確さが求められる。

その瞬間は固有名詞があり、

その瞬間にも意味が存在し、

その固有名詞には当然意味がある。

ここでの意味は写し手にとってとても、大切なのだが・・・。

その意味を可視化するのだか、フイルム現像、印画紙への焼き付けという生々しいプロセスの中で意味が薄れ、其々の固有名詞すら消え去って行く。

 

「過去・現在・未来」を可視化しょうとする試みは写真表現においてとても至難なこと言わざるを得ない。

それは即ち、写真は今と言う瞬間しか捉えることが出来ないからだ。

写真の持つ不自由さが表現者を「過去・現在・未来」を可視化しょうとする衝動に走らせる。

試みることに走らせる。

その試みは写真表現者・蒔田恵理は私の知るかぎりでも20年間は一貫して続けられている様に見え思える。

「過去・現在・未来」が銀塩という0.5个睨たないペーパーの上に可視化された作品には、再び意味を生み出し、再び意味が生じる。

再び生じた意味こそが写真表現者にとって、最も大切な意志の表明ではないかと思っている。

 

今と言う瞬間を切り取り「過去・現在・未来」を可視化する行為は多くの場合、観る側に委ねることが必要になってくる。

その勇気を求められていると思う。

写真表現の面白きところは今の瞬間を切り取ることしか出来ない不自由さであること。

逆に考えれば、今と言う瞬間を切り取ることの出来る表現手段だからだと思う。

他の表現手段には持ち得ない力が写真表現にはあると信じている。

さらには、プロセスを経て可視化された最終的な作品には、表現者と観る側が価値観を共に共有することにあるのではないかと、私は常々思っている。

 

作家の言葉・・・。

『写真は現実を写し取るので、

これらの写真は私にとって具体的で

とても個人的な意味を持っています。

一方で、写真はここにある日常を超えてゆく

問いかけでもあると感じます。

名前を持つ具体的なものをとらえながら、

同時にその名が失われてゆく、

時間と時間の外にあるものが交錯するような瞬間を

視覚的に表現したいと考えています。』

 

※お知らせ

・作家在廊日=6月13日・27日(土曜日)13時より。

・6月26日19時よりクロージングパーティーを予定していましたが、中止とさせて戴きます。

 

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2020年6月4日 人は窮地に追い込まれたとき、・・・。

いよいよ再開です。

明日、6月5日〜6月27日まで蒔田恵理写真展「朝凪」を展示させて戴きます。

蒔田恵理さんは故・白岡順さんの奥様で白岡順さんとは全く違った作風の写真家です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は窮地に追い込まれたとき、

二通りの生き様をさらすと言われている。

 

例えば、嵐に襲われた時、人が取る行動はそれぞれ異なるそうだが大まかには二通りだと言われている・・・。

ある者は恐怖で凍りつき身動きが出来ず隠れるか・・・。

ある者は鷹のように両翼を広げて、空高く舞い上がるかのどちらかだと・・・。

だそうだ!!。

 

新型コロナウイルスで拉がれては居られないと思いはするのだが、多少なりとも心の隙や油断をしていると、コロナウイルスのせいにしてしまい言い訳を始めたくなる。

言い訳をしたくなる。

踏みとどまっている内はまだよいのだが、言い訳をしてしまう。

とても嫌な気持が募って来る。

このご時世、コロナウイルスの原因にしまえば、殆ど全てが言い訳や説明が出来ることが恐ろしい。

自分自身にも他に対しても・・・。

 

言い訳を考える、探す時間があれば一歩でも前向きのことをと思うのだが、時として現実的なことを考えれば勇気を振り絞ることすら忘れがちになってしまう。

とにかく、一歩前に進むことが大切だと言い聞かせている。

とにかく、一歩前向きなことを考えようと思っている。

約二ヶ月の間、海外の写真家の方々やギャラリーからの問い合わせ、励ましのメッセージが多かったのは今迄、ギャラリー冬青のスタンスを理解して戴いいたのだと、とても励ましになりありがたかった。

 

「鷹」は嵐に向かって両翼を思い切り広げて、空高く舞い上がるとのこと。

プライマリーギャラリーとしてのギャラリー冬青。

ギャラリー冬青は「終わるまで、終わらない」

 

明日2020年6月5日11時より再開させて戴きます。

 

※ご連絡

明日、6月5日〜6月27日まで蒔田恵理写真展「朝凪」を展示させて戴きます。

 

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2020年6月3日 ギャラリー冬青の再開・・・。

ギャラリー冬青は6月5日から開けさせて戴きます。

約二ヶ月間、ほぼ自宅で自粛規制をしていましたが、何かと所用があり休んだ気があまり致しませんでした。

ひとつには貧乏性から来るものかも知れません。

 

それでも自宅にいることが、普段から比べると遥かに長かったのでこれを良いことに・・・。

昔からの希望でした、自宅に居るときは古い映画のビデオやDVDなどを観て過ごせましたが・・・。

一番、ありがたかったのは私が海外に赴いたとき、必ずCDを一枚から二枚は買って帰って帰国をしておりました。。

街のCDショップや本屋さん、飛行場で求めたものです。

そのまま封を切らず、仕舞い込んでいたCDの多さには我ながら驚きました。

それらを朝から夕方過ぎまでひたすら聞きました。

まだ、全ては聞き終えてはいませんが・・・。

現地で聞いた雰囲気とは違うことにも驚き、新たな感覚に包まれたり、ガッカリとしたりと・・・。

 

と、言う様なことで再開に当たって、どのような思いでギャラリー冬青をと音楽を聞きながら様々なことに、思いを馳せていましたが、これだと言う思いに至らないままの再開となりました。

多少ではありますが今迄とは違った何かに向かっていることだけは確かです。

 

コマーシャルギャラリーとして、その中でもプライマリーギャラリーのギャラリー冬青としての真価(進化)、変革を求められていることだけは確かだと思います。

心身ともに引き締めなければならないと・・・。

 

明日は2020年6月5日の再開に向かっての様々なことを・・・。

 

※ご連絡

ギャラリー冬青は6月5日から開けさせて戴きます。

通常通り午前11時〜19時、是非、お出で戴けますよう。

 

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2020年6月2日 芸術は時代の要請に基づき・・・。

「芸術は時代の要請に基づき必然的に生まれてくる」。と言われている。

誰が語ったのか、述べたのかは定かではないが下記の言葉とともに美術紙誌には良く出てくる言葉。

「選ばれしものだけが残れる」。

 

過去のアートシーンを見ればこの言葉の意味が良く理解できる。

教会の権威の衰退・貴族社会の没落・産業革命・第一次世界大戦・第二次世界大戦などなど。

時代と共に芸術も例外なく変化、進化してきたことが読み取れる。

その傾向は古代から現代迄変わらない。

時代の要請に基づき変化し、変化を余儀なくされてきた芸術。

芸術は時代の要請に基づき必然的に生まれてくるものだと歴史からして教えられる。

 

新型コロナウイルスの人類の未曾有の出来事に私たちは等しく直面をしている。

ライフスタイルの一部分である芸術もまた、どう向き合って行けば良いのかと問われているような気がしてならない。

一人一人に問いかけられている様に思えてならない。

 

「現代アート」と言われて久しい。

何か新しき表現手段を、私たちは安易に「現代アート」と一括りにしてきた。

それで安心感を持っている。

これも「現代アート」の一つと言えば・・・。

どこか安心してしまう自分自身がいる・・・。

 

「現代アート」の後に来るアートシーンは何なのか、観る側の私たちも、表現者にも共に模索をしていかなければならない。

「選ばれしものだけが残れる」。この言葉も語り続けられて来ている、心迫る言葉だと受け止めている。

 

新型コロナウイルスの中、後にどのような芸術運動がまい上がるのか・・・。

「現代アート」に続く何か新しきものが・・・。

どのような、新たなステージが待ち受けているのだろうか。

過去に回帰現象が起きるのか、新たな爆発が起きるのか、新型コロナウイルスはマイナスばかりではないように思えてしかたがない。

マンネリとなっている「現代アート」と言う言葉、枠組み、次成るステージはと・・・。

 

「芸術は時代の要請に基づき必然的に生まれてくる」。

「選ばれしものだけが残れる」。

 

※ご連絡

ギャラリー冬青は6月6日から開けさせて戴きます。

通常通り午前11時〜19時、是非、お出で戴けますよう。

 

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2020年5月29日 自分の心が教えてくれる。

「今、やるべきことを聞くな、神だって知らない。」

「いつか、自分の心が教えてくれる。」とはチェ・ゲバラの言葉

キューバ政府が中南米(主にアルゼンチンやウルグアイ、 パラグアイ)の医学を志す、若者を医学留学生として、積極的に受け入れていた。

中南米で革命運動が高まりをみせる中、医学部の留学生達がチェ・ゲバラに対して質問をした時の言葉。

 

留学生達はチェ・ゲバラに対して勉強を止めて、直ぐさまに母国に帰り革命運動に参加すべきではないか・・・。

チェ・ゲバラは留学生に対して「今、やるべきことを聞くな、神だって知らない。」・「いつか、自分の心が教えてくれる。」と

血気盛んな学生に、諭したとされている。

殆どの学生は留学生活を送り続け無事、卒業し医師として学生は革命運動に参加した。

 

表現者にも通じる言葉だと実感している。

私も京都芸術大学(非常勤講師)や長い間、編集者やキュレーターとして若い方々の作品を多く観させて戴いてきている。

「今、やるべきことを聞くな神だって知らない。」まことにその通りだと思う。

自身の進む道、手段は究極は自身で探らねばならない。

自身の範疇にあることを理解することが大切。

誰一人、神の言葉や眼、頭脳を持ち会わせていない。

究極の答えなど、誰しもがもち合わせていない。

それを踏まえて自分の進むべき道、手段に対してディスカッションをすることが大切。

ディスカッションを抜きにして進むべき道、手段は見出せないと思う。

チェ・ゲバラと学生達はディスカッションはとても多く行われている。

チェ・ゲバラと学生のディスカッションなくは多くの学生たちはそのままに革命運動に参加していると思える。

「今、やるべきことを聞くな、神だって知らない。」・「いつか、自分の心が教えてくれる。」の言葉がなくば医師には成りえてない。

 

その上で「いつか、自分の心が教えてくれる。」

私も踏まえて、迷える子羊は「いつか、自分の心が教えてくれる。」までディスカッションすることが大切に思えてならない。

教育者や編集者、キュレーターは求めに応じてディスカッションを疎かにしたり、避けてはならない。

肝に銘じて・・・。

ディスカッションをする相手がとても重要な要素であり、誰を選ぶかがとても大切なことの様に思える。

 

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通常通り午前11時〜19時、是非、お出で戴けますよう。

 

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2020年5月28日 芸術は破壊の連続である。

「芸術は破壊の連続である。」とはピカソの言葉。

「芸術は爆発だ」との岡本太郎の言葉と良く似ている。

天才、ピカソだから「芸術は破壊の連続である。」と言えるのかも知れない。

 

確かに自身の作品に固守していては次のステージが見えないのかも知れない。

だが、たが、自身の作品に固守してこそ次のステージが見え破壊も出来るのではと思う。

大切なのは賢人、偉人の言葉や作品をどこまで紐解くかだと思う。

 

ピカソは歳を重ねるにつれキュビズム〜シュールレアリズムと変化している。

ピカソのテーマ「科学と慈愛」である「アヴィニョンの娘」・「接吻」キュビズムの出発点から、より簡素化されていくピカソのシュールレアリズムの世界感。

 

ピカソの作品はマーケット市場には(個人のコレクションも含めて)約3000点あると言われている。

これ程多くの作品を残した芸術家も他にいない。

値を崩さずこれだけ市場に残したのは、天才画家と言うより天才画商かも知れない。

因にピカソのシュールレアリズムの作品が、2014年5月ニューヨークのサザビーズで32億円で落札されている。

当時は破格の値段と騒がれた。

 

話は脱線致しましたが、変化を恐れていては次のステージが観えてこないことは確かだと思う。

しかしながら変化たげを求めることはもっと愚かな行為。

自身に固守、固守し、さらに固守して破壊行為が出来るものと信じます。

先ず変化をしなければならないのは、自身の意志の革命、破壊かも知れません。

 

意志の革命、破壊をするには、ピカソが言う様に「芸術は破壊の連続である。」ことを理解することが大切に思える。

 

「芸術は破壊の連続である。」とはピカソの言葉。

「芸術は爆発だ」との岡本太郎の言葉と良く似ている。

賢人、偉人、変人の言葉の言葉には強い何かを感じざるを得ない。

 

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