2019年8月30日 写真は芸術か否か・・・。

写真は芸術か否かは写真が誕生したと言われる1839年してまもなく、人に寄っては1840年からと言われ、1850年にはイギリスの写真家たちが、写真もまた芸術だとの運動を起こしている。

グールプの運動としては最も初期の運動だと思われます。

今日でも特に他の芸術分野からでも写真は芸術なのか否かが問われている。

この論争はアート界全体を巻き込みながら、長く論争が繰り替えし起っている問題だ。

 

排除する側と、認める側と、認めさそうとする側の三者が入り組んで闘われてきた歴史がある。

そもそも論争事態おかしいと思いながら、多少ではありますが渦中にいる1人として書物を読んだりしている。

とても面白いと思う。

 

排除する側は・・・。

・特に絵画に携わっている芸術家が多い。

・自身の職業画家としての領域を奪われる危機感・・・。

・装置を使うことへの拒否・・・

などなど・・・・・。

 

認める側は・・・

・上から目線が目立つ、仲間にいれてあげよう・・・。

・サロンや日本では美術展があげられる・・・。

・少数派ではあるが同等目線で・・・・。

・少数派ではあるが積極的に

などなど・・・・・。

 

認めさそうとする側は・・・。

・当然ではあるが、写真表現者が圧倒的に芸術運動を起こしている。

・ギャラリーの存在が大きな役割りを果たしている。

・とくに日本では1985年〜1991年までのバブル期は見逃させないエポックになっている。

などなど・・・・・。

 

なぜ写真表現だけがこんになにも長く繰り返されるのか、自分なりに考えてみても面白いと思う。

写真が身近なものになればなるほど繰り返されて来る「写真は芸術か否か」。

 

この論争に巻き込まれたり、この論争を始めらら切りがない・・・。

出口が見出せない。

写真表現を志すものは淡々と我が道を歩ことをお勧め致します。

イスラエル・アリーニョさんの額装や展示の準備をしていてフット思い出しました・・・。

 

●トークショーのお知らせ

※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

※お申し込みはギャラリー冬青 <gallery@tosei-sha.jp>のメール、電話03-3380-7123にてお願い申し上げます。

 

●下記、コマーシャルは冬青社、ギャラリー冬青、高橋国博のブログとは全く関係がございません。


2019年8月29日 重森弘淹「写真芸術論」から・・・。

ともあれ、記録手段は、機械と機械を操作する人間が媒介するかぎり、モリスのいい方を借りれば、非人間的プロセスと人間的プロセスを自らのうちに含んでいるのである。

自己を疎外しょうとする機械と、機械を統御しょうとする主体との葛藤のプロセスそのそのものが記録行為であり、その行為の軌跡が映像なのである。

したがって映像には、「非人間的にして人間的な」質の、新しいリアリティがつねに表象されているのである。

 

言葉をかえれば、物質と意識の葛藤から生まれてくるところのリアリティだともいえるだろう。

レンズは意識のとどきえない現実のディテールを映し出す。

それならばわれわれはレンズを向けている間、現実にたいして意識を集中しなくてもいいのか。われわれの意識が現実に向かって尖鋭であるほど、映像はさらに意識に衝撃を与えるようなパンチ力をもつであろう。

現実にたいする深い意識の質量に比例して、映像もまた鮮烈さをともなってあらわれてくるのであるる。

(改行はネット状、読みやすくするため高橋が行っています。)

 

※ここで重森弘淹氏は私たちに被写体に向かう、時間長さの大切さを語りかけてくれている様に思います。

一昨日のプログにも書きましたが、80年代以降、特に近年の作品の軽さについて、繋がってくる部分も・・・。

 

「われわれの意識が現実に向かって尖鋭であるほど、映像はさらに意識に衝撃を与えるようなパンチ力をもつであろう。

現実にたいする深い意識の質量に比例して、映像もまた鮮烈さをともなってあらわれてくるのであるる。」

 

われわれが意識して被写体と向き合い、時間をかけて被写体を理解するほど、可視化された作品は「質量に比例して、映像もまた鮮烈さをともなってあらわれてくるのであるる」と語りかけてくれている。

要するに重力感が増すということではあるまいかと考えます。

 

「言葉をかえれば、物質と意識の葛藤から生まれてくるところのリアリティだともいえるだろう。レンズは意識のとどきえない現実のディテールを映し出す。」

とも、語りかけてくれています。

 

こうして生まれてくる作品は、観る側にひとりでに何かを語りかけてくれるはずです。

 

要するにレンズを向けた時間、量、だけ作品は重量感を増し引力も伝わってくる。

被写体に時間をかけて向き合うことの大切さ、ドキュメンタリー作品とは被写体との時間の長さと考えます。

 

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※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

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2019年8月28日 本日は・・・

本日、午前中から来月開催のスペイン写真家(フランス在住)イスラエル・アリーニョ氏がギャラリー冬青に来館されます。

その打ち合わせのためブログはお休みさせて戴きます。

 

●トークショーのお知らせ

※スペインの写真家、フランス在住、イスラエル・アリーニョ氏×渡部さとる氏のトークショーを開催致します。

※イスラエル・アリーニョ氏のモノクロ銀塩作品はフランスでも定評があり、同氏の黒の世界感はどくどくなものがあり、今回の銀塩作品のサイズはギャラリー冬青の展示のためだけに制作をして戴きました。

 

高橋が一昨年、バリの「VUギャラリー」に訪れた際に、作品を拝見し一目惚れを致した作品です。

今回の展示となりました。

 

※日時=9月6日(金曜日) 19時〜21時(懇談会も含む)

※先着30名様

※会費1.000円

 

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2019年8月27日 何故なのか80年代の作品が古く見えるのは・・・。

最近、感じていることがある。

何故なのか、写真にとどまらず80年代のアート全体が古く感じ見えてしまう。

写真集や実際の作品を観てもそう感じられる。

先日観た、ボルタンスキーの展示も何故か新鮮さを感じられなかった。

 

理由はハッキリとはしない。

60年代前後の作品は時代を超えて、一言でいえば「カッコ良い」が高橋的にはピッタリとあてはまる。

今、展示が行われている「清里フォトアートミュージアムのロバート・フランク展」ロバート・フランクの作品や細江英公氏らの作品は凄く「カッコ良く」見える。

気品まで漂っている。

高橋なりに思うに、一つには時の流れがあるのではと考えて見たりしている。

60年代前後の時代背景からくるものかも知れないとも思う。

でも、それだけて片付けれない何かがある。

 

80年代の作品も後、20年程経つと「カッコ良く」見えはじめるのかなと、考え思ったりとして見たりするのだが、何故かシックリトこない。

80年代以降の作品は総じて、なにか重力感や引力みたいなものが感じられない。

その傾向は近年益々、軽く爽やかになっているように感じる。

その軽やかさや軽さが、今の表現だと持て栄すステートメントを多く読まされることに気ずく。

本当にそうなのかなと考え込んでしまうのは高橋だけなのだろうか。

 

願わくば80年代以降の作品も、後20年経つと「カッコ良く」見えはじめて欲しい・・・。

 

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2019年8月26日 芸術と教育その2

「芸術と教育。

思わぬ、反響を戴きましたので本日、過不足分を書きます。

 

「芸術ほど教育に向いて居ない科目はないと思われる。

芸術ほど教育に遠い存在はない。

芸術は個々人の感性の問題が大きいからだと思われる。

それに対して教育は教えるということ、学習することに力点がおかれている。

芸術は教わるものではなく、自身の感性を磨くものだ。

感性表現が芸術だとだからだ。」

 

と、書きましたが・・・。

 

芸術は個々人の感性問題であり、答えがないものと考えています。

それに対して教育は答えを導くためにあると考えています。

ベクトルが真逆に働いていると考えられます。

 

しかし、教育が全く無駄であることを申し上げている訳ではありません。

様々な教育の中で、教育を受けることにおいて、自身の感性を磨く「種」を見出すことが出来ると考えます。

その表現のもととなる「種」は教育も、その一役を担っていると考えられます。

「サロン」はその「種」を見出し、育てる役割りを果たしてきたと考えられます。

 

下記「M」さんから戴きましたメッセージです。

「芸術分野と同様に、生物学分野も教育には向かない分野です。

歴史に残る大きな発展の原動力は、各研究者の感性によるものでした。

ただし、アカデミアの動向をきちんと把握しつつ、独自の距離感をもち、他者にないものを追求し続けられるかが、大切だと感じます。

なぜ、どのように、大勢との違いが生じ得るか、各個人の考えは必要と思います。」

全く同感です。

その通りだと思いました。

 

ここで大切なのは「なぜ、どのように、大勢との違いが生じ得るか、各個人の考えは必要と思います。」です。

「なぜ、どのように、大勢との違いが生じ得るか、各個人の考えは必要と思います。」を考えるとき、先ずはどうすればアカデミアに入る、入れる環境にまで努力することが大切に思います。

 

感性は自然と身に付くものではありません。

他者との関係での切磋琢磨。

環境の中に身を置き切磋琢磨すること。

社会との繋がりの中で磋琢磨すること。

日々の生活の中で磋琢磨すること。

などなど、感性を研ぎすますにはそれなりの思考と努力が必要です。

思考する「種」が必要です。

教育はその一助しかなりえません。

繰り返します。芸術には答えはありません、何故なれば感性表現であるからです。

教育は答えを導くものです。芸術系の大學や専門学校を出れば芸術家になれるとの妄想を抱くことは、とても危険であり無駄なことです。

 

教養は必要です。

教養なくして感性は磨けません。

自身の足りざるところを自覚することが大切に思えてなりません。

 

答えがなき世界に向かうほど、勇気が必要で苦しきものはないと考えます。

 

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2019年8月23日 クリスチャン・ボルタンスキー展へ・・・。

昨日、要約時間を作り、見つけ、国立新美術館で行われている「クリスチャン・ボルタンスキー展」に観に行けた。

高橋的には、基本的には、個人的には、クリスチャン・ボルタンスキーの作品、展示法は余り好きではない。

今迄、クリスチャン・ボルタンスキー展を何度も観る機会はあったが全て見逃していた。

会期が9月2日までと聞き昨日駆けつけられた。

 

80年代、多くのアーティストに影響を与えた1人であり、何故なのか、何故なのかと思い、その理由を体感したいと思い昨日、観に行った次第。

特に「電球と電線」のモーチフは芸術界だけにとどまらず、ファションや日常生活グッツまで多くに影響を与えた。

その中でも「オレンジ色の電球と青色の電球」は代表作の一つである。

草間弥生さんの水玉模様にも近いかものがあるのではと思い観ていた・・・。

 

ボルタンスキーの生い立ちやバックヤードを知らずに見ると、単にインスタレーション的展示に見えてしまうと、中途半端になってしまう。

「父親は改宗ユダヤ人、母はフランス人、1944年ナチス占領下のパリに生まれる。母と父は偽装離婚をし家の床下に隠れ住んでいた。終戦後母親やその友人から聞かされた強制収容所の話を含むこれらの経験がボルタンスキーのトラウマとなり、後年の作品制作に影響することとなっている」と言われている・・・。

 

国立新美術館の空間に入るとまさにインスタレーションそのものだ。

岡本太郎の「芸術は爆発だ」の言葉を瞬時に思い出した。

良き意味でそれ程、強烈なインパクトのある作品群である。

 

ポートレートの写真はナチスに苦しめられたと思われるユダヤ人の「顔、顔、顔」の写真が群として処狭しと飾られている。

(ナチスに苦しめられた顔だけではありません。)

 

「一枚一枚、一点一点、一作一作」の作品を観るのではなく、空間に身を任せ、身を置き、何を感じるのかを体験、体感できるのかが大切だと思った。

強烈なメッセージが伝わって来る。

社会との繋がりを強く感じ、社会派のアティースであることが表面的ではあるが理解出来た。

 

ボルタンスキーの展示会場に身を委ねていると、芸術は芸術として存在するのではなく、芸術もまた社会や歴史と深く関係しなければならないことが良く理解出来る。

芸術は個人の中に留まっていてはダメであることが良く解る。

社会の中の一員として、歴史の中の一コマと繋がりを強く持っていることが、クリスチャン・ボルタンスキーの作品、展示法から伝わって来る。

観に行けたことはとても良かった。

芸術を体感出来たことは高橋にとって至福の一日であった。

 

でも、何故か好きになれなかった!!。

チャンスがあればもう一度、観に行こうと思っている。

 

※月曜日のブログは「芸術と教育」について書きます。

様々な反響を戴きましたので・・・。

 

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2019年8月22日 芸術と教育・・・。???。

芸術と教育。

芸術ほど教育に向いて居ない科目はないと思われる。

芸術ほど教育に遠い存在はない。

芸術は個々人の感性の問題が大きいからだと思われる。

それに対して教育は教えるということ、学習することに力点がおかれている。

芸術は教わるものではなく、自身の感性を磨くものだ。

感性表現が芸術だとだからだ。

 

個々人の感性が違うことから、それぞれの感性を教えることなど考えられないと思うからである。

感性が大きく作用される芸術表現は一律的な教育など考えられない。

芸術系の大學や専門学校が存在する理由は幾つかは考えられる。

1.特に日本画などは教わった系譜が大切。

デビューするには欠かせないし、早道であることが多い。

2.ハード面(技術、技法)が学べる。

3.スポンサーが見つかりやすい。

4.芸術史が学べる・・・。???。

5.芸術とはどんなもんであるかが学べる

などなど、挙げられるが芸術表現で一番大切な感性は学べない。

 

そこで、大切なのは「サロン」である。

「フランス語で「客間」の意。(1) 特にフランスで 17〜18世紀に流行した,教養ある上流婦人の客間で催された社交的集会。フランスでは中世以来,サロンが政治や文学で重要な役割を果たしている」(ネットから、一度「サロン」と検索して下さい詳しく出ています。)

昔から芸術家達は「サロン」で熱く議論を闘わせてきた。

そうして、自身の感性を磨いてきた。

「サロン」に入れることが感性を磨く一歩であった。

「サロン」に入れること事態が、芸術家達のステータスでもあった。

「サロン」で良きものを見、良きものに触れ、良き話を聞き、良き議論を交わされてきた。

 

日本の写真史で欠かせない「VIVO」、「プロヴォーク」の集団が挙げられるかも知れない。

丹野章さんが他界されて1週間位あとだと思う。

丹野章さんの奥様から直接お聞きした話。

丹野章さんの事務所にメーンバーが良く集まり、深夜まで熱く写真のことを語り合ったいたと、ときとして激論になることもしばしありましたよと高橋に話して下さった。

 

芸術は教わるものではなく、自身の感性を磨くことほか上達手段はないと考えます。

良き仲間や先輩、後輩を問わず、感性に刺激を受け、与える方々とディスカッションすることがとても大切に思えてならない。

芸術は教わるものではなく、自身の感性を磨くことにあると考えます。

良きものを見、良きものに触れ、良き話を聞き、良き議論を交わすことをお勧め致します。

 

ただし、ハード面(技術的なこと、技法なこと)は徹底的に学ばなければならない。

大學や専門学校は、そのタメの教育機関かもしれない。

 

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2019年8月21日 写真表現は個から社会へ・・・。

基本的には写真表現者は個として写真表現をするのであるが、それだけに満足をしていてはダメだと思う。

個と社会を繋ぐツールが必要。

80年代以前は紙媒体がその役目の多くを担って来た。

80年代以前の多くの写真家は紙媒体で育てられたといっても過言ではない。

 

2004年にアナログカメラとデジタルカメラの生産台数が逆転されたといわれている。

2005年コンピュータ(パソコン)の中心の社会が確立され始め、写真の世界もまたデジタル化が確立されたといわれている。

この15年間、私達の予想を超えてデジタル化の進歩は目覚ましい。

今日的には写真表現は個と社会を繋ぐツールはSNSも含めてデジタル化を抜きには語れないと思いがちであるが・・・。

喜ばしいことかも知れないが、個と社会を繋ぐツールがSNSも含めてデジタル化に、その多くを依存することに恐ろしさと寂しさを感じないわけにはいかない。

特に写真の表現はカメラのデジタル化(周辺機器も含め)の開発により他の、どの、アートよりも容易く、安易に拡散することが可能となった。

表現者が縦横と無秩序に自由に、何時でも個と社会を繋ぐツールとしてSNSも含め、個と社会が綱がつているかの様に見えるが、実は全く繋がっていないことを理解すべきである。

個の発信はあくまで個としてのものであり自己満足でしかあり得ない。

「イイネ」の数だけを求めるなど問題外であると考えます。

単なる情報ツールでしかあり得ないことを理解したい。

 

「80年代以前の多くの写真家は紙媒体で育てられたといっても過言ではない。」

と、上記に書きましたが、私達は写真展、写真集や写真誌(制作のあり方の変化・・・何れ書きます)などなど、生々しいものに触れたい。

その生々しいものに触れ、五感を喚起されたいし、喚起したい。

そのための写真展、写真集や写真誌でありたい。

 

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2019年8月20日 フォトグラファーとアーティスト・・・。???。

カメラマンと写真家との違いを書きました。

「今日的にはフォトグラファーとアーティストとの論争が始っている。

この現象は60年代、70年代の論争とは異なり自覚的にフォトグラファーとアーティストとの線引きが行われていると思う。

また、現在のアート環境に強く影響されていると考えられる。

その理由の一つにマーケットの問題が強く影響されていると考えられる。」

 

と、書きましたが、その理由は大きくは二つあると感じてます。

一つには、写真表現、写真家、フォトグラファーとしての枠を超えたい、写真家としての箍(タガ)を外したいと言う理由からくるもの・・・。

二つ目の理由として現代アートの市場価値(プライス)の評価と、写真作品の市場価値(プライス)の評価と全く異次元といって良いぐらい開きがあること。

自身の写真作品を現代アートとして認めてもらえば、その市場価値(プライス)の評価は現代アートとして流通される。

しかるに現代アートの市場を目指すアーティスト(フォトグラファー)が現れている。

良き例として、アンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky,  )は自らを現代アーティストと評している。

 杉本博司氏は演出家と自身を評している。

カメラマン・写真家、フォトグラファーの枠に留まらず表現は世界のマーケットにも認められている。

 

この動きは昨日も書きましたが、日本で60年代、70年代に起こり始めた、商業カメラマンと違う、自己表現型の写真家の運動。

とくに顕著に現れるのが、VIVOのメーンバー(川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公)らが写真表現とは何か。写真もまた立派な(正しい)芸術表現だと具体的に唱え、行動を始めたことだ。

時代を動かそうとした。

丹野章氏、細江英公氏を除き他のメーンバーは一時期、拠点の場を海外に求め、移住し活動をしている。

特に細江英公氏は海外には移住することはなかったが、海外に頻繁に出かけ作品を発表している。

この運動の根拠は写真もまた芸術(写真芸術)の運動であったのに対し、フォトグラファーとアーティストの活動(運動ではない。)は自覚的なものであり、自らがアーティスト宣言をすることが趣旨しであると見ている。

 

フォトグラファーとアーティストの活動はコマーシャルギャラリーが深く関与していることは間違いない。

フランス革命後、アート界は益々コマーシャルギャラリーはアート市場に深く関与し始める。

写真作品もコマーシャルギャラリーがリードする形でアーティスト(写真家)の活動をサポートし始める。

しかし、残念なことに写真のコマーシャルギャラリーは他の分野(アート・骨董店)遥かに少ないことが非常に問題だと思う。

この傾向は著しく日本で見られる傾向だと思う。

写真におけるファーストコマーシャルギャラリーとなるとなお、少ない。

 

写真表現を目指す写真家、フォトグラファー、アーティストのことを考えると胸が詰まる思いがする。

 

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2019年8月19日 カメラマンと写真家・・・???。

カメラマンと写真家、この選別(線引き)とでも言うか曖昧模糊としてなんとなく受け入れて来た。

カメラマンと写真家この言い方は特に60年代、70年代に問われ始められた。

カメラマンは商業写真家、写真家は自己表現写真家と大まかに区別をされていた。

 

アメリカでは商業カメラマンと自己表現写真家はほんの一部の写真家しか認められていなかった。

両立は許されなかった。

アメリカでは商業カメラマンで生業をしている写真家はコマーシャルギャラリーは無論のこと、公的なミュージアムでも一切受けいられなかった歴史を持つ。

自己表現を志す写真家は、商業カメラマンとしての退路を経ち、写真家になる決意と行動を求められた。

商業カメラマンは特にコマーシャルギャラリーではバカにされた位だ。

 

日本では商業カメラマンが写真家としてのステータスになり、評価もされて来た。

しかし、日本でも60年代、70年代になると商業カメラマンと自己表現写真家の区別をしょうとする運動が始る。

私が現在調べた範囲ではあるが、その中心はVIVO(ヴィヴォ)のメーンバーからであったと思われる。

VIVOのメーンバー(川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公)らが写真表現とは何か。

写真もまた立派な(正しい)芸術表現だと具体的に唱え、行動を始めた。

それに真っ向から意義を唱えたのが篠山紀信など商業カメラマンであった。

この論争は紙誌の面においても戦いは繰り返された。

写真は複製表現だと、他の芸術分野からの非難を交わすために、プリントを終えたネガにハサミを入れる写真家まで現れた。

 

更に今日的にはフォトグラファーとアーティストとの論争が始っている。

この現象は60年代、70年代の論争とは異なり自覚的にフォトグラファーとアーティストとの線引きが行われていると思う。

また、現在のアート環境に強く影響されていると考えられる。

その理由の一つにマーケットの問題が強く影響されていると考えられる。

 

この続きは明日にでも・・・。

お盆休み、ぼんやりとはあるがこんなことも考えていた。

 

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